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石田明生

Author:石田明生
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ハムスター日誌
 昨日、かつて使用していたフロッピー・ディスクを整理していたら、8年前の日誌が出て来ました。題して「ハムスター日誌」。我が家が初めてペットを飼ったとき、なんだかハムスターになった気分でつけた日記です。捨てるのも惜しいので、恥ずかしながら、ここに連載します。

『ハムスター日誌』

1. ぼくがシピオンさんの家にもらわれたこと

 ぼくがこの家に来たのは、ひとがゴールデン・ウイークと呼んでいる五月の初めだった。その日はまったく目の回るような忙しさだった。小学生の女の子と一緒に車の後ろの座席に乗せられ、えんえんとどこかに向かっていった。

かごの中
ぼくの写真



 だいたい車というものがぼくは嫌いだ。
 なんて言ってみたけど、その日初めて車に乗ったんだ(赤ん坊の時あったかもしれないが覚えていない)。でも狭い車内に閉じ込められて、いつもゆらゆらして落ち着きがなく、おまけに変なにおいまでする。と、ここまで書いてみたけど、よく考えてみたら、たいていかごの中に入れられているのに、ぼくが「狭い車内」と言うとおかしいと思うひとがいるかもしれない。ところがどっこい、かごの中にいたって、狭いものは狭いんだ。たとえば、かごを高いところにおいてごらん。やっぱりそれは「高い」と言うだろう。ぼくの体は身長約十センチでとても小さいけど、移動したり、生活したりしているときはいつもかごの中だから、かごがぼくの体の外回りの一部みたいなものになっているんだ。ヤドカリみたいなものかなあ。
 とにかく長い距離を走って、やっと目的地に着いたらしい。車から降りて、黒っぽい、小さな家の呼び鈴を押しているから。
 なんとなくぼくの大嫌いな猫がいそうな雰囲気の家だ。いや、家というより、猫のいそうな雰囲気のところだ。これはぼくにとっておんなじことだ。猫のやつはぼくたちと違ってかごの中で生活しないで、家の中だろうと外だろうとおかまいなく、のし歩くんだ。だから、この家が猫を飼っていようがいまいが、ぼくにとって恐怖感はおんなじことなんだ。なにしろぼくたちは猫が近くに来たというだけで、心臓麻痺をおかしかねない、それほど猫が嫌いなんだから。白状すると、猫にひどく弱いんだ。
 で、玄関に入った。迎えてくれたのは、おばさんとおじさんと少年だった。にこにこして愛想がいいが、この人たちがこれからぼくの飼い主になろうとしていると思うと、本当にひとがいいかどうかひどく心配だ。きっとぼくはこの家にもらわれて来たんだと思う。車の中で小学生の女の子がさかんに「お別れね」を連発していたから。
 この女の子の家にいる時はとっても居心地がよかった。なにしろぼく以外に仲間がいたからね。いくら違うかごに住んでいても、近くに仲間がいるととっても心強いものなんだ。しかもその仲間が女の子だったんだから。「パールちゃん」といって、本物の真珠のように白っぽい色をしてかわいい子だったよ。そのうえ、家はマンションだったので、猫の気配なんてちっともしなかったし・・・なによりも、その家の小学生の女の子がとってもぼくをかわいがってくれた。なんだか知らないがいつもぼくのことを「小ジャン、小ジャン」と呼んでいた。その家にひと月ぐらいいたかなあ。
 だからぼくの幼年期は幸せだったと言えるんだ。
 でもきっといつかは独り立ちしなくちゃいけないんだろう。べつにぼくはこの家に来たことを悲しむつもりはない。えさに困らず、かわいがってくれればそれでいいんだから。
 「どこに置こうかしら」
 などとまるで品物みたいにぼくのことを扱っていたけど、結局、この家のおばさんが「ここにしよう」と言って、ぼくを玄関の下駄箱の上に置いた。
よりによって、招き猫のとなりだった。まあ、この猫は悪さをしそうもないからいいけど、この家の人たちはあまりデリカシーというものがないことは確かだ。これからが少しばかり思いやられる。
 かごの中の小屋にこもってなるべく寝ている振りをしていよう。
 そうしているあいだ、ぼくの引き渡しの一種の儀式なんだろう、今度の家の三人はぼくの育て方を教わっていた。
 えさのあげかた、ヒマワリの種は「小ジャン」の大好物だがやりすぎると脂肪分のとりすぎになるから注意せよ、とか、一週間に一度はかごの中の掃除をすること、とか。いろいろやっていたよ。
 まあ、ぼくはどっちにしても気楽なもんだがね。ぼくが注意しなくてはならないことなんてなにもないから。
 そういうわけで、ぼくはシピオンさんちのペットになったというわけだ。

