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『ノートル=ダム・ド・パリ』を読んで(5)
VI. 終章「カジモドの結婚」

 物語は、題名『ノートル=ダム・ド・パリ』にふさわしく、この大聖堂を舞台に、壮絶な展開を見せる。

注意 !!!
まだ小説『ノートル=ダム・ド・パリ』をお読みではなく、これから血湧き肉踊る、小説の結末を楽しみにしておられる方は、ここから先をお読みにならないほうがいいでしょう。結末がわかってしまいます。


 さて、一時難を逃れたエスメラルダだったが、大聖堂内に長くいられるわけもなく、逮捕の期限が近付いて来る。そこで、詩人のグランゴワールは、師のフロロのために(彼は、学問上の師をフロロと仰いでいる)、エスメラルダを連れ出す方策を立てる。
 その方策とは、「奇跡小路」(注)にたむろする、何千という浮浪者や前科者、つまり、エスメラルダの仲間たちを焚き付けて、聖堂を略奪させ、そのどさくさにまぎれて、彼女を救おうというのだ。

(注) 「奇跡小路」《パリ各地の約10ヵ所にあった泥棒や乞食、浮浪者などがたむろする危険かついかがわしい一角で、ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』に克明に描かれているように、しばしば袋小路や迷路状をなしており、夜警もここには滅多に足を入れたりはしなかった。呼称は、中世のパリをはじめとする各都市で、昼間のうち、身障者を装って物乞いをしていた者たちが、夜ここに戻ってくると障害がすっかり直ってしまうという「奇跡」(ミラクル)に由来する》(『パリ歴史物語』上 p.12 ミシェル・ダンセル著、蔵持不三也編訳 原書房)

 この流れ者たちのノートル=ダムへの進軍は、不気味な迫力で描写される。聖堂前に到着したこのならず者たちの部隊は、突入の構えを見せて、最後通牒を大聖堂に突きつける。リーダーのクロパンが大音声で次のように宣告する。

《「・・・われわれの妹は魔術師のぬれぎぬをきせられて、おまえの教会の中に身を隠した。おまえはその女に対し、隠れ家と保護とをあたえなければならないのだ。ところが高等法院は、女をとり戻そうとし、しかもおまえはそれに同意した。もし、神と宿なしとがいなかったら、彼女はあすグレーヴ広場で縛り首になってしまうだろう。・・・」(pp.411-412)

 リーダーのクロパンは、エスメラルダを妹のように可愛がっていたから、彼の手に戻れば、彼女は裏の世界に入り込み、官憲からはもちろん、邪恋のフロロからも安泰だったであろうに。
 ところが、このクロパンの宣言も、彼の気持ちも、何も知らないカジモド(彼は残念ながら耳が聞こえない)は、眼下に押し寄せた浮浪者の群れを敵と思い込み、いのちがけで、侵入を阻止するのだった。
 このカジモドの思い違いは、高い代価を払わねばならない。彼が超人的な働きで、浮浪者たちの侵入をくい止めているうちに、国王の命を受けたフェビュスの率いる軍が到着し、浮浪者たちは全滅させられる。そればかりではない、どさくさの間に、彼のエスメラルダはフロロにさらわれてしまう。
 さて、再びエスメラルダと二人きりになったフロロは、彼女を絞首台のあるグレーヴ広場(今のオテル・ド・ヴィル前広場)に連れて行く。そこ、絞首台の前で、この背教者はエスメラルダに最後の懇願、いや哀願をする。

《「わたしは、このわたしはおまえを愛している。ああ! それは誰がなんと言おうが、真実のことなのだ! わたしの心を焼くこの火は少しも消えることはないのだ! ああ! 娘よ、夜も昼も、そうなのだ。夜となく昼となく、燃えつづけるのだ。それでも哀れと思ってくれないのか?  (略) おまえは、このうえなく美しいやさしさに輝いている。まったく気持ちのよい、善良な、慈悲深い、魅力のある女だ。だが、ああ! このわたしに対してだけは意地が悪いのだな! ああ! なんという因果なことだ!」
 彼は両手で顔を覆った。娘には彼の泣く声が聞こえた。彼が涙を見せたのは、これがはじめてであった。 (略)
 「ああ! わたしが泣いているのを冷ややかにながめていたのだな! なあ、おまえ! この涙が溶岩のように熱いことを知っているのか?  (略) わたしのほうは、おまえの死ぬところなど見たくはないのだ! ひとこと! たったひとことでも許すと言ってくれ! わたしを愛しているなどとは言わなくともよい。せめて、ただ愛したいと思うとだけでも言ってくれ。それでじゅうぶんだ。 (略)」》

