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外来語こぼれ話(6)・・・KYとHとGJ
 バソコンは英語で言うと PC ということになるだろう。なんの実体も喚起しないアルファベットの頭文字とは寂しい気がするが、いつも使っている人にとっては、そんなことはないのだろうか。この「PC」、最近日本語でも使われつつあるが、どちらかと言うと書き言葉のような気がする。会話で「君のPCはなに?」というよりは「君のパソコンはなに?」と言っている。しかしメールなどでは「僕のPCが壊れてね」というように書かれている。
 このアルファベットの頭文字「PC」が、英語圏の人のように Personal Computer の「PC」ではなくて、「paso con」とローマ字で書いたときの頭文字ならばおもしろいのだが・・・


 というのは、ここ数年、人は、特に若い人たちはほとんどパソコンのワープロ(「ワード・プロセッサー word processor」の略語)機能を使って文章を書いている。かくいう僕もそうだ(別に若者ではないが)。その際、文字入力をする時、ローマ字入力とひらがな入力の二通りの方法があるのはご存知の通りだ。そして、今やもしかするとほとんどの人がローマ字入力で日本語を書いているのではないかと思われる。
 というのは、以前はテレビの画面で、ワープロの入力文字が映し出される時ひらがなの反転文字だったのに(「いぜんは」→「以前は」)、最近はローマ字が用いられているからだ(「izen ha」→「以前は」)。
 僕がひらがな入力で文章を書いていると言うと、まるで宇宙人にでも遭遇したかのように目を白黒されたことがなんどかある。どうやら、ひらがな入力者はこの地球上で宇宙人並みのマイノリティーになったらしい。
 もちろん、この文章もひらがな入力で書いている。ローマ字というのがどうしても好きになれないのだ。特に、外来語を書く時に絶望的な気分になる。たとえば、「フランス」をFuransu とたとえ一瞬でも書くのは、曇ガラスの裏面を爪で引っ掻いて生ずる不快音を耳にしたような気分になる。もちろん、「ワープロ」を「wapuro」と書くのも同様だ。
 そうは言っても、世の中はローマ字時代になっているのも受け入れなければならないだろう。第一、読まされる側はローマ字で読むわけではないのだから、たいした問題ではないだろう(その点、戦後出現したローマ字信奉者たちとは根本的に異なっている)。とはいえ、ローマ字を瞬間的にでも打ち込んで、日本語を書くという作文行為は、これからの日本語を変えて行くだろうと思われる。
 たとえば、このブログに若者からコメントが来た時、その文中に、「見ました(w)。」というような表記があった。最初、この「w」とはなんだろうと思い、息子に訊いたことがある。すると、「笑」のことだと言う。ひらがな入力している人間にはとうてい想像することのできない驚くべき表現だった(「見ました(わ)」は別の意味が生じそうだ)。が、ローマ字入力という立場で考えれば、warau といちいちアルファベットを打ち込むのは面倒だ。とりわけしょっちゅう使用する表現を、アルファベットひと文字で済ませればスピーディーな文章が書けるかもしれない。
 昨年流行した「KY」という表現も、ひらがな入力の人間には想像の絶するものだった。Kが「空気を」の頭文字で、Yが「読めない」のそれだと知ったとき(「w」もひっくるめて)、これこそローマ字入力の新たな略語表現だと奇妙に感心したことを覚えている。
 かつては、ローマ字の頭文字で何かを表現したものというと、KYのように、一つのフレーズを略したものはなかったように思うし、w のように、負の意味でもないのに略することはなかったのではないか(「日本放送協会 NHK」や「大学翻訳センター DHC」など団体名や会社名はよくあった)。
 僕が子供の頃(だったと思うが)、「H」という、負の表現が流行ったことがあった。「あの子はHな人ね」のように用いられたと思う。女の子から「スキピオくんって(当時はまだスキピオではない)、意外とHなのね(思った通りHなのね、よりましか)」なんて言われたら、立ち直れない状態が一週間どころか、学期のあいだ中は続いた。だから、「H」と言われないための努力は怠らなかったつもりだ。