2. ぼくの名前

 さてその日の晩、このうちのおじさんが息子に重々しく言った。
 「このハムスターはCの入学祝いにもらったんだから、もし今までの名前、なんて言ったっけ?」
おばさん、「小さなジャンガリア・ハムスターだから、小ジャンと呼んでいたんだって」と、横から口を出す。
「もし今までの名前がいやだったら、Cが責任を持って名前をつけてやらなくてはいけない」ふたたびおじさん。
 これは驚いた。ぼくはこのうちの少年の入学祝いでここにもらわれて来たんだ。Cという子の年齢を考えると、どう見ても小学校ではないし、それどころか、にきび面から判断すると中学校でもないかもしれない。ということは、高校か、大学ということになる。どっちにしても驚くべきことだ。女子高生や女子大生なら、話には聞いたことがあるけど、男子学生にもらわれるなんて聞いたことがない。Cという少年はよほど知能の遅れた子なのだろうか。でもCの様子を見ると(感激度が少なすぎる!)、このプレゼントはどうも本人の好みで選ばれたものではなかったようだ。
 そのCはぼくの名前をつけるのにどうしてよいか悩んでいる。
 またおじさんが言う。
 「迷い込んだ蝿(はえ)やゴキブリを除くと、なにしろわが家で生き物を飼うのは初めてだからね」
 「いや前に、ヨーグルト菌を培養したことがあったよ。あれだって生き物だよ」
 Cの台詞。おいおい、ヨーグルト菌なんかと一緒にしないでよ。冗談じゃない。
 「そうだそうだ、生き物を飼うということでは二回目だな。でもあれには名前をつけなかったし、つける必要もなかった。今度はそうもいかないだろう」うなずきながらおじさん。
 「確か、オスだったな。だからといって、あまり強そうな名前も変だろうな。シーザーとか、アレキサンドロスとかでは」
 「うーん。なにがいいかな。強そうな名前は変だね」
 Cはぼくのほうを見てうなずいている。確かに、ヘラクレスとかジャイヤント・馬場という名前にしないでほしいものだ。
 「あしたでもいいんじゃない。ゆっくり考えたら」おばさんが口をはさむ。
 長い一日が終わった。といっても、ぼくはみんな寝静まった夜にひとりでのびのび遊ぶんだけどね。

3. ぼくの脳みそ

 さて翌朝、まずおばさんが寝ぼけ顔で二階から降りてきて、ぼくのかごをのぞき込む。
 「おまえ、元気かい? 新しいおうちはどうでちたか?」
 もちろんこんな下らない質問にぼくはいちいち答えない。だいいち新しいうちと言っても、ぼくのかごの中の家はなにも変わっていない、新しくなんてないんだ。それから「どうでちたか?」とはなんて言い方だ。ぼくはもう生後二か月は過ぎてんだから赤ん坊なんかではない。
 「おはよう、どうだいちびは?」
 おじさんが現われて、ぼくのかごをひどくたたく。震度5くらいの勢いだ。思わず飛び起きて家の窓から首を出す。それを見たおじさんは、
 「おーい、窓から首を出してるぞ。なかなか愛想がいいぞ。それともお腹すいてんのかな。C起きてこい」
 ぼくはお愛想で顔を出しているんでも、お腹がすいているんでもない。びっくりしただけなんだ。
 Cが降りてきて、ぼくをじっと見て洗面所に急ぐ。この少年、少し暗いんじゃない。
 朝食のあいだも、ぼくのことが話題にのぼっている。玄関と食堂が近いのでぼくのところまで話声が聞こえる。
 「ねえ、ハムスターってものすごく頭が悪いんですって」この声はおばさん。「脳の大きさはこれっくらいしかないんですって」
 《これっくらい》はどのくらいなんだろう。少し気になるけど、ここからは見えない。
 「だから飼い主のことをちっとも覚えないんですって」おばさんの声が続く。「なにしろ、脳みそはこれっぽちなんだから」
 「ええっ、それじゃ、米粒くらいなんだね」Cの声。
 《これっくらい》の大きさがやっとわかったぞ。ぼくは自分の脳の大きさなんて考えたことなかったけど、米粒くらいとは驚いた。本当なの?おばさん。それに、飼い主のことを覚えないなんて、そんなことはないよ。現にこうしておしゃべりしているのがいい証拠さ。ひとには覚えていない振りをしているだけなんだ。ぼくの仲間もみんなそうだと思うよ。覚えているのが知れると面倒が多そうだからね。とぼけるのにかぎるのさ。
 ところでぼくの名前はどうなるんだろう。
 「じゃあ、名前をつけてやっても、自分の名だとわからないだろうな」Cの声。
 「だけど、名前をつけると親しみがわくからな。ほら、この前迷い込んできた蝿に名前をつけたら殺しにくくなったろう。それと同じだよ」
 おじさんは、どうしてもぼくらハムスターを蝿と同列に扱いたいらしい。やはり、あまりデリカシーはないようだ。
 名前のことは気になったけど、そのうちにぼくは本当に眠ってしまった。

4. ぼくのうんちゃん

 「あらら、この子、どこにでもうんちゃんするのね」
 おばさんのすっとんきょうな声でぼくは目を覚ます。なになに、ぼくがなにをしたって。「うんちゃん」って、いったいなんだ。車の運転手のことを「運ちゃん」っていうのを聞いたことがあるけど、あの場合、「うんちゃんする」って言い方はしないぞ。
 「そういえばハムスターって、驚いても、怖がっても、うれしくてもうんちゃんするんですって」
 またおばさんが知った振りをしている。第一、「うんちゃん」って、なんだ?どうもぼくがところかまわず、いつでもしているものらしい。
 「なるほど、小屋ん中の寝床にまでしている。お皿の中にもあるよ。食べ物とごちゃごちゃになってしまうな」
 おじさんがうなずいている。
 どうやら「うんちゃん」とはフンのことらしい。生理現象のことをあれこれ言ってほしくないなあ。ぼくだって好きこのんでしているわけじゃないんだから。それにぼくらハムスターのフンはころころしてちっとも臭くなんかないんだ。犬や猫やひとと違うんだ。むしろそれがぼくらの誇りといっていいくらいだ。

