投稿日:2023-11-28 Tue
蕨市の爆走老人が教えてくれること先生は、随筆No.42「紅葉」で、蕨市の事件を取り上げておられます。戸田市も蕨市もわが町の南隣、小生も久々の地元ニュースを楽しみました(被害者の方には申し訳ありませんが)。
蕨市は全国の市の中で最も面積の小さい市であり、人口密度が最も高い市であると知る人には知られています。さらに意外なミニ知識としては日本の市町村を五十音順に並べると最後尾になる市でもあります。そんな地味なことでしか話題にならない市ですが、蕨市が自慢していることが一つあります。それは、「成人式」発祥の地であることです。尤も、それが自慢の種になるのかどうか怪しいものです。小生の経験からすると「式」そのものは、地元の市会議員のつまらない(何も記憶に残らない)挨拶と新成人代表と呼ばれる何某の「大人への決意」なるものを聞かされるだけ、つまるところ新たに選挙権を得るもの達への市長や議員達の「選挙運動」ということになります。もし新成人達に意味があるとすれば、中学を卒業して5年後の同窓会的集まり、あるいはおおっぴらに酒を飲んで大騒ぎできることかもしれません。先般18歳から成人と決められて、二つある新成人の意義が乖離したことによりこれからどうなりますか。
話が横にずれてしまいました。
犯人はおっしゃる通り高齢の老人です(86歳)。ご存知かもしれませんが、犯人の行動を追って見ますと、彼はまず自宅アパートに火をつけ、戸田の病院に向かい、拳銃で病院の窓に向かって2発銃撃した後、蕨市の中央郵便局に入って、女性2人を人質に立てこもり、その間銃を発砲しました。しばらくして1人その後もう1人が逃げ出して、彼は逮捕となり一件落着。移動はバイクを使いました。犯人は病院にも郵便局にも含むところがあって、事件を起こしたとのことでした。
トカレフという拳銃を持っていたことで、彼は元暴力団員もしくは暴力団に近しかった人物と見られています。近所に住んでいた人によると、以前話をするようになっていたころ、彼はなかなか気前がよかった、結構なものをご馳走になったということでした。そのうち、パチンコ屋で暴れたり、怒鳴ったりして近所の評判が悪くなったので遠ざかるようになったと言っていました。また、他の証言では女性と暮らしていたが、あるときから独り者になったということです。
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投稿日:2023-09-05 Tue
福島の処理水問題で、岸田総理が福島県沖で獲れた魚の刺身をこれ見よがしに食している映像がテレビ上に流れた。これはもちろん、処理水を巡って中国からいちゃもんをつけられ(第一に中国は「処理水」と言わず「汚染水」と呼んでいる。愚かにも岸田内閣にもそう呼んで顰蹙を買った者がいた)、首相自ら、かの処理水がいかに安全かをアピールするためのパフォーマンスだ。これを見ていて、だいぶ前になるが、当時厚生大臣だった菅直人氏が貝割れ大根を口いっぱい頬張って、貝割れ大根が病原性大腸菌O157に感染していないことを訴えたのを思い出した。これと比べると、岸田首相のパフォーマンスがいかにインチキくさいかよくわかる。というのも、菅氏が相手にしているのは即危険なO157菌であるのに対し、岸田首相が相手にしている処理水(トリチウム)は、何年も何年も体内に蓄積されて初めて人に害を及ぼす類のものだからだ。50代60代の壮年期を過ぎた人間がいくら腹一杯魚を食べても即危険というものではない。つまり、どちらも茶番ではあるが、あまりにも馬鹿げているは岸田首相の方だ。
もし、首相が処理水の安全性を世界に訴えたいならば、例えば彼のお孫さん・・・いらっしゃるかどうか知らないが・・・やどこかの園児たちに毎日食べさせる映像を流すべきなのだ。成長期の子供たちが毎日食しても、全く無害であることをアピールしなければ意味がない。
首相もそうだが、まわりにもあのパフォーマンスの馬鹿らしさを感じる人間がいないことに日本の針路の危うさを思わざるを得ない。
投稿日:2023-07-03 Mon
7月2日(日)昼過ぎ、木庭さんに恐る恐る電話をした。木庭さんとは、僕が結婚した時に仲人役をしてくれた大学院の先生の奥様だ。先生はだいぶ前に他界なさったが、奥様はずっとお元気かつ活動的で、一時期は劇作家としてもてはやされたことがあった。とはいえ、もう90歳くらいになっておられるはずだ。しかも一人暮らしをなさっている。
電話の呼び出し音(途中「録音します」と警告があった)のあと、「もしもし」とお声があった。やっぱり元気にしておられた。ほっとしてうれしくなり、こちらの声も弾む。名前を名乗ると、すぐに反応してくださった。
奥様の近況をいろいろお聞きしたが、生活に一番の不自由は眼がよく見えなくなったことらしい。しかし、会話の中に通底音のように流れているのは、長く生きながらえていることの寂しさ辛さだ。友人も家族もほとんどおつきあいがないらしい(子供はいなかった)、ご友人達はみな他界してしまったそうだ。なんども「長生きの辛さ」とおっしゃっていた。お手伝いさんが週五日ほど通ってくる以外、口を聞くこともないらしい。幸いお耳とお声は問題がないので、電話でのそんな語り口がしっかりしている。それにしても、92歳のお年の方に何を言って励ましてよいのか、なんども言葉を失ってしまった。
思い切って、8月にフランスに行こうと思っていると言うと「あら、いいわね」ととても喜んでくださった。そのため、「帰ったら、土産話の電話をします」と約束してしまった。