 ところでこのH、どうして「前科者」という言葉と同程度に負の意味合い(「助平」「好色」を表すのに使っていた)があったのだろう。それについて、ある女の子に訊ねたことがあった。すると、
 「えっ、知らないの? Hって、アルファベットでいつもGの後ろにあるでしょ。Gは girl のGで《女の子》のことなの。だから、Hは《いつも女の子を付け回している男の子》のこと」
 この説明にはぶったまげた。それじゃあ、男の子は boy だから、いつも男の子を付け回している女の子は「C」ということになるぞ。そのわりには「C」が流行らない。男の子を付け回す女の子が存在しないはずがない。現に、クラスの○○は同級生には目もくれず、いつも先輩のあとを追いかけている。でも、だれも彼女を「C」とは呼ばないぞ。
 それもそのはずだ。「H」というのは、アルファベットの順番とはなんの関係もなく、ローマ字で「hentai」と表記したときの頭文字だからだ。「あの子は変態だ」というのは口はばかれる、まして女の子が口にする言葉ではなかったので、「H」という無味乾燥なアルファベットで表現していたのだ。
 ご存知の通り、この「H」は進化(深化?)発展を遂げて、現在では元の意味で用いられず、よほど違う意味で定着している。この変わりようは驚嘆に値する。
 先ほどの「H」の説明は間違っていたけれども、当時、女の子のあとを付け回すような男の子を、クラスの女子生徒は「なまり」と言っていた。何だか重そうなこの表現を初めて耳にした時、軽そうな男とあまりにイメージがかけ離れているので、質問したことがある。すると、女の子のあとを付け回す男は「プレイ・ボーイ」で、play boy の頭文字はPB、ところで「Pb」とは元素記号で「鉛」のことだ。だから、遊び人の男の子は「なまり」となる。と説明された。納得。
 ちなみに、当時、「プレイ・ボーイ」の意味で、「ドン・ファン」もよく使われていた。どうして「ドン・ファン」って言うかだって? もちろん、田舎者の僕は、クラスメイトのませた女の子に訊いてみた。返って来た答えは、「えっ、スキピオ君、知らないの? 昔から、あっちではそう言うのよ。そういう人がいたんですって」
 (はい、僕は無知です)
 後に知ることになる文学作品として重要な「ドン・ファン」伝説との出会いは、このときだ。当時、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』とこの「ドン・ファン」が同じだなどと知る由もなかった。
 またまた、脇道に迷い込んでしまった。
 今朝の毎日新聞(2月18日)のコラム「風知草」(専門編集委員 山田孝雄)の出だしの文章は次のようだった(注)。
注:「コラム」は「円柱」の意味だ。横文字の新聞記事は縦線で仕切られているので、柱に見える。だから日本字新聞で「コラム」というのは本来おかしい。

「GJ」
「SGJ」
「CGJ」
  ×  ×  ×
「これは?」
共産党委員長・志位和夫が尋ね、側近が答えた。
「GJはグッジョブ(good job=よくやった!)。SGJがスーパー・グッジョブ。CGJは『志位、よくやった』というところでしょう」
(・・・以下略・・・)

バディ.JPG

 記事の内容は、先日行われた志井共産党委員長の国会質問の追求について高い評価を与えるというものだが、ここで問題なのは、このコラムの冒頭の表現だ。
 KYが出現するのだから、英語の略語は当然なのだろう。さらに、アルファベットの「C」で、「志位」を表している。ここまで来ると、外来語云々と言っていられなくなるかもしれない。
 ローマ字入力による、日本語文章の変容はまだまだ始まったばかりだ。これから、どんな表現が出現し、小説や詩歌にどんな影響を与えるか、楽しみでもあるし、空恐ろしくもある。
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外来語こぼれ話 | 17:17:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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