5. ぼくの名がシャルルになったこと

 「おとうさん、ピピンってフランス語でなんていうの?」
 「えっ、あのフランスの王様?ペパンというんだ」
 「ペパンじゃだめだねえ。やっぱりシャルルにしようかな」
 「シャルルっていう名前を考えていたのか。Cのことだから、スキピオが第一候補かと思ってた」
 「あら、シャルルっていい名前ね」
 「よし決めた。シャルルにしよう」
 これはお昼時の家族の会話。
 こうしてぼくの名前はシャルルということに決まった。もちろんどうしてシャルルなのかわからないけど。どうせ意味なんてないんだろう。ほら、さっそくおばさんがやって来た。
 「おい、シャルルや、おまえの名前はシャルルでちゅよ。」
 こう言いながら、震度5でぼくのかごを揺する。ゆっくり昼寝もできない。
 「でもおまえは頭が悪いから、きっと自分の名前がわかんないだろうね」
 ぼくの知能程度の悪口はいつもおばさんだ。
 名前をつけてもらったし(シャルルという名は別に好きでも嫌いでもない。「ゴンタ」とか「ペエスケ」っていうような名前より、ましかなぁ。それに「小ジャン」は少し幼稚すぎた)、えさは今までと同じものだし、この家の中まで猫は入ってこないようだし、まあ、今のところは平穏なものさ。昼間はなるべくおとなしくしていて、夜はせいぜい、かごの中で遊んで運動不足を補えばいいんだ。

6. 「お出かけでちゅよ」

 さて翌朝、
 「シャルルや、お兄ちゃんのお出かけでちゅよ」
 震度5と一緒に、こう言われて飛び起きてしまった。寝ぼけ顔を出してみると、例の少年が、学校へいくところだ。「行ってきまーす」と言って出ていった。このあんまり愛想の良くない少年はどうやらぼくの《お兄ちゃん》らしい。
 起きたついでに、えさを食べておこう。また眠ればいい。そうしてまたうとうとすると、
 「シャルルや、お父さんのお出かけでちゅよ」
 またまた震度5。どうもこの家のひとは学校や仕事に出かけるのに、いちいち《お出かけでちゅよ》をするらしい。朝のあいさつは健康的だし、それに文句を言うつもりはないけど、そのたびに震度5で起こされるのはおもしろくないね。ここ二日間このあいさつがなかったのは、ゴールデン・ウイークで休みだったかららしい。ということは、これから毎朝、この調子というわけだ。それにいつのまにか例のおじさんはぼくの《お父さん》になっている。
 「それじゃ、シャルル行ってくるよ」
 お父さんはこう言って、出かけた。ぼくのほうはまた眠るとしよう。そう思って、寝床の整理をしていると、
 「シャルル、お母さんのお出かけでちゅよ」
こんどは、震度5はなかったけど、かごのふたが開いて小屋の中に指がにょろにょろ侵入してきて、ぼくの頭をこすっている。
 「シャルル、あら、いい感触。ひとりでおりこうさんで留守番してんでちゅよ。えさも水もこれだけあれば大丈夫」
 《お母さん》は玄関の鍵をかけて出ていった。
 ぼくがこの家のペットになったのは、お兄ちゃんの入学祝いということになっているけど、それは口実で、本当はお母さんがぼくを飼いたかったんだ、と思う。お母さんのかわいがり方はまさに、恐ろしい表現だけど思いきって言ってしまうと、猫かわいがりなんだ。すぐにべたべたぼくのことをさわるから。猫が嫌いなことはもう言ったけど、その嫌い方は半端じゃないんだ。かわいがりかただって、猫が付けばいやなんだ。猫いらずはもちろんのこと、猫じゃらしだって、猫まんまだって大嫌いさ。
 だからこれからさき、かわいがってくれるのはうれしいけど、一番マークしなくちゃいけないのはお母さんということになる。でも、だからってなにもすることはないけどね。
 こういうわけでみんな出かけてしまった。さあ、一日中のびのびできるぞ。

7. ひとって単純?

 薄暗い玄関のかぎをもそもそ開けて入ってきたのは、お兄ちゃんだった。もちろんぼくは恐怖にとらわれて小屋に閉じこもった。猫かも知れないからね。それでもこわごわ外の様子をうかがっていると、お兄ちゃんは無愛想にぼくの小屋の窓をのぞきこんでいたよ。それからまっすぐ冷蔵庫に向かっていった。この手のタイプは愛想は悪いけど、ぼくに悪さをしないものだ。
 しばらくすると今度はお母さんが帰ってきた。
 「ただいまぁ、Cのほうが早かったのね。おい、シャルル、ただいま」
 お母さんが「ジッジッジッ」と変な声を出している。なにをしているんだろうと思って小屋の窓から首を出して見ると、
 「ほうら、シャルルが顔を出した。ハムスターって、ジッジッジッって声を出すから、ひとがまねして出すと仲間がいるって勘違いするんですって」
 またお母さんがどこかで入れ知恵されてきたらしい。ぼくはあきれかえって小屋に引っ込んで寝た振りをする。そんなひどい声、間違えるわけないじゃないか。
 「本当に頭が悪いのよね、この子。Cもやってごらん」
 「ジッジッジッ」
 お兄ちゃんも恥ずかしそうに声を出している。もちろん窓から首なんか出してやるものか。寝た振り、寝た振り。
 「Cは下手ねえ。もっと気持ちをこめなきゃ。ハムスターになった気になって、こうすんのよ。ジッジッジッ」
 ぼくはお母さんがどんな顔をしてんのか、どうしても見たくなってチラッと外をのぞいてみた。目を細めにして口をとがらせ、「ジッジッジッ」とやっている。これはおもしろい。
 「ほうら、もそもそ動き出した。こっちを見てるわ。私じょうずでしょ」
 お母さんは得意満面。ひとって単純でかわいいところがあるもんだ。

