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石田明生

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喪に服す日
 今日2017年6月15日は、喪に服す日として、日本史に残るかもしれない。いわゆる6.15の法案可決の日として。
 ついに政府は、「中間報告」という隠し刀を使って、凶暴罪、いや共謀罪を成立させた。
 参議院の死だと野党の人は騒いでいたが、元より日本の二院制、つまり参議院は曖昧な議会であったのは確かだ。衆議院と同じように選出された国会議員で構成されるのだから、参議院の持つ特殊性、参議院の参議院たる存在理由というものがはっきりしない。戦前は貴族院だったので、その特殊性は・・・良きにつけ悪しきにつけ・・・明快だった。要するに民衆の代表ではないということだ。イギリスの貴族院は未だその形態を保っているから驚きだ。が、その存在意義は確かにあるのかもしれない。
 翻って日本の場合は、衆議院選挙に落選したので、参議院に鞍替えなどと言っている議員がいるような議会だから、存在意義は希薄だ。要するに国会議員になれれば良いということではないか。できれば衆議院議員になりたいが・・・ということは、参議院は衆議院より劣っているということか。以前参議院選挙は、全国区というものがあり、テレビの人気司会者などがトップ当選していた。当時の参議院は、衆議院との異質性をその選出方法で保っていたのかもしれない。
 待てよ! 今日ここで声を大にして言いたいのは、二院制のことではない。戦後の転換点ともなるかもしれない恐ろしい法案が成立したということだ。先のない僕にとってはどうでも良いけれど、若い人たちにとってはこれから先、重苦しい時代にならなければ良いがと願う。あの金田とかいう法務大臣の顔をよく覚えておいてもらいたい。これから悪法の適用とともに思い出される顔なのだから。

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雑感 | 07:55:17 | Trackback(0) | Comments(0)
『聖女ジュヌヴィエーヴとメダル』(2)
◇ 抵抗の町(1)

 「どうだった ?」十人隊の隊長カルカスが家に入ると、一緒にいた、というより暖炉の周りにうずくまっていた四人が声をそろえて尋ねました。
 隊長はすぐに答えませんでした。二月の刺すような北風が吹きさらしだった通りからやって来ると、この天井の低い部屋の空気が彼には心地よい温さに感じられました。木屑を貧乏たらしく少しくべただけの火は暖房と言うには程遠かったにも関わらずです。火は徐々に暗くなりましたが、それでも闇夜の中でただひとつ灯りの役割はしていました。
 その晩、隣組の三人は助祭のシモンの家に集まっていました。その粗末な家は、ユピテル・ナウティクス神殿の跡地に建立された聖母マリアの教会堂と、聖堂付き司祭のテオドール師の重々しい家との間に隠れています。その場にはもう一人、すでに三十路ではありましたが美しい未婚の娘ジュヌヴィエーヴがいました。このシモンの姪は、父が森で不慮の事故で亡くなった後、親戚の家に身を寄せていたのです。彼女は、わずかなながら父の遺産を売却したので、叔父の助祭に全面的に頼ることなく生活することができました。叔父が受け取る、教会堂の維持管理や典礼指導の報酬はたかが知れておりました。
 ジュヌヴィエーヴは、持参金はないしつまらない木こりの出にもかかわらず、何人もの資産家の子弟から結婚の申し込みをされました。人伝では、美男子で若い富裕なあるローマの騎士が彼女に夢中になったそうです。ある晩、彼は、助祭シモンの家の戸口で、彼女に結婚したい旨宣言しました。

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翻訳 | 07:37:16 | Trackback(0) | Comments(0)
スマホ時代のショック
 おととい、授業のリアクションペーパーで、ある学生が「北朝鮮と韓国が敵対・対立しているのを初めて知った」と書いていました。たった一人だけとはいえ、これを読んでひどいショックを受けています。対象学生は3、4年生です。
 テレビを見ない。ニュースを見ない。電車内のつるしを見ない。キオスクの新聞の見出しを見ない。友人と社会問題について話さない・・・
 どうしたら、ここ数年とりわけかまびすしく語られている問題に目を閉じ、耳を塞いでいられるのでしょうか。どうしたら、こういう社会問題からするりと身をかわすことができるのでしょうか。
 正直に反応してくれた学生に、感謝の気持ちもあります。おかげで今を垣間見ることができたからです。
 これは、スマホ時代、情報過多時代のパラドキシカルな現象かも知れません。

雑感 | 05:26:33 | Trackback(0) | Comments(0)
On a choisi la raison!
On a choisi la raison!
フランスは、マクロン勝利により、「理性」を選んだ。「理性」はフランス革命以来のフランスの最大の価値観だ。
イギリス、アメリカで旋風を巻き起こしたポピュリスムに屈することなく、しっかりと理性や知性に希望をつないだとも言える。
ノーベル賞作家のル・クレジオは「もしル・ペンが勝ったら、フランスのパスポートを返上する」と言っていたが、僕ももしル・ペンが勝ったら、何か断ち切ろうと思っていた。まだまだフランスは捨てたものではない。

雑感 | 05:27:38 | Trackback(0) | Comments(0)
『聖女ジュヌヴィエーヴとメダル』
 パリの物語の第二弾は、『聖女ジュヌヴィエーヴとメダル』です。やはり長いので何回かに分けて掲載します。

1. 羊飼いの娘、ジュヌヴィエーヴ

 「こっちよ、フィデル。静かにしていてよ。いけない犬ね !」
 でも、フィデルは不安げでイライラして、でたらめに羊たちをしつこく追い回していました。一方、羊は羊でまた、不安に煽られているかのように、メエメエ鳴いて、互いに身を寄せ合うばかり、小さな花が点々と咲いた柔らかな草を食もうとさえしませんでした。しかもその花々でさえ、何か大惨事でも予感しているかのように、身を縮めていたのです。
 この羊の群れの番をしている羊飼いの小娘は、四つ脚をした自分の家来がみんな、今日はどうして変なのか不思議でたまりません。八歳になったばかりのジュヌヴィエーヴは、今までと同様、ヴァレリアヌス山の麓に広がるサン・クルーの丘に羊の群れを連れて来て、草を食わせていました。ここは彼女の家からたっぷり四分の一里ほどのところです。
 この群れは、正確に言うと十匹の子羊を含めて、二十三匹ほどの群れでした。これは実直な木こりであるジュヌヴィエーヴの父親の財産のほとんどでした。父親は、遠くまで広がる、抜け出るのに何日も何日もかかるほど大きな森で働いていました。母親は三年前に亡くなっていたので、ジュヌヴィエーヴはちょっとした家事仕事をしたり、大好きな動物たちの世話をして父親を手伝っていました。

(注) ヴァレリアヌス山: パリのすぐ西にある小高い山、現在ヴァレリアン山と呼ばれる。

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翻訳 | 15:47:46 | Trackback(0) | Comments(0)
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