「あらっ、それまで生きていないかも」と奥様。僕もそうだが、先のことを考えるバカらしさをいつも感じるが、90歳を過ぎるまで年をとると、「先」がまったくなくなってしまうのだろう、相手を沈黙させる力がある。「ほんと、長生きしてしまうのも困ったものよ」となん度も繰り返す奥様に、当方はなんにも答えられず、曖昧にむにゃむにゃいうばかりだ。
「では、また電話します」と言って受話器を切った。切った後、僕の曖昧で締まりのないむにゃむにゃが録音されているのだな、とふと思った。
投稿日:2023-06-24 Sat
先日来、テレビもネットもタイタニック号残骸ツアーの潜水艇に関するニュースでかまびすしい。話によると、その潜水艇に乗船するのにひとり3千5百万円もの大金がかかるらしい。この事故(6月19日)が起こって以来、まずは行方不明になったため乗客の安否が、ついで潜水艇の行方が話題となった。結局は爆縮したという結論に達し、今は潜水艇の発見探しに話題は移っている。そのためかどうかわからないが、6月14日に起こった難民船の沈没事故・・・死者6百人とも7百人とも言われている・・・のニュースは少なくとも日本ではぱたりと消えてしまった。新たな海難事故を前に、難民船の事故など興味を引かないのだろう。多数の死者も多くの子供たちの犠牲も、タイタニック号の残骸見学用の大スター(その名もタイタンという)を前に霞んでしまうものなのか。潜水艇の乗客たちのひとりひとりの人物像が紹介されている。そんなことにも話題性があるのだろう。難民船の犠牲者たちについてはまるで升で計っているかのようだ。
だが、海に沈んだ船の見学に大枚をはたいて喜ぶ心理など単なる金持ちの道楽としか思えない人間にとっては、そんなニュースはとても喫緊の最重要問題とは思えない。地球温暖化問題もしかり、難民問題もしかり、国家間の貧富の格差問題もしかり、世界的な視野に立った衛生問題もしかり、様々な問題が今や地球規模で起こっている。それなのに世界の富は、一部の富裕国の一部の人たちに握られている。それが現状だ。
日本でも、お金持ちの人が道楽とも思えるような宇宙旅行をしたとニュースにあった。その時もマスコミは嬉々としてその人物を取材していたので、げんなりさせられたのを覚えている。もちろん、そういうお金持ちたちは慈善事業もしているだろうが、問題は、今回のタイタニック号残骸ツアーもそうだが、マスコミが単なる金持ちの道楽=話題性だけで常に大きく取り上げることだ。たまたま今回は事故死という悲劇となったことでさらにニュース性が増したのは理解できるが、それにしても地球規模で人類が抱えている問題と思える地中海の難民船難破のニュースがそのために雲散霧消してしまうとは・・・。
昔、タバコをやめたのをきっかけに、以来1日50円の寄付を国境なき医師団にしている(タバコ一箱分の250円でないところがきまり悪い)。それまで、何のためにもならないことにいかに金銭を使っていたことか(国に税金を払ってはいたが、煙で周りを汚していた)、痛く反省したからだ。が、貧しいものにとって、世界的な規模での援助行動はとても限られている。ケチな話で恥ずかしい。
宇宙ロケットや潜水艇に莫大な金額をかけるような人たちの道楽のニュースに接するたび、己の惨めさを痛感するとともにひどくうんざりする。難民たちの沈没事故のニュースに、船の一艘も進呈できない己の無力さが恨めしくなる。
付記 : 宇宙に行った日本人のお金持ちが、タイタニック号残骸ツアーの潜水艇の乗組員たちに哀悼の意を表明している(お仲間同志)。彼もマリアナ海溝に潜ろうと計画しているらしい。
投稿日:2023-03-12 Sun
先月、高校時代の友人から手紙が届きました。自然と人間との共生によって人間回復を希求する哲学者内山節氏の講演会への誘いでした。手紙によると、退職した現在、友人自身も農地を耕す農民として暮らしていると言っています。内山氏の哲学を実践しているのでしょう。数年前古稀を記念して行われた同期会を前にして、そのS君から、突然電話があり(同期会の幹事から番号を聞いたのでしょう)、まさに半世紀ぶりに再会しました。「生きていましたよ」久々顔を合わせたときの彼の台詞です。それは、決してオーバーな表現ではありません。彼は、太平洋戦争後、戦地で行方不明になっていた帰還兵のようでした。学園闘争真っ盛りのなか、W大に行ったまま、僕たちの周りから消えてしまって、消息がわからなくなっていたからです。
中学生の頃から詩人や作家になりたいという漠然とした夢を抱いていた僕は、高校に入ると文芸部に入り、青臭い詩や小説を書いたり、読書会で部員たちと議論を戦わせたりしていました。その中にS君がいました。彼は、僕とは次元の違う読書量と文章能力を有していました。サルトル、カフカについては彼に教わった記憶があります。
卒業アルバムの文芸部の写真には、男子3名女子4名が写っていました(彼の手紙に同封されていました)。もう一人の男子部員は、あの学園闘争の後、外国に闘争の場を求めて異国の地に行きました。それ以来、彼がどこでどうしているか生死さえわかりません。真面目で一徹な彼は、高校卒業後に会った時に「武力闘争しかないんだ!」と叫んで席を立ち、背中を見せて敢然と去りました。今思い出すと、白黒映画の一場面のようです。
M君に返事を認めました。今その返事を読み返してみると、書きながらいつの間にか昔の感情に浸るかのように、思いのままに書いているのに驚いています。50年という月日が経っても、文を書きながら頭に浮かんでくるS君は高校の時の顔をしていたのです。最後に「反論無用」と思わず書いてしまいました。たぶん、彼と議論をするといつも負けてしまうことを思い出したからでしょう。
返書は以下の通りです。
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