8. ぼくの得意わざ・・・回し車

 お母さんとお兄ちゃんは二人で夕食を食べている。お父さんはまだ帰ってこない。二人はそのことで驚いた様子がない。ということは、いつもこんな調子なんだろう。二人はテレビを見て、ゲラゲラ笑っている。こういう瞬間って、完全にぼくがいることを忘れているみたいだ。だからぼくもひとりで好きなことができる。今日は運動不足解消に回し車に乗ってみよう。なにしろ狭いかごの中なんで思いきり走り回ることができない。
 「しーっ、なにか聞こえるわよ」
 お母さんが回し車の音に気付いたようだ。
 「あーら、シャルル、頑張ってんのね。おじょうず、おじょうず。ほら、見てごらん、シャルルが回し車をやってるよ」
 お兄ちゃんがやって来た。
 「本当だ」
 お兄ちゃんは、ぼくの走っている姿を見てけっこう感動している。そのくらいのこと、走りながらでもぼくにはちゃんとわかるんだ。二人はぼくの勇姿にじっと見とれている。ぼくも、卑しいかもしれないけど、実は得意の絶頂にいたんだ。ほめられて嫌な気はしないものさ。
 でも自分の特技を見せつけるのはもうやめよう。第一疲れてしまった。
 「あらら、この子、恥ずかしいのかしら、お尻振り振り二階に駆けあがっちゃったわ」
 お母さんの視線はどうも危ない気がする。下半身ばかり見てんじゃないかな。寝床のある小屋は階段の上にあるので、どうしても階段を登らなくちゃならない。その階段っていうのがねぇ。階段っていうより、はしごなんだ。そのために後ろ足をじょうずに横木に掛けないと足を踏み外してしまうんだ。急いで登る時、その後ろ足をすばやく交互に掛けるので、どうしてもお尻を振っているように見えるかもしれない。べつにしなを作ってお尻を振っているわけじゃないよ。すばやく階段登るの、実は回し車より、難しい芸当なんだ。
 「この子はいつもお尻振り振り小屋にはいんのよ。自分のことかわいいと思ってんのかしら」
 お母さんは息子にうれしそうに説明している。まあ、言わせておこう。ぼくのほうは、運動のあとのひと眠り。
 それからどれだけ時間がたったろう。そのあいだに二回、「シャルル、おやすみ」が聞こえたけど、ぼくは返事をしてやらなかった。布団代りのティッシュ・ペーパーを少し揺すっただけだ。むにゃ、むにゃっていう感じ。
 すると、また玄関の鍵を回す音。ぼくは泥棒かと思って息をひそめてそっと小屋の窓からのぞいてみる。すると入ってきたのは、お父さんだった。もうお兄ちゃんやお母さんはずっと前に寝室に行ってしまったのだから、ずいぶんと遅く帰ってきたものだ。
 「やあ、シャルル、元気だったかい。ただいまぁ」
 お父さんはこう言ってぼくのかごを震度5で揺する。こういう声をだみ声っていうのかな。なんとなく声にしまりがない。お父さんはぼくのかごに顔を近づけて、言う。
 「おい、おい、シャルル、顔を出しな」
 お父さんは近眼で老眼だから、本気でぼくを見ようとすると眼鏡をはずす。それはなんともいえない威圧感なんだ。なにしろぼくにとって空が全部顔になってしまうほどなんだから。それに今はなんてお酒臭いんだろう。かごに近づいた口から嵐のようにお酒臭い息が吹いてくる。どうしたって小屋から出るもんか。
 「おまえはいつも寝てるんだな。それじゃ、シャルル、おやすみ」
 こう言うと、また震度5を一発やって二階へ上がっていった。やれやれ、やっと一日が終わったぞ。またのんびりできる。

9. ぼくのお仕事

 翌朝もおんなじようなものだった。震度5の地震があって、「お出かけでちゅよ」をして、あとは一日中のんびりすごした。
 夜は夜で似たり寄ったり、あいかわらず、お母さんはぼくを小屋から呼ぶ時、あのこっけいな「ジッジッジッ」をしているけど、ぼくだってそういつまでも付き合ってはいられない。
 「あら、この子、ジッジッジッをしても顔を出さないわ」
 顔を出してやらないとお母さんはあまり機嫌がよくないようだ。
 「まったく、シャルルったら、なに考えてんでしょうね。眠って、食べて、うんちゃんして、おしっこして、一日中それだけしてんですものね」
 ぼくは眠った振りして聞いていたけど、「それはないよ、お母さん」って言いたい。ぼくだって、ほかにすることはあるんだ。みんなからは見えないだろうけど、小屋の中で布団代わりのティッシュ・ペーパーを整理したり、運動のために回し車をしたり・・・
 「そりゃ、たまには回し車をするだろうけど、それだけ。くやしかったらなにか芸をしてみなさいよ」
 お母さんはぶつぶつ言っている。
 「シャルルはかわいいから、それだけでいいよ。まだあまり馴れてないから、姿を見せないけど、馴れたらもっと姿を見せるようになるよ」
 こう言ってぼくを弁護してくれるお兄ちゃんはえらい。どうもひとという種族は愛想の良さと人の良さは比例しないらしい。でもこれからは面倒でもなるべく顔を出してやろう。あんなふうに言われるのはとっても心外だから。
 こんなことを言いながら二人は夕飯を食べている。お父さんはまた遅く帰ってくるのかな。そしてお酒臭い息の嵐をぼくに浴びせるのかな。ぼくもこのうちのペットなんだからこのうちのしきたりに早くなれなきゃ。

