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BHVと「世界最大のカフェ」グラン・カフェ・パリジャン
2月14日(木)快晴、風

 聖バレンタインの今日もピピ・カカ夫婦はやってきて、ミカンを食べていた。彼らにとっては、チョコレートよりもミカンだ。夫婦並んだところを写真に撮りたいのだが、なかなかひとところで一緒にならない。
 ヒヨドリの姿が今日は見えない。彼にも名前をつけなくては、と思っているのだが。

 さきほど、ぼんやりと19世紀パリの年表を見ていたら、次のような項目に目が止まった。

 1857年 グザヴィエ・リュエル Xavier Ruel による「BHV (Bazar de l’Hôtel de Ville)」の創設・・・公然とカフェで喫煙する習慣の普及。『パリのカフェ史』の著者が次のように書く。「葉巻とパイプ、蔓延す」


 パリ市庁舎の隣にあるデパートBHVがこんなに古かったとは。世界で一番古いデパート「ボン・マルシェ Au Bon Marché」 もそうだが(1853年)、最初から同じ場所にあるのがおもしろい。
 そしてなによりもおもしろいのは、カフェでも喫煙の風習がこのころはじまったということだ。
 そして、今年から、「カフェ等の公の場所での喫煙」が禁止になった。カフェと喫煙は、約150年の関係だったというわけだ。
 カフェと言えば、この頃「世界最大のカフェ』として『パリ歴史物語』(原書房)で紹介されている「グラン・カフェ・パリジャン」がオープンしている。これによると、ビリヤード台が30台、ボーイの人数が100人あまりで、ある一日の資料によると(1857年)、ジョッキ・ビールが7650杯、コーヒーが4800杯、グロッグ酒(ラム酒やブランデーを佐藤湯で割ったもの)が3150杯出たという。

カフェ・ハ#12442;リシ#12441;ャン
1863年度版『LE GUIDE PARISIEN』(ブルーガイド)のさし絵から転載

 写真中にも見られる《万能時計(クロノロゴメートル)》が、当時の技術の粋を行く目玉だったらしい。『パリ歴史物語』によると、秒、分、時、日、月、年、世紀のみならず月相まで示す逸品だったとか。値段は、一般労働者の平均的年収が千フランにもならない当時、六万フランもしたと、注がある。
 ちなみに、ブルーガイドには「大きいというだけで、取り立てて言うべきことはない』と実に素っ気ない。他のカフェ紹介ではアイスクリームや客層などを取り上げているのに・・・
 この世界最大のカフェは、図体が大きいだけに、長持ちはしなかったようだ。約25年の寿命だった(1880年)。

 また、BHVの話に戻るが、この創設者のリュエルという人、まるで映画のヒーローのようなお手柄がきっかけで、立身出世したらしい。
 それまでは露天業などをしてメリヤス製品などを売っていたらしいが、1855年のある日、店の前をナポレオン三世の妃ウージェニーが馬車で通りかかった。
 こともあろうに、妃の馬車をひく馬が突然暴れだして、手がつけられなくなった。その時、リュエルは西部劇さながら、先頭の馬に飛び乗り、荒馬を鎮め、ことなきを得たと言う。
 お手柄で得た報奨金を元手に、勇敢な商人は店を拡大した。その時、彼は店名を「バザール・ナポレオン」としたそうだ。
 1866年、「オテル・ド・ヴィル」の向かい、リヴォリ街に店を移した。現在の店名「BHV オテル・ド・ヴィルのバザール」はその時付けられたのだろう。1900年に彼が亡くなった時、従業員は800人を数えるほどの規模になっていたそうだ(Wikipédiaより)。
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雑感 | 15:45:51 | Trackback(0) | Comments(1)
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2014-08-30 土 17:59:56 | | [編集]
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