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石田明生

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『レ・ミゼラブル』体験記・・・雑感(2)
 ところで、作者ユゴーはここで提示、というより吐瀉している膨大な下水道の知識をどうやって仕入れ、保存しておいたのだろうか。解説(訳者の佐藤朔氏)に依ると『レ・ミゼラブル』は一八五十年代のユゴー亡命中に書かれたということだ。この下水道の話に限らないが、この小説全体に詰め込まれた知識のアマルガムの放出はパリから遠く離れた異国の島(英仏海峡)で、一体可能なのだろうか。もちろん可能だった。この小説がそれを証明している。ではどうやって?・・・やめておこう、天才は天才だ。考えてもどうせ凡夫の想像の域を越えることはないだろう。

ロダン作.JPG
ヴィクトール・ユゴー像(ロダン作)
ヴィクトール・ユゴーの家にて



 作者はこともなげに次のように細かい数字を読者に開陳する。

 《それ(下水道)は地中に住む、触覚が千本もある暗黒の腔腸動物で、上の都市と同時に下でも成長する。市が一本の街路を通すたびに、下水道も腕を一本のばす。旧王政は二万三千三百メートルの下水道をつくっただけで、一八〇六年一月一日には、パリはまだそこにとどまっていた。・・・(中略)・・・ナポレオンは、四千八百四メートル、ルイ十八世は五千七百九メートル、シャルル十世は一万八百三十六メートル、ルイ・フィリップは八万九千二十メートル、一八四八年の共和政府は二万三千三百八十一メートル、現政府は七万五百メートルを建設し、今では、全体で二十二万六千六百十メートル、つまり六十里におよぶ下水道で、パリの巨大なはらわたとなっている》(『レ・ミゼラブル』第五章p.154)

 このようにして作者は下水道の歴史と、現況を、市の土木課や衛生課顔負けの該博な知識で報告書を作り上げる。が、この報告書はもちろん単なる役所の書類ではない。あくまで文学作品だ。作者はジャン・ヴァルジャンが瀕死のマリユスをかついで行く地獄行きを着々と準備しているのだ。

 《十世紀の間、下水はパリの病気だったと言えよう。下水道は市が血液の中に持っている毒である。その点で民衆の本能はまちがったことはなかった。
 以前は、下水掃除人夫の仕事は、恐怖の的となり長いこと死刑執行人に任せられていた畜殺人の仕事と同じほど危険であり、同じように民衆からきらわれていた。・・・(略)・・・さまざまな恐ろしい言い伝えが、この巨大な下水道を恐怖で包んでいた。人間の革命とともに地球の革命のあとをとどめていて、ノアの大洪水の折の貝殻からマラーのぼろにいたるまで、あらゆる大変動の足跡が見いだされる、人びとに恐れられた巣窟であった》(『レ・ミゼラブル』第五章pp.159-160)

 ジャン・ヴァルジャンは真っ昼間の街路から真っ暗闇の下水路に、《喧噪から静寂に、荒れ狂う雷から墓の沈滞に》(『レ・ミゼラブル』第五章p.161)いきなり入り込んだのだった。かすかな光をたよりに、彼はマリユスを背負って歩き始める。が、下水路が二股に分かれたところで、どっちを行ったらよいのか。傾斜があれば下るべきか、上るべきか。

ミゼラブル.JPG
マリユスをかついで下水道を行くジャン・ヴァルジャン(下水渠見学コースにある絵)


 彼のたどった下水道を、パリの地図で見てみよう。
 彼がもぐった地点は、市場の北側、小説にも書かれている「小トリュアンドリー通り」の辺りと思われる。彼はそこを五十歩ばかり行って二股にぶつかり、のぼりになっている右の道をとる。これは、モンマルトルの下水道だった。つまり、彼は地図で言えばサン・トゥースタッシュ教会の手前を右にとり、モンマルトル通りを北西に向かったということになる。
 次に彼は現在の九区にあるプロヴァンス通りとの交差点あたりで、左に大下水道をとった。これは環状になった大下水道で、右はのぼりでメニルモンタンの方に行く。作者は丁寧に彼の行くべきではないこの右の道についても説明を惜しまない。