 お母さんは土曜日も休みなので、昨日は洗濯をして、けっこう忙しそうだった。そのあいだも時々玄関を通りかかると例の「ジッジッジッ」をしてぼくを小屋から誘い出そうとしたり、「まったくシャルルは寝てばかりでいいね」ってつぶやいたり、「あーあ、私もシャルルみたいになりたいものだ」と言ってぼくをうらやましがったりしていた。
 そして昼食後(その時はお父さんも帰ってきていた)、
 「さあ、私もシャルルみたいに寝ようっと」
 こうお父さんに宣言して、本当に昼寝をしてしまった。でもぼくとしては、昼寝をする時はただ単に「昼寝をする」と言ってほしい。いちいち「シャルルみたいに」を付けないでほしい。

10.ご飯粒の味

 さて、ぼくがこの家に来て最初の日曜日。
 今日は家族全員そろっている。
 「今日はシャルルのかごの掃除をしなくちゃね」
 これは朝食時のお母さんの台詞。では今日、ぼくのかご掃除があるんだ。少しドキドキする。
 「シャルルっていうのはなんの仲間なんだい。リスかい、ネズミかい?」
 このひどく基本的な質問をしているのはお父さん。
 「ネズミだよ」
 こんなことも知らないのかっていう感じで、お兄ちゃんが答える。
 「そうか、ネズミか。それじゃあ、なんでも食べるだろうな」
 こう言いながら、お父さんはぼくのかごのところにやって来た。何事だろうと思って見ると、指にご飯粒をつけている。実を言うとぼくは今までえさ入れのえさばかり食べていたので、ここに置いてあるえさにすっかり飽きていたんだ。お父さんがご飯粒のついた指をかごに近づけると、ぼくはうれしくなってむしゃぶりついた。ずうっと断食していたみたいだった。おいしいのなんのって。
 「おーい、ご飯粒をやったら、シャルルのやつ、ひったくったよ。これは当然『おれ』のだと言わんばかりだった。『いただきます』も『ありがとう』も一言もないよ。あまり育ちがいいとは言えないね」
 お父さんが報告すると、ほかの二人がやって来て、ぼくがもぐもぐご飯粒を食べている姿に見入っている。ぼくは「育ち」のことを言われてひどく恥ずかしかった。でもしょうがないんだ。ぼくは本当のお母さんやお父さんにしつけられたことがないんだから。ひとりで生きて行くってとってもたいへんなんだ。
 「シャルル、おまえはご飯粒が好きなんだねえ、しょうかい、しょうかい」
 お母さんは目を細めている。
 ぼくが二本足で立って、口や顔を両手でぬぐっていると、
 「まあ、シャルル、おまえ二本足で立っちゃって、なんてかわいいんでしょ。ほら、両手をこちょこちょさせて、もっとほしいのかしら」
 こう言いながら、お母さんは食堂に行って、また指にご飯粒を付けて戻ってきた。
 よく田舎のおばあさんがすることだけど、一度おいしいとか、好きだとか言うと、同じものを何度も食べさせることがあるよね。あれ本当に困るよ。今のぼくがそういう状態なんだ。ご飯粒はおいしかった。だからってもういらないんだ。ひとと違って体が小さいから、胃袋だって小さいんだ。
 悪いと思ったけど、お母さんが持ってきたご飯粒は食べられない。もちろん最初は違う味付けかもしれないと思って義理でにおいを嗅いだけどね。同じだったのでさっさと階段を登って小屋に入ってしまった。
 「あらっ、この子ったら食べないわ。においを嗅いだら、フンそんなのいらないよっていう感じで、お尻振り振り小屋にはいっちゃったわ。憎たらしいわね」
 お母さんの機嫌はよくない。
 「シャルルはお腹いっぱいなんだよ。お父さんがあげたご飯粒の量は、シャルルの頭の大きさから考えると、人間で言えばおむすびを二つぐらいたいらげたことになるよ」
 またぼくを弁護してくれるのはお兄ちゃんだ。ありがとう、お兄ちゃん。
 お腹いっぱいになったらまた眠くなってきた。むにゃ、むにゃっていう感じ。

