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石田明生

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『ノートル=ダム・ド・パリ』を読んで(4)
V. 愚かな恋(エスメラルダ)と崇高な恋(カジモド)

 その点、エスメラルダの恋は、ちゃんとしたコンテクストから成り立っている。ひどくありふれているが、暴漢に襲われたところを救ってくれた色男の騎兵の隊長に「のぼせた」というわけだ。その暴漢というのが、フロロの命を受けたカジモドだったから、この高位聖職者は知らないうちに、ライバルの恋のお膳立てをしたことになる。
 その時聞いた、隊長の名前は魔法のように彼女の脳髄に染み渡る。その名「フェビュス」は、ギリシャ神話の「ポイボス・アポロン」の「ポイボス」だ。その名前の意味を、詩人のグランゴワールに聞いたエスメラルダにとって、隊長フェビュスは崇拝の対象である「太陽」にほかならなくなる。読者から見れば、俗物の典型とも思えるこの兵隊に、夢中になるエスメラルダは哀れだ。夢中になる? いやそれどころではない。文字通り、彼女は命をかけるのだ。見かけは立派でも、最低のくず男に。この小説の「カギ」はここにあるのかもしれない。


 フェビュスは逢引のときも、そのあともエスメラルダの名前すら覚えていない。それどころか、抱きしめるとき、図々しくも他の女の名を口にするほどだ。それでも、愛し抜くエスメラルダ。読者のいらだちはどれほどか。
 彼女の首にはいつもお守りがあった。それは、生まれ落ちたときから、行方のわからない、唯一の母親の手がかりだ。彼女は自分が純潔でいる限り、いつかそのお守りが、母親に会わせてくれると信じている。
 フェビュスとの逢引のとき、ついにその誓いを破る時が来る。もちろん彼女は抵抗するのだが、女たらしのフェビュスはそんな「馬鹿げた」話に一片の敬意も払わない。お守りにしがみつくエスメラルダを前に、

《フェビュスはうしろにさがって、冷ややかな調子で言った。
「・・・それじゃ、ぼくを愛してはいないんだね! わかったよ」
「あたしが、愛していないですって! ・・・(略)・・・もうどうでもいいわ! おかあさんだって、どうでもいいのよ!」》(p.300)

 こうして、エスメラルダはならずもののフェビュスに身を任せるのだ、が・・・その時、二人の睦言を密かに聞いていたフロロが男の背中を短刀で刺す。このため、隊長に対する嫉妬から衝動的に行動に出たフロロは、結果的にエスメラルダの純潔を守ることになった。このことは、後の大切な伏線となる(もしエスメラルダが純潔でいなかったら、処刑寸前の母娘対面の感動的なシーンは成り立たなくなってしまうからだ)。
 話がずれてしまったが、ようするに、フェビュスこそ、この物語の最大の「悪」なのだが、本人は、後悔も懺悔も何もしていないし、「悪」をなしたことを意識すらしていない。それどころか、事件の被害者であるにも関わらず(彼を殺したことでエスメラルダは告発され、死刑の判決を受ける)、被害者意識もない。確かに背中に怪我をしたが、それも恥なので、パリから遁走して田舎で怪我の治療をする。その時にはもうエスメラルダの「エス」もなく、田舎娘に退屈し、うんざりしている。
 哀れなのはエスメラルダだ。フェビュスが死んだと思い込んだ彼女は、生き長らえるのをよしとしないのだ。
 ところが、処刑寸前にあった縛めのエスメラルダは、フェビュスが婚約者のフルール・ド・リスと一緒に自分の処刑を「見物」しているのに気付く。フェビュスは生きていた!