 絞首台を前に、恋に狂ったフロロは、自分か死か、エスメラルダに二者択一を迫る。

《「あたしはフェビュスさまのものなんだって言ってるのに。あたしの愛しているのはフェビュスさまなんですよ。フェビュスさまって、ほんとうにお美しいわ! おまえなんか、神父で、年寄りよ! 醜いこと! あっちへ行ってちょうだい!」(pp.469-472)

 これが、腕づくでもものにしたいと思ったフロロにたたきつけられた、女の言葉だった。こうして、エスメラルダの運命は決まる。狂気に陥ったフロロは、大聖堂の上から、彼女の処刑を見る。
 カジモドも大混乱以降、エスメラルダを探していたのだが、どうしても見つからず、フロロのいる塔の上にやって来る。そのとき師の視線の先に、はからずもエスメラルダの絞首を目撃してしまう。

《この、世にも恐ろしい瞬間に、悪魔の笑い声が、人間でなくなったときにだけあげることができる笑い声が、司教補佐の青ざめた顔にとつぜんわき起こった。カジモドにはその笑い声が聞こえなかったけれども、目で見ることはできた。鐘番は、司教補佐のうしろに二、三歩さがったかと思うと、いきなり、怒り狂って司教補佐にとびかかり、太い両手で背中をドンとひと押しして、クロード師がかがみこんでいた深淵の中に彼をつき落とした》(p.497)

 クロード・フロロの最後だった。
 それにしても、エスメラルダの恋の妄執も、フロロに劣らず、凄いものだ。読者は、フェビュスという人間のくずを知っているだけに、いらだちもここに極まる。彼がせめて一つでも美点があれば救われるのだが・・・えっ? 彼はどうなったか、ですって。
 作者は後日談として、たった一行で片付ける。

《フェビュス・ド・シャトーペールもまた悲劇的な最期をとげた。彼は結婚したのである》(p.500)

 結婚を《悲劇的》と表現したところに、妻とサント・ブーヴの関係に業をにやした作家の、人知れぬ苦悩が垣間見えるような気がする。
 この小説は「カジモドの結婚」という短い章で終わっている(その前の章はさらに短い「フェビュスの結婚」という章だったが)。この結婚には、いかなる形容詞も付いていないし、皮肉のかけらもない。
 エスメラルダとフロロが死んだ日に、カジモドは姿を消し、エスメラルダの死骸はパリ郊外の墓に運ばれた。
 それから二年後、ひょんなことで、墓の穴倉を覗くと、二つの骸骨が見えた。

《・・・その一つは奇妙な格好で、もう一つのものを抱きしめていた。一つの骸骨は女のもので、・・・(略)・・・もう一つの骸骨は、男のものだった。見ると背骨はまがり、頭は肩甲骨の中にめりこみ、一方の足は、もう一方より短かった。そのうえ、首の椎骨が少しも砕けていないのを見ると、この男が絞首刑になったのではないことは明らかだった。この骸骨の主は、ここにやって来て、ここで死んだのだ。この骸骨を、その抱きしめている骸骨から引き離そうとすると、白骨は粉々に砕け散ってしまった》(p.502)

 これが500ページに及ぶ、『ノートル=ダム・ド・パリ』の最後の文章だ。死してもなお、カジモドのエスメラルダに対する愛情は変わらず、限りなく深く、美しい。
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文学雑感 | 16:01:32 | Trackback(1) | Comments(0)
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『ノートル=ダム・ド・パリ』を読んで(5)
VI. 終章「カジモドの結婚」 物語は、題名『ノートル=ダム・ド・パリ』にふさわしく、この大聖堂を舞台に、壮絶な展開を見せる。注意 !!! まだ... 2008-10-14 Tue 10:12:52 | 大好きなわんことバレエ

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