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『アレクサンドロス』読了
5月1日(火) 『アレクサンドロス』(ヴァレリオ・マッシモ・マンフレディ著 草皆伸子訳)全3巻を読了する。

第1巻 夢の王子
第2巻 若き征服者
第3巻 永遠(とわ)の帝国
マンフレディ 1943年生まれのイタリアの作家
徳間書店

 かつて中学生時代に『三国志』(吉川英治)を読んだ時のような、躍動する高揚感を書物からたっぷりと感じることができた。至福の時間を過ごせたと言うことだ。
 また、紀元前4世紀頃、アリストテレスの時代とその世界を知れることで知的好奇心も満たされた。とはいえ、もちろんあくまで小説の世界だから、全て史実とは思えないし、事実作者も史実とは異なる箇所を指摘もしている。また、ほぼペルシャ全土をめぐる遠征中の土地の描写も「示唆的なものに」ならざるを得なかった旨あとがきでことわっている。
 この小説の面白さの一つは、アレクサンドロスと仲間たちの友情と情熱と野心にあるのではないか。この仲間は皆アレクサンドロス王子の学友たちで、アリストテレスの薫陶を得たものたちだ。現代の中学・高校生のように競い合い、ふざけ合い、涙を流し、喧嘩をして成長する。二十歳過ぎくらいで、戦さ場に赴く彼らの青春群像といっても良いくらいだ。それから約10年、この仲間たちは苦楽を共にして、小アジアからイスラエル、エジプトからバビロニア、スサからペルセポリス、カスピ海を望んでインダス川まで大遠征をする。
 アレクサンドロスの偉大さは、その間の戦の勝利だけにあるのではなく、占領した町々にギリシャとペルシャの融合を常に優先していたと言うことだろう。
 33歳という若さで病死なかったなら、とついつい考えてしまうアレクサンドロスの早世だった。小説にはないが、大王の死後、この仲間たちを中心としてディアドコイ戦争(後継者戦争)が勃発し、喧嘩どころか悲惨な殺し合いにまでなってしまう。
 そのことは、小説のエピローグに記されている。書き手は、エジプトのファラオとなるプトレマイオスだ。ファラオの座を息子に禅譲した彼は、親友アレクサンドロスが作った町「アレクサンドリア」の繁栄を自慢し、当時の青春時代を思い返して筆を置く。

 ここまで書いて、本を図書館に返してきた。次に借りてきた本も、期待を裏切らないと思う。ウンベルト・エーコの小説『プラハの墓地』だ。エーコの小説は今までに『薔薇の名前』と『フーコーの振り子』の2冊を読んだが、どちらもあらゆる満足を与えてくれた。今度のも楽しみだ。
 そういえば、今はどうやらイタリア文学にはまっているようだ。

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文学雑感 | 16:50:30 | Trackback(0) | Comments(0)
『子供の誕生』
 昨日はある会で、『17・18世紀概観・・・子供の誕生と童話』という題で話をしたが、思ったよりも時間が足りなかったので、尻切れとんぼ気味になってしまった。またそれに加えて、聞いている人たちがラ・フォンテーヌやペローを名前も含めてほとんど知らないような反応だったのでいまいち盛り上がりに欠けたような感じだった。時間があれば、ゆっくり説明できたのに、残念だった。
 フィリップ・アリエスの名著『子供の誕生』を軸に、17世紀末に現れる妖精物語の氾濫、とりわけペローの童話は、児童文学の発生に大きく関係したことを丁寧に話すつもりだった。要するに、子どもとして認知されず「小さな大人」としてしか扱われなかった子どもが、17世紀に発見され(誕生し)、18世紀になると子供の教育と教訓的童話が流行する。それは、ボーモン夫人の童話を読めば明らかだ。
 ペローの『眠りの美女』では、姫が生まれた時に仙女たちが色々なものを贈呈するが、ある仙女は「天使の心」を与える。ちなみにグリムの『野ばら姫(=いばら姫)』では、「美徳」となっている。グリムは19世紀の作家だが、物語は古い形のままだ。対して、ボーモン夫人のでは、違う作品とは言え、仙女は「この世のあらゆる不幸」を贈る。つまり、甘やかしはいけないというわけだ。
 また、18世紀は、教育家のジャン=バチスト・ド・ラサール(あの鹿児島ラサールのラサール)や『エミール』を書いたルソーが登場して、子供の教育論も盛んになる。

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文学雑感 | 18:13:14 | Trackback(0) | Comments(0)
ゾラ作『愛の一ページ』(石井啓子訳)を読みつつ
 今、ゾラの大作『愛の一ページ』を読んでいる。これももちろん「ルーゴン・マッカール叢書」の一部をなす。舞台はパリのパッシー、まだ途中までしか読んでいないが、やはり場所柄お金持ちたちが多く登場しそうだ。幼い少女を抱えた未亡人のエレーヌが主人公だ。
 昨日は、戸塚にある大学に行くので、電車の中で心置きなく長編小説を読むことができた。土曜日の楽しみはこれだ。眠くなれば眠る。目を開ければ活字を追いかける。座れる長い電車は至福のときを与えてくれる。
 というわけで、嬉々としてゾラの大作を読んでいると、主人公のエレーヌが、高台にある西側の街パッシーから、パリの町を眺めるシーンに達した。彼女はつぶさに1850年代のパリを眺めている。と同時に僕も彼女の目を借りてパリを眺める。嬉しい瞬間だ。とその時、こんな箇所に出くわした。