11. 恐怖の性別検査と家掃除

 突然ふわりと浮いた感じがして、かごが廊下に降ろされた。するとかご全体がガタガタ猛烈に揺れだした。震度5なんてものではない。ぼくは何事が起こったのかと思って外を見る。
 「おい、シャルル、お掃除でちゅよ」
 お母さんがうれしそうな顔をして、ぼくの小屋の中に手を入れてきた。ぼくは恐ろしくて小屋の入り口にしがみつく。でもお母さんの力のほうがずっとずっと強い。ぼくを包みこむように両手の中に入れた。もちろんぼくは出ようと思って指のあいだのすき間に頭を突っ込む。
 「ほら、シャルルかわいいわねぇ。私の指をくすぐってるわ。Cも持ってみる?」
 お兄ちゃんは断わる。
 「あらっ、もう手にうんちゃんをしてるわ。まったくもう、この子は恐くてもうれしくてもすぐにうんちゃんするんだから。さて、おまえが本当に男の子かどうか、お母さんが調べてあげます」
 なになに、そんなのいやだよ。ぼくは男の子だ。調べてくれなくていいよ。第一、お母さんは何を調べようというんだ。と、思う間もなくぼくは仰向けにされてしまった。恥ずかしいのなんのって。
 「あらら、おまえさん、おちんちんが小さいのかな。見つからないぞ。変だねぇ。これでは男か女かわからないわ」
 さんざん調べられたあと、やっとぼくはお母さんの手から解放されて、廊下に放された。ぼくは恥ずかしくて恥ずかしくて、もぐり込める場所を探し回ったけど、廊下は広くてなかなか見つからない。
 「シャルルは広いところを走り回れて、うれしいのね」
 お母さんののんきな声が聞こえる。
 「さあ、かごの掃除をしますよ。Cはシャルルを見張っていてね」
 お母さんはこう言って、かごを持って行った。とうとう、ぼくは何だか知らない箱を見つけて、そこにもぐり込んだ。やっとひと安心。お兄ちゃんはぼくのためにボールを持ってきてくれた。でもぼくは卑しい猫とは違うんだ。ボール遊びなんてしない。やっぱり、言いたくないけどお兄ちゃんは知能程度が低いのかなあ。すると今度はトイレットペーパーの芯を持ってきた。うん、これなら中にもぐれるから、ぼくも使えそうだ。
 「あれシャルル、どこにいるの?」
 またお母さんが戻ってきた。お兄ちゃんがぼくの居場所を教えたのだろう(この裏切りものめ!)。ぼくの隠れ場所にお母さんの手が伸びてきた。またまたぼくは広いところを走り回らなくてはならなくなった。どっちへ行こうか二本足で立って迷っていると、
 「あらっ、両手をコチョコチョさせちゃって、かわいいわねぇ、シャルル。おまえ、そのポーズ自分でかわいいと思ってんでしょ。言いなさい。思ってんでしょ!まったくかわい子ぶりっ子しちゃって」
 お母さんに問い詰められたけど、もちろんぼくはこんな質問に答えない。それよりどこかにもぐり込めるところはないか、探すほうが先決だ。でも全然見つからない。廊下の隅っこをただいたずらに走り回るしかなかった。
 「ねえ、もうシャルルをかごに戻してやろうよ」
 おにいちゃんありがとう。さっき知能程度のこと言ってごめんね。
 ぼくはかごにはいると一目散に小屋に駆け上がった。
「ほうら、またシャルルはお尻振り振り上がっていった」お母さんがうれしそうな声を出している。
 やれやれ、これがお母さん流のかごのお掃除か。一週間に一度お掃除があるということは、そのたび男の子かどうか調べられるのかな。あんな恥ずかしい思いもうぜったいいやだなあ。でも、お掃除はどうしたって必要だから、もちろんそれをしてくれるお母さんには感謝するけど。
 きれいになった小屋は気持ちいいけど、まだぼくの体になじんでいないせいか、落ち着かない。布団代わりのティッシュ・ペーパーも整えなくては。それから小屋の下のトイレの具合も調べておきたい。どこにでも「フン」をするのにトイレがあるのは変だって?実はこのトイレは「おしっこ」用なんだそうだ。ぼくにとっては別宅っていう感じだけれどもね。あとはえさ置きの皿や、回し車の位置、水飲み場などの確認もしなければ。大掃除のあとはぼくだって忙しいんだ。整理整頓をちゃんとしないと気が済まない性格をしてんだな、ぼくは。
 「シャルルったら、きれいになったら落ち着かないのね。いろんなところをうろちょろしてるわ」
 お母さんとお兄ちゃんはぼくをあいかわらず観察している。
 さあ急いで布団を整え、眠ってしまおう。ひどく疲れたから。
 「さあ、私もシャルルみたいに昼寝をしよう。Cは学校の宿題があるんでしょ、頑張ってね」
 お母さんはこう言って二階に上がっていった。お兄ちゃんは「何か飲むよ」と言いながら冷蔵庫に向かった。
 「シャルルみたいに昼寝をする」とは言うけど、「シャルルみたいに頑張ってね」とは言わないのかなぁ、そんなことをぼんやり考えているうちに眠ってしまった。

12. ウンテイ?