《彼女はそのときまで、あらゆることをじっと耐えしのんできた。だが、この最後の打撃は、あまりにもきびしかった。彼女はばったりと敷石の上に倒れてしまった》(p.352)

 エスメラルダは自分が今絞首刑になるのは、フェビュスを殺害したかどでだということを思い出す。
 ストーリーはここで、思いがけない展開を見せる。エスメラルダが絞首刑になる寸前、かのカジモドが現れてましらのごとくすばやく処刑台に登り、女囚を抱きかかえて、ノートル=ダム大聖堂にこもってしまう。この聖域からは、特別の許可がなければ連れ出されることはないのだ。こうして、エスメラルダとカジモドの奇妙な共同生活が始まる。
 それにしても哀れなのはカジモドだ。頑迷なエスメラルダはまだフェビュスに恋をし続けている。カジモドはおのが醜さゆえに、彼女の前に姿を見せないようにしている。

《「おれの不幸は、このおれがまだ人間に似すぎているということだ。あのヤギのように、けものになりきってしまいたいものだな」》(p.373)

(注) このヤギはエスメラルダとともに大道芸をする賢い動物で、彼女とともに悪魔の使いとして、処刑されるところだった。

 哀れなカジモドは、娘があまりに「フェビュス、フェビュス」と言うので、かわいそうになり探しに行くことを約束する。

《「まあ! 行ってちょうだい、ね! 走って! 早くね? 隊長さんを! あの隊長さんを! あのかたを連れてきてね! ありがたいわ!」 娘は彼の膝にすがりついた。彼は、苦しそうであったが、頭をたてに振らないわけにはいかなかった。「連れてきてやろう」と弱々しい声で言った。そして向きをかえると、すすり泣きながら、階段を大股で走りおりていった。》(p.375)

 カジモドはフェビュスにエスメラルダのことを伝えるが、持参金付きの美女との婚約がなっていたので、ジプシー娘のことなど迷惑千万な隊長は剣のつかに手をかけて、カジモドを追い返す。

《「会えなかったよ」と、カジモドは冷ややかに言った。
「一晩じゅう、まっていなくちゃいけなかったのに!」と、彼女はぷりぷりして言った。
 彼は、その怒った身ぶりを見て、とがめられているのがわかった。「今度はうまくあいつを待ち伏せしてみせるよ」と、彼はうなだれて言った。
「あっちへ行ってちょうだい!」(p.379)

 心やさしいカジモドは、フェビュスのことを報告することができず、「会えなかった」と、嘘を言う。そのために、自己本位で残酷な乙女は、彼を疎んずるのだ。哀れなカジモド。
 これ以降彼は姿を見せずに、彼女の世話をする。『美女と野獣』のベルならば、野獣が姿を見せないのを不審に思い、心配もするが、ここは童話の世界ではない。残酷なエスメラルダは、この醜男を見ないことで、むしろほっとしたくらいなのだ。
 ひとり寂しく、カジモドは歌を歌う。エスメラルダの心が開けばいいが・・・長くなるがこの歌に耳を傾けてみよう。

《姿を見ちゃいけないよ、
お嬢さん、心を見てくださいな。
きれいな若い男の胸は、たいてい汚いものなんだ。
恋の心は秋の空、うつろいやすい心もあるよ。

お嬢さん、モミはきれいな木じゃないが、
ポプラのようにきれいじゃないが、
冬になっても葉は落ちない。

ああ! 言ったところでかいもない。
きれいじゃないやつぁ死ぬがいい。
器量自慢は器量が好きで、
四月は一月に背を向ける。

・ ・・(略)・・・》(p.380)

 こう歌うカジモドは哀れだ。彼はこの歌の効果を確かめたかったのだろうか。
 ある朝、エスメラルダは目を覚ますと、窓の上に二つの花瓶がおいてあるのを見る。ひとつは、美しい水晶の花瓶だったが、ひびがはいっているために、水はこぼれ、生けてあった花が枯れかけていた。もう一方の花瓶はありふれた素焼きの壷だったが、水が入っていたので、花は生き生きと咲いていた。
 
《エスメラルダはしおれたほうの花束を取って、その日一日それを胸に抱いていた》(p.381)

 かわいそうなカジモド・・・恋する乙女はいつの時代でも愚かで残酷だと、作者ユゴーは言いたいのだろうか。

 物語は、いよいよ大聖堂を舞台に、壮絶な悲劇へと向かう。

《続く》
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文学雑感 | 15:00:25 | Trackback(0) | Comments(0)
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