それよりも遠く、墓石にも似た、マドレーヌ寺院の押し潰されたような屋根の後ろには、オペラ座(第二帝政のもっとも記念碑的建造物。一八六二〜七五年に建てられたため、本来この小説に登場するのはおかしいと指摘されている)の巨大な塊がそそり立っている。

 違和感を感じたのは、ゾラの文章ではない。そうではなくてカッコ内の訳注だ。いや、違和感どころではない。なんとも言えない、嫌な感じがした。多分「おかしいと指摘されている」という書き方のせいだ。訳者本人の見解を隠して、周りにいる研究者の見識・意見をぼんやりとほのめかしている。彼女自身そのオペラ座についてどれほど調べたのだろうか。
 結論を言うと、ゾラの文は「おかしい」どころではなく、このオペラ座は、訳者がいう現在のオペラ・ガルニエではなく、1823年から1873年まで使われた「ル・プルティエ・オペラ」だった。要するに彼女は間違っているのだ。

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文学雑感 | 15:30:44 | Trackback(0) | Comments(2)
完全犯罪の結末、小説『テレーズ・ラカン』
 エミール・ゾラ27歳の時の傑作『テレーズ・ラカン』は、全編人の悪意とエゴイスムとが入り交じり、環境も舞台もじめじめと薄汚く、読むものに澱みのような重しをはらわたに流し込む。これほどの暗く重い作品は、『ジェルミニー・ラセルトゥー』(ゴンクール兄弟作)をおいて他にないだろう。それもそのはず、ゾラはまさにこの先輩の作品から霊感を受けて『テレーズ』を書いた。『ジェルミニー・ラセルトゥー』発表の2年後、1867年のことだ。肉体的堕落は人間性の堕落に繋がり、悲劇を生む。それこそ、「生理学的で心理学的問題」であり「肉体的で精神的な病気の臨床例」であり、まさに真実の物語だと、ゾラは言う(「」内は篠田浩一郎氏の解説から。先の引用は«世界文学全集25講談社»より訳は篠田氏)。

 小説の書き出しで、ドラマの舞台となるパリ左岸の小路は、物質的な舞台装置にもかかわらず、肉体的精神的疾患をかかえているかのように紹介される。登場人物たちの病理を展開するにふさわしい、まさに実験室のようだ。

 «セーヌの河岸のほうからくると、ゲネゴー街のはずれで、ポン=ヌーフの路地に出会うことになるが、そこはせまくてうす暗い一種の回廊になっていて、マザリーヌ街からセーヌ街までのあいだにはさまれている。この路地はせいぜい長さ三十歩、幅は二歩しかない。黄色っぽい敷石が敷かれているが、みんなすりへり、とめの漆喰がはがれ、いつも胸の悪くなるような湿気がにじみ出ている。この路地をおおっているガラス張りの天井は直角に切られていて、汚れで暗くなっている。(p.303) »

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文学雑感 | 18:21:55 | Trackback(0) | Comments(0)
モーパッサンの傑作
最近、モーパッサンについて講義をしたので、その抜粋をここに紹介します。

○ ギー・ド・モーパッサンGuy de Maupassant(1850 ~ 1893)
 ノルマンディー生まれのモーパッサンは、めぐまれた文学的環境のなかで育つ。すなわち、精神的な父親として大作家のギュスターブ・フロベールを、兄貴分としてゾラを持つ。文学修行は厳しい師フロベールに、文壇に出るきっかけはゾラに負うところ大である。
 中編小説『脂肪の塊Boule de suif』(1880年)で人気作家となった彼は、それから10年ほどの間に、『女の一生 Une vie』『ベラミ Bel-Ami』などの長編を5つ、300以上にのぼる中・短編小説を次々に発表する。
 晩年、といっても40歳前のことだが、彼は1889年のエッフェル塔を嫌ったことでも有名である。それから数年後、狂死する。

○『メダンの夕べ』
『居酒屋』の成功により作家としての地位を固めたゾラは、パリ郊外のメダンに家を買い、若い作家たちを集めて文学サークル的なものを作った。フロベールの紹介によりゾラの知己を得たモーパッサンもその中にいた。あるとき、ゾラが普仏戦争をテーマにひとつずつ作品を持ち寄り、『メダンの夕べ』という短編集を作ろうと提案する。ゾラ以下5人の若手作家がいた。その中で最も無名だったモーパッサンが、プロシャ軍の占領により翻弄されたある娼婦の物語を読み上げた時、聞いていた全員が感動して敬礼したという逸話が残っている。その作品こそ彼のデビュー作となった『脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)』である。


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文学雑感 | 11:07:38 | Trackback(0) | Comments(0)
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