 さてまた一週間が始まった。朝は『お出かけでちゅよ』をして、夕方は『シャルル、ただいま』をする。ぼくは玄関にいるので、この家の門番みたいだ。ひとの出入りがみんなわかる。といっても、このうちの三人以外はちっともひとの出入りがない。一度だけ酒屋さんが玄関に入った時、「これは、ハムスターですか?」とお父さんに聞いたことがあった。お父さんは普段ぼくにたいしてほとんど愛情表現をしないのに、その時はうれしそうに「ええ、いつも寝ていて、あんまり姿を表わさないんですけど、しぐさがかわいいんですよね・・・」とかなんとか言っていたけど、酒屋さんは忙しそうに、お金をもらうとそそくさと行ってしまった。お父さんはちょっと不満そうな顔をして、ぼくのかごを震度5でたたいた。
 そんなこんなで、あわただしい朝とお母さんがべたべたかわいがってくれる夕食後は別にして、毎日のんびりと暮らしている。不満を言えば、たまにはペット・フード以外のえさもほしいけど、それは我慢しておこう。それでも時々朝食の時などご飯粒をくれるから、それでよしとしよう。
 ある朝、お父さんがこんなことを言っているのが聞こえた。
 「昨日、教室でハムスターを飼っているって言ったら、ある女子学生がうれしそうな顔をして『うちも飼っているんです。今写真あるから見てください。かわいいでしょう』って言うんだ。なかなか上手に写真を撮っていたよ。そしたらこうも言った。『うちの子、ウンテイが上手なんです』ハムスターってウンテイをするのか。シャルルもできるのかな」
 今度はお父さんが変な知識を仕入れてきたぞ。「ウンテイ」ってなんだろう。 「ウンチャン」とは違うだろうな。「ウンチャン」が上手とは言わないだろうから。なんとなくいやな予感がする。三人がぼくのほうを見ているのが目に浮かぶ。ほうら、お母さんがやってきた。
 「おいっ、シャルル。おまえだってできるよね。ウンテイなんて。今度、やってもらいます」
 なんでも他人と比較されるのはいやなものなんだ。

13. うんていをしてほめられたこと

 さて、次の日曜日、またぼくの家の掃除をすることになった。ぼくは廊下の板敷きの上に無造作におかれた。こういうところにおかれると、ぼくはひどく落ち着かない気分になってしまうんだ。とにかく暗くて狭いところに潜り込みたくなる。そう思ってまわりを見回していたら、今度は上からすっぽりかごをかぶせられた。いや、かごではなくて、どうやらぼくの家のおりをかぶせたらしい。これではどこにも隠れる場所はないし、どこにも行けない。落ち着かないことこの上もない。おりをよじ登って、出口を探し回ることになった。こう見えても腕力には少し自信があるんだ。でも垂直部分にはどこにも出口が見つからない。
 「あらら、シャルル、登るの上手、上手」
 お母さんののんきな声が聞こえる。まったく、こっちは必死だというのに。もうこうなったら、天井に出口はないか調べなくては。
 「ほら、見てよ、シャルル、ウンテイをしてるわよ」
 お母さんがほかの二人を呼んでいる。なに、「ウンテイ」だって。それでは、天井を手だけで伝って行くのが「ウンテイ」なんだ。なあんだ。それだったらぼくにもできるさ。
 「ほんとうだ、でも手の力が弱いから、途中で落ちてしまうね」
 お父さんとお兄さんが感心して見ている。途中で落ちてしまうのは、本当だ。必死になって棒につかまるんだけど、どうしても手が疲れてしまう。それに、どうやら天井にも出口はなさそうだ。
 「シャルル、おまえにもウンテイできるじゃない。おりこうさんね」
 お母さんがこう言ってくれるのはうれしいけど、なにも見世物でしているわけじゃないんだ。このおりからどうしても出たいからなんで、この前話していたウンテイの上手な仲間だって、きっと必死だったんだと思う。
 「シャルルはここから出たがっているんだよ。身を隠す場所がないからね」
 お兄ちゃん、ありがとう。その通りなんだ。
 「それじゃ、これを入れてやったら」
 お父さんがティッシュペーパーの空箱をおりの中に入れた。もちろんぼくは一目散にその中に飛び込んだ。やっとひと安心。

14. お見合い話

 空箱の中に潜っているうちに、ぼくの家の掃除は終わったようだ。今度はお母さんの《検査》はなかった。あれは本当に恥ずかしい、いやなことだ。掃除のたびにあるのかと思っていたけど、どうやらまちがいらしい。よかった。ぼくは男の子にきまっているんだから調べる必要なんて全然ないんだ。
 「まだこの子は子供だけど、秋になったら成人するかしら」
 お母さんがまた変なことを言っている。「セイジン」って、なんだろう。
 「そしたら、パールちゃんとお見合いさせましょう。おい、シャルル、秋になったら結婚だぞ、うれしいか?」
 どうやら、秋になったらまたパールちゃんと会えるらしい。それはいいけど、ぼくの結婚まで予定に入っているようだ。楽しみにしていていいのかな。
 さあ、新しくなったぼくの小屋の整理・整頓をしなくちゃ。それが済んだら、ひと眠りしよう。するとこんな会話が聞こえてきた。
 「でも、ハムスターの発情期っていつだろう。秋なのかい?」
 お父さんが質問している。
 「それがね、ハムスターって発情期がないんですって」
 「えっ、ないの?」
 「ないってことは、いつでも発情してるんですって」
 「へえー、シャルルはいつも発情してんのか」
 「シャルルはまだ子供だからわかんないでしょうけど、大人になればいつでもいいんですって」
 「ハツジョウキ」ってなんだろう?ぼくたちハムスターにはないものらしい。でも『キ』がとれて、『ハツジョウ』は大人になるといつでもしているらしい。でもぼくはいつ大人になるんだろう。ハツジョウしだしたら、大人ということなのかな。ひとで言えば髭みたいなものかな。変なことでなければいいけど。そんなことを考えているうちに、むにゃ、むにゃ、眠ってしまった。

