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外来語こぼれ話(1)・・・ヘボン博士 対 オードリー・ヘップバーン
 前回、スウドクについての記事の注で外来語のこと、特に –ing 形の乱用のことに少し触れた。やたら外来語を使う文章や会話になじめないし、なじみたくないというのが本音だ。可能ならば日本語で表現した方がいいと思っている。そういう意味で、僕はひどく保守的かもしれない。
 そうは言っても、言葉は生き物、いろいろな影響を受けながら成長(変化)していくものだ。ここでは外来語をあれこれ考えたい。


 外来語と言ってもさまざまだ。江戸時代以前、あるいは江戸時代に入った外来語は今や日本語に完全に定着し、かえって味わい深くなっているからおもしろい。たとえば、「お転婆」「半ドン」などは生半可な日本語よりも風情がある。鎖国時代でも唯一貿易をしていたオランダから入ってきた言葉だ。もっとも最近は、あまり「お転婆」という語を聞かないし見なくなった(お転婆な女の子はいまでもいると思うが、なんと呼ばれているのだろう)。死語になりつつあるのだろうか。「半ドン」はほぼ死語と言ってもいいだろう(今は、半日と言うのが普通だが、この「半日」という単語は「半ドン」の直訳ではないようだ。つまり、半分のドンタク[日曜]だから半ドン、半分の日曜だから「半日」ではなく、1日の半分だから「半日」となる。というのは、「はんじつ」とも読むからだ)。
 これだけで即断はできないが、どうもオランダ語からの外来語は分が悪いようだ。対して、「パン」「カルタ」「天ぷら」「カステラ」などポルトガル語からの外来語は、今でも健在だ(これらと比べると「コンペイトー」は最近元気がない)。これらの語は、秀吉のバテレン追放令以前、信長の時代に入ったものだろう。だから定着度が違う、と結論づけるのは早計かもしれない。たとえば、江戸時代に盛んに使われた(と思われる)「ビードロ」(ポルトガル語)は完全に死滅しているからだ。
 理由は、言語学者ではない身ゆえ推測の域を(常に)出ないが、江戸時代の「ビードロ」というガラスはあくまで特定のものに限られていた(例えば「ビードロを吹く女」)のに対して、江戸時代唯一の欧州貿易国のオランダから現在の「ガラス」(オランダ語 glas、英語も同じだが glass)に近いものが入ってきて(いわゆる板ガラス)、言葉もそのまま日本語になったのだろう。ところがここでおもしろいのは、この glas の発音を昔の人が聞いた時、「グラス」と聞こえないで「ガラス」と聞こえたことだ。
 これには先例がある。戦国時代に明智光秀の娘で細川家に嫁いだ細川たま、洗礼名ガラシャという悲劇の女性がいたことはつとに知られているが、この「ガラシャ」は、ラテン語 gratia 「グラシァ」(恩寵の意)がなまったものだ。つまり、当時の人たちには「ガラシャ」と聞こえたのだろう。もっとも今でももしかするとそう聞こえるかもしれない。が、今ではどうしても綴りを意識するので、発音も綴りに従ってしまう。たとえば、先ほどのガラスも後になって新たなガラス製品が日本に入ってきた時、「グラス」と称した。だから、「グラス」は同じガラス製品でもウィスキーなどを飲む「グラス」に限定されることになった。ところが、ここに問題が生じる。「グラス」を狭い範囲内に押し込んだのはいいが、ガラス一般の製品が最近次々誕生するのにそれを表現するとき、綴り上明らかな間違いの「ガラス」を今さら使うわけにはいかず、「グラス」を「ガラス」の意味で使うはめになってしまった。「グラスファイバー」や「ステンドグラス」がそれだ。ガラスファイバーとかステンドガラスとは言いづらかったのか(注)。
(注)このステンドグラスのステン stain という語は、ステンレスという日本語となると、俄然おもしろくなる。というのは、サンウェーブのポスターで「ステンキャビ」という表現を見たことがあるからだ(今でもあるだろうか?)。これはもちろん「ステンレス・キャビネット」の縮小だということはわかる。ところが接尾語「レス」は名詞に付けば打ち消しを意味し(endless)、動詞に付けば「しがたい」の意味だ。当然「ステンレス」は「よごれにくい」だから、きわめて妥当な命名だ。が逆に、「レス」がなくなれば、「よごれる」だ。だから、「ステンキャビ」は「よごれる台所」を想像させ、おおごとになる。
 だから、江戸末期から明治時代に大量の英語が侵入してきた時、まずは発音優先現象がおこり、時代の流れとともに次第に綴り字優先へと変化していったのだと思われる。あまりに有名なのが「水」の英語「ワラ」がある。確かに、アメリカ人の発音を聞くと「ワラ」に聞こえる。ところが、いかにそう聞こえても現代人は「ウォーター」と表記するだろう。綴り字優先の典型だ。
 今「アメリカ人」と言ったが、これもかつて「アメリカ」とは表記されていなかった。今でも耳にする「メリケン粉」「メリケン波止場」のように、「ア」が欠落していたのだ。これもやはり、どんなに耳を澄ませてもアメリカ人の「アメリカン」の発音は「メリケン」としか聞こえないからおもしろい。この種の外来英単語では「ミシン」(machine)と「マシーン」、人名では「ヘボン」(Hepburn)博士とオードリー・「ヘップバーン」がある。他にもたくさんあると思う。教えていただけたらうれしい。
 ところが、どうぐれたのか、逆のケースもある。「アイロン」(iron)と「アイアン」だ。現在鉄の外来語として「アイロン」を用いている人はいない。例えば昔はやったレスラーに「アイアン・クロー」というのがいたが、彼を「アイロン・クロー」とは呼ばなかった(これだと熱い爪の男?)。あるいは、ゴルフ場で今度は何番「アイロン」で打つか、とは言わない。昔特定の道具を綴り優先で発音表記した語が日本語としてすっかり定着したので、使いにくかったのではないか。
 以上のことは、日本人が外来語受容の歴史の中で、同じ語を発音表記の違いによって意味を使い分けるというきわめて器用なことをしてきた証左でもある。たとえば、「コップ」(オランダ語)と「カップ」(英語)ももともとは同じ語だが、コップはガラスの器で、大柄のものを示す(小柄はグラスだが、ワイン用のは「ワイングラス」)のに対して、カップはコーヒーや紅茶用の器だ(時にはガラス製もあるが、あくまで形態優先)。
 日本語の「茶碗」のていたらくと比べたら、この「コップ」「カップ」「グラス」の使い分けは立派なものだ。今「茶碗」と言ったら、どんな形態が思い浮かぶだろう。字からするとお茶を飲む器ということだが、むしろ「ご飯茶碗」を意味していないだろうか。お茶を飲む器としてはむしろ「湯のみ(茶碗)」と呼ばれる。本来の茶碗は、もちろん茶の湯の世界では健在だが、日常生活では「カフェオレ・ボール」に負けそうだ。まあ、これは余談だが。

《続く》
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外来語こぼれ話 | 17:46:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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