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石田明生

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スウドクに毒された我が家
数独に「毒」された我が家

 今我が家では数独がはやっている。なにをいまさら、と思われるかもしれないが、やりだしたら止まらない。
 他の新聞は知らないが、毎日新聞の夕刊の一面に必ず初級の練習問題が載っている。今では夕刊が待ち遠しいくらいだ。新聞の問題のマス目を数字で汚すと他の者ができなくなるので、コピー用紙に作った我が家専用のマス目に問題を写す。そうしたほうが大きくなって数字が見やすいのだ。なにしろ我が家では老眼が三名中二名という高率だから。


 先日、少し自信が出てきたので、夕食後いっせいに勝負をした。食卓を片付ける間も惜しんで、大のおとな三人が食卓でせっせとマス目に向かっている姿を想像してほしい。平和と言えば平和だし、呑気と言えば呑気、小市民的風景丸出しだ。
 まず息子があっという間に完成して、自分の部屋に上がってしまった。食卓に残った妻と二人、差しの勝負になったが、結局このときは、妻の方が早く完成させた。優越感にひたりながら、必死に格闘している姿を見下ろしている妻を意識して、僕はますますあせる。あせると碌なことがない。やっている方はご存知だろうが、完成かと思われる、最後の最後に矛盾に気付き、悔しい思いをする。
 もちろん、一日一度の夕刊だけでは足りなくなる。そこでインターネットの力を借りることにした。あるある。初級から上級までさまざまな段階の問題が次から次に出て来る。それを我が家専用のマス目に写す。時々、写し間違えることがある。これは始末悪い。特にインターネットから拝借した問題はひどいことになる。というのはどういうわけか、インターネットの問題は一度しか出ないからだ。
 どうしても完成しないので、あらためて問題を確認しようとしてもダメだ。だから、悲惨なことになる。夫婦二人でできないと、写し間違えではないかと、すぐに結論づけたくなるのが、人情だ。今朝、その困り果てた問題を息子が完成させた。写し間違えではなかったのだ。
 まだまだ初心者、上級までの道のりは遠い。ボケ防止に少しは役立つだろうか。
 ところでこの数独、フランスでもかなりはやっているらしい。それを反映してか、「スウドク」はフランス語でsudokuと言い、立派なフランス語になっている。今や、フランスの新聞や雑誌にはおなじみのクロスワード(フランス語で「モ・クロワゼ」)と並んでこの sudoku も不可欠となっているらしい。もともと、日本人には信じられないほどのクロスワード好きの国民、数独好きも日本人を越えるかもしれない。
 この「スウドク」のルーツは諸説あるらしいが、フランス語の教科書『ヴァリエテ・フランセーズ 2007』によると、《アメリカ生まれのイギリス育ち、曾祖父はフランス人》らしい(注1)。日本は名付け親という名誉を与えられたわけだ。
 ところが、この日本語の「スウドク」という名前に僕はなじめなかった。そのために今までこのゲームに手を出さなかったと言っても過言ではない。実は今でも好きな日本語ではない。
 新商品、あるいは新しい遊びに日本語がつけられるのはいいことだ。それどころか、あまりに外来語が安易に使われ過ぎるといつも胸を痛めているほどだ。それが僕の専門のフランス語であっても同様だ。そう、僕は言葉に関しては、もしかするとひどく保守的かもしれない。下手な外来語よりも美しい日本語を使ってほしいと常々思っている人だ。だから、携帯電話が、外来語全盛時代に「ケータイ」と呼ばれているのはとてもうれしい。もっとも「ポータブル」とすると、日本で別の意味合いが強過ぎると考えて、嫌われたのかもしれないが。
 「スウドク」という単語がなぜ嫌いかって?
 「スウドク」と聞くと(最初のうちは特に)、まず数字の数(スウ)に「毒」という漢字をどうしても想像してしまうからだ。何だか、数字に毒された、そんな感じがしてしまうのだ。もっとも、数字大好き人間にとってはそれでいいのかもしれない。
 数独は、数字をマス目に埋める孤独な行為だから、数独と命名されたと耳にしたことがある。もしそうなら、その名付け方(しばしばこの表現をするとき、「ネイミング」と外来語が使われているが・・・注2)のどこかに、「開き直り」や「自嘲」の気持ちが潜んでいないだろうか。そのために、この名前に「明るさ」や「未来」を予想させる語感がどうしても感じられないのだ。
 まあ、仕方ない。今は、この「スウドク」という名前に慣れ親しみ、僕の日本語のボキャブラリー(外来語だ! 「語彙」というよりもいくぶんか「使用語彙」という意味合いが強いか)としてこの単語を受容しようと努力している。

注1) 19世紀末、フランス人は今の数独と同様の遊びをしていたらしい。最も古いものは、1895年7月6日の「フランス」という日刊紙に登場しているということだ。(『ヴァリエテ・フランセーズ 2007』による)

注2) だいぶ前になるが、ということはこの「ネイミング」という外来語がはやりだした頃のことだが、ある有名大学が23階のビルを建設した際に、その新校舎の名前を募集したポスターに次のように書かれていたことを思い出した。大学のくせにあまりに愚かしい表現だったので覚えていたのだ。
「新しい校舎のために、ネイミング募集」
 ちなみに決まった名前(ネイミング?)は「リバティータワー」だった。そう言えば先日、ここの展望レストランで食事をしたっけ。
 もちろん、件のポスターは「名前を募集」で必要かつ十分に用を満たしているはずなのだが。
 外来語嫌いのスキピオにとって、もっとも耳障りなのがこの英語の現在分詞形の多用だ。なんでも –ing をつければいいと思っているのだろうか。これもあまりのことで覚えているが、ある立ち食いそば屋さんで、「次のものをトッピングにどうぞ」と壁に書いてあった。トッピングとは「蕎麦の上に載せる具」のことだと思うが、その品書きの中に卵や天ぷらと並んで「おむすび」と「お稲荷」まであったのにはぶったまげた。
 このくらいにしておこう。外来語の話はまた別の機会に譲りたいから。
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日常スケッチ | 17:52:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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