14. 暑さはきらい

 そんなこんなで一週間、また一週間が過ぎていった。ぼくは玄関でいつも門番みたいにみんなを見送ったり、みんなを迎えたりして、毎日を過ごす。もちろん居眠りしたり、ご馳走を食べたり、のんきに暮らせればぼくにはなんの不満もない。
 ところが少しずつ不満が出てきた。というのは、ぼくのいる玄関は夏になるにつれ、西日があたって暑くなってきたんだ。午前中はとってもすごしやすいんだけど、夕方になるとそれはひどいものなんだ。ぼくら、ハムスターは暑さにとても弱いんだ。だからってヤドカリみたいに、かごごと移動できないし・・・そのことはお母さんも知ってるはずなんだけど、早く気付いてくれないかな。とてもじゃないけど、小屋のなかにこもっていられない。だから、じべたにゴロッとすることにした。
 ところである日、お母さんが会社から帰ってくると、開口一番こう言った。
 「あらら、シャルルったら、とろけちゃっているわ。そうか、そうか、暑いのか」
 《とろけちゃう》ってどういうことだか、わかんないけど、やっとお母さんはぼくの辛さをわかってくれた。するとお母さんはぼくのかごをふわりと持ち上げて、居間の床の上に置いた。この部屋は全然日が当たらないから玄関よりずっと涼しい。そのうえ、クーラーもあるし、よかった、よかった。
 そうこうしているうちにお兄さんも帰ってきて、夕飯になった。
 「シャルルったら、暑くてとろけちゃっていたのよ。おいっ、シャルル、こっちのほうが居心地いいでしょう」
 こうお母さんにきかれても、もちろん答えない。でもぼくが満足そうに小屋のなかにいるのを見れば、答えはわかるはずだ。
 こうして居間で過ごすことになって、ぼくはますますこの家の家族という感じがしてきた。食事も、だんらんも、テレビも、みんなこの部屋でしているからだ。でも、ぼくのかごが床に置かれているので、みんなの足しか見えないのは面白くないなぁ。

15. 恐怖のハムスター・ボール

 さてある日、お母さんがまたまた変なことを言っている。
 「ほらっ、これ、ハムスター・ボールって言うんですって。この中にハムスターを入れると、ころころどこにでもいけるらしいわよ。さっそくやってみましょう」
 お母さんは手にソフトボール大のピンクのボールを持ってぼくのところにやってきた。いやな予感がする。
 「さあ、シャルルや、この中に入って部屋中歩き回ってごらん」
 お母さんの手がかごの中に伸びてきて、ぼくをつかまえようとしている。もちろんぼくは必死になって逃げるんだけと、最後にはつかまってしまう。するとびっくり。さっきのボールがまっぷたつに割れて、ぼくを入れるとまた一つにあわさってしまった。空気穴がいっぱいあいていたので、窒息の心配はないけど、なんて落ち着かない気分なんだろう。
 「シャルル、じょうず、じょうず。いろんなとこに行けていいわねぇ」
 お母さんは、うれしそうにこう言っているけど、ぼくは必死で隠れるとこはないか探しているんだ。ボールがじゃまで狭いとこに入り込めない。
 「ほうら、いい運動になるでしょ」
 「本当だ、シャルルすごいね」
 お兄ちゃんまで異様に感心して、ぼくの必死になっている様を見ている。
 そういえば前に夢を見たことがある。走っても走っても目指すところに行けないんだ。そのくせ、目の前にそこは見えるのに。でも近づいたので、懸命になって走るとどんどんそれた方向に行ってしまうんだ。今はそんな夢のようだ。もしかすると夢かもしれない。
 「さあ、シャルル、疲れたでしょう。また家に戻りなさい」
 お母さんはこう言いながら、ボールを拾い上げて、真っ二つに割った。
 ぼくがどうしたって?一目散にぼくの小屋に駆け込んだよ。やっぱり夢でなかった。
 「シャルル、今日の運動はこれでおしまい。またいつかね」
 お母さんの恐ろしい声がきこえた。

16. ぼくの出世

  ある日、お父さんがぼくの家のかごをふわりと持ち上げてこう言った。
 「シャルルの小屋は、出窓の上に置くほうがいいよ。よく見えるし。食事中目線が同じだと、家族の一員っていう感じがするし」
 なるほど、出窓の上から見ると正面にお父さん、背中がお母さん、おにいちゃんは左側に見える。
 「目線が同じって、それ結局お父さんだけじゃないの」と、おにいちゃん。
 「そうそう、わたしは食事中シャルルが見えないんですからね。あなたはいいわよ」
 お母さんは不満そうだけど、ぼくのほうをふりかえって、
 「シャルルよかったねぇ。みんなと同じ高さでうれしいでちゅか」こう言って、相好をくずしている。
 こうして、ぼくのかごはこの家の一番いい場所かもしれない、居間の出窓に鎮座することになった。思えば最初は、門番みたいに玄関、しかも招き猫と一緒だった。次に、なんとなく無造作に床の上、いつ蹴飛ばされるかいつも心配だった。もうそんな心配は一切なくなった。よかった。ぼくも出世したもんだ。
 この出窓は上にテラスがあるせいか、夏のあいだはまったく日が当たらない。とはいっても、真夏が近づくにつれ、ぐったりと暑くなってきた。それにお父さんがいると、この部屋はほとんどクーラーをつけない。なぜお父さんはクーラーをつけないかあとでやっとわかった。と同時に、この出窓の暮らしが必ずしも快適でないことも、やっとわかった。でもそのためには、お父さんの夏休みを待たなければならなかった。

続く
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日常スケッチ | 21:18:11 | Trackback(0) | Comments(0)
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