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『ノートル=ダム・ド・パリ』を読んで(2)
III. ディズニーとジェンダー

 もし『ノートル=ダム』が、そのテーマゆえに子供向けの作品として成り立つのが不可能というのなら,無理矢理作らなくてもいいのではないだろうか。もともと大人用の作品だったのだから。美男がいい人で,心優しい美女と結ばれる物語など,何もユゴーに求めなくてもいいのではないか。
 こんなことを書いているのも、昨年惜しくも物故した美術評論家にしてジェンダーの論客、若桑みどり氏を念頭に置いているからだ。彼女はその著書『お姫様とジェンダー』の中で,まさにその問題を取り上げている。
 彼女に言わせれば,美女が心正しく、醜女がよこしまという、封建時代からひきずって来たステレオタイプを今だ産出しているのがまさにディズニーというわけだ。『シンデレラ』『眠りの森の美女』『白雪姫』・・・
 ところが上にあげた童話作品は、美女美男が主人公になっているのは原作どおりだから,無理のな いストーリーと言える。それでも女史は、現代のジェンダー社会ではそぐわないと警鐘を鳴らす。


 それならば、ヒロインではなくとも,よこしまな美男を心正しきヒーローに持ち上げる『ノートル=ダム』を作ったディズニーはどうなるのだろうか。美=善、醜=悪という、古典主義的な方程式(古代ギリシャ・ローマでは《美しい肉体に美しい魂宿る》といわれ、『シンデレラ』を書いたシャルル・ペローの時代はまさに古典主義的な時代だった)は、男でも女でも成り立つから、警戒しなければならない(注)。

(注) ヴィクトル・ユゴーがこの『ノートル=ダム』を《古典主義》のアンチテーゼとして書いたことを忘れてはいけない。古典主義的な美は、均整・対称、釣り合い、調和の中にあるが,ゴチック的な美は違う。曲線、不調和、不均衡、醜悪の中にあるのだ。

 この話はこの辺にしておこう。最後に美男・美女ものなら、まさに文豪ユゴーが書いていることを付け加えよう。その名も『美男と美女の伝説』(根岸純訳 パロル舎)だ。《性格よし,頭よし、センスよし,身分よしの王子が、同じようにすべてを持ち合わせた王女と婚約をしました》(カバー裏)というこの物語、鼻持ちならない感じがして、一見おもしろくなさそうだが? ところがどっこい。なにしろ書き手はユゴーだ。美男であることと、美女であることは、しっかりその代価を払わなくてはならないのだ。

《続く》
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文学雑感 | 14:36:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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