二股.JPG
二股に分かれている下水道
右が本管


 ジャン・ヴァルジャンのとった道は正しかった。もちろん彼は知らないのだが、次にラフィット通り、ショセ・ダンタン(現在のデパート「ブランタン」の辺り)、ついで、アンジュー通り(マドレーヌ近く)に行く。そのマンホールからだろう光が差し込み、明るいのでひと休みする。その時、マリユスのポケットにあったパンを食べる。
 パンを食べて元気が出たが、彼はシャン・ゼリゼ(もちろん彼は知らない)を突っ切るときに陥没抗に落ち、もう少しで砂地獄に呑み込まれるところだった。それもなんとか、脱して彼は先に進み・・・それにしても何という体力だろう!・・・ついに、出口を見いだす。
 外は日が暮れかけていた。ということは八時半頃ということになる(夏至に近い六月六日だった)。ジャン・ヴァルジャンは十時間近くもマリユスをかついで地下を歩いていたのだ。
 彼は、たぶん(これは筆者の推測)現在のロン・ポワンあたりでシャン・ゼリゼを突っ切り、モンテーニュ大通りの下水道をたどったのだろう。というのは、彼が見いだした出口は、セーヌ河岸の現在のアルマ橋付近と思われるからだ。というのは、《右手の下流には、イエナ橋、左手の上流には、アンヴァリッド橋が見え・・・(略)・・・パリで最も寂しい地点の一つで、グロ・カイユーに面した土手だった》(『レ・ミゼラブル』第五章pp.192-3)とあるからで、当時まだ、アルマ橋はなかった。
 現在、下水渠見学の入り口はアルマ橋のたもとにあるが、残念ながら、ジャン・ヴァルジャンが辿り着いた右岸ではない。橋を渡った左岸にある。また、下水道見学の順路をたどっても・・・見学した時もらったパンフレットの地図を見ているのだが・・・セーヌ川を越えていない。仕方ないだろう。この下水渠見学はジャン・ヴァルジャンの足跡をたどるためのものではないからだ。
 ただし、このパンフレットに不思議なことが書いてあるのに気付いた。それは、先に出た下水道のコロンブスこと、ブリュヌゾーについての説明に、「ヴィクトール・ユゴーの友人ブリュヌゾーはナポレオンの要請に応じて、存在する下水道網の完全な見取り図を作成した」とあるからだ。小説にあるようにブリュヌゾーが調査を始めたのが一八〇五年だとすると、一八〇二年生まれのユゴーはその時三歳だった。ブリュヌゾーは何年生まれだったのだろうか。調査した時二十五歳としたら、ユゴーよりも約二十歳年上ということになる。もちろん大人になれば、二十や三十、年齢の違う友人がいてもおかしくはない。
 それにブリュヌゾーが友人ならば、彼の下水に対する思い入れと知識(情熱と言ってもいいほどだ)は、納得できる。残念ながら、ブリュヌゾーという名はラルースに載っていない(いずれは調べる予定)。

 ところで、セーヌ河岸まで辿り着いたジャン・ヴァルジャンはすんなり外界に出られたのだろうか。それがそうではないのだ。下水道の出口にはどんな怪力でもびくともしない鉄格子がついていて、鍵がなければ絶対開かないようになっていた。もちろん戻ることなど論外だ。外気を吸い、目の前に自由な世界が開けているにも関わらず、またもや絶体絶命に陥るジャン・ヴァルジャン・・・
 読者を飽きさせないために、作者はいささかサービス過剰とも思えるほど、仕掛けを次々しかける。さて、この困難を超人のごときジャン・ヴァルジャンはどうやって乗り越えるか。

 話はこの辺にしておこう。あまりストーリーと種を明かさない方がいいだろう。第一、ジャン・ヴァルジャンがたどった下水道の道筋はほぼ判明している。目的は達成している。
 最後に一言。
 下水道見学をしたと、学生に言ったら、「臭くなかったですか?」と訊かれた。ほとんど気にならないほどだったと答えたが、その時、ふと思った。小説の中では臭気のことがほとんど書かれていなかったのではないだろうか。少なくともジャン・ヴァルジャンが悪臭に悩まされている様子はない。これは一考に値する。
 というのは、現在の下水道見学で悪臭がないのは当然だが(あれば見学者がいなくなる)、一八三二年当時、いやいつの時代でも、下水道は「臭くて」当たり前のはずだ。それが小説では一言で済まされている。
 下水道に入り込んだジャン・ヴァルジャンは、目がくらんで何も見えなくなる。まさに手探り状態だ。
 《臭い空気で、ここがどこかがわかった》(『レ・ミゼラブル』第五章p.162)
 臭いに関しては後にも先にもこれだけだ。実際《臭い空気》程度だったのだろうか。もしそうなら、下水道見学の時とそれほど変わりがないように思われる。そんなことありうるだろうか。そこで原語に当たってみると、fetidite(ふたつのeにアクサンテギュ)という語が使われていた。これは《臭い空気》と訳すには弱すぎるような気がする。ズバリ「悪臭」を意味する語だ。つまりジャン・ヴァルジャンは「悪臭がむっとするのでここがどこかわかった」のだ。
 とはいえ、その後彼が難儀に難儀を重ねる下水道からの脱出中に「悪臭」禍がないのを不自然に思うのは筆者だけではないだろう。
 そう考えると、この小説全体を通して臭い(匂い)についての描写が少ないという印象をどうしてもぬぐうことができない。ユゴーは嗅覚に関してどうだったのだろうか。敏感だったのだろうか。それとも・・・


・・・『レ・ミゼラブル』雑感(3)に続く・・・
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文学雑感 | 23:53:05 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
ふーむ
携帯からコメントしてみました。
いやはや、最後の部分は同感です。夏目そーせきの坊っちゃんあたりで和式トイレがあったような気がしますが、そのときは結構嫌がる具合が分かりましたもんね(笑、度合が違う?)
参考になりました!
2007-11-11 日 04:11:25 | URL | titanx2 [編集]
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