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石田明生

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渋谷で「パリ散歩」・・・映画『モンテーニュ通りのカフェ』
 5月4日は「緑の日」と言うらしい。毎日新聞第一面のいつもの青が緑色になっていた。以前は、29日をそう呼んでいたように思う。今では29日は「昭和の日」と呼ぶらしい。多分昭和天皇を慕って付けたのだろう。何の意味もなく祝日を作るなら、祝日のない6月にすればいいのにと思うのは素人の浅はかさだろうか。連休にした方が、経済効果が期待されるのかもしれない。もともとこのような祝日(5月4日のような意味のない祝日)は、国民を休ませるためというより、経済効果を狙ってのことだろうからだ。
 その「緑の日」、渋谷にパリを味わいに行って来た。そういう意味では、僕もほんのわずかながら経済効果に貢献したかもしれない。


ポスター
ユーロスペース



 東急デパート本店の七階に着いたのは、正午にとどかない15分ほど前だった。「パリのカフェ展」を見学するためだ。ここに来る前、映画館「ユーロ・スペース」に寄って、2時10分からの映画の整理券を受け取っておいた。どうやら我らがねらいの映画『モンテーニュ通りのカフェ』は評判がいいらしく、想像以上に混むと思われるからだ(それは大正解だった!)。
 「パリのカフェ展」は、規模こそ小さいものだったが、時間軸に沿った、わかりやすいと言えばわかりやすい正統的な展示会だった。「カフェ・プロコップ」から始まり、サン=ジェルマン・デ・プレ界隈のカフェ「カフェ・フロール」と「ドゥー・マゴー」で終わるのだが、付属の文化村地下にあるカフェ「ドゥー・マゴー」と「ドゥー・マゴー賞」をしっかり紹介しているのはおまけだろう。

パリのカフェ
東急デパート本店

 苦言を呈すれば、カフェとキャバレー(またはビストロ)、カフェとブラッスリーを無造作に混同して欲しくない。作家や芸術家のたまり場としてのカフェを紹介するのに、「ラパン・アジル」や「ブラッスリー・リップ」「クロズリー・デ・リラ」などを特別の注意書きもなく取り上げていたのはいささか軽率ではないだろうか。また、カフェを特集するのに、十九世紀に興隆を見た「カフェ・アングレ」や「カフェ・ジョッキー=クラブ」などや、当時はやりにはやったアイスクリームやシャーベットも紹介したら面白かったろうに。なによりも最大の規模を誇る「カフェ・パリジャン」について一言もなかったのはとても残念だった。これこそカフェ中のカフェだったろうに・・・

カフェ・パリジャン
「カフェ・パリジャン」(ギッド・ブルより)


 などと文句を言っても仕方がない。会場に訪れた見学者たちが期待しているのは、やはりエコール・ド・パリの画家たち(とりわけ藤田嗣治)が青春時代をおくった「ル・ドーム」「ラ・ロトンド」「ラ・クーポール」などモンパルナスのカフェだったであろうし、サルトルやボーヴォワールとともにサン=ジェルマン・デ・プレ教会界隈のカフェについての逸話だったろう。
 小さな会場を出ると、これも一種の土産物売り場なのか、パリに関する品物が所狭しと並んでいた。アリスティード・ブリュアンのTシャツ、ロートレックの絵のキューブリック・キューブ、パリ紹介のさまざまな本。

店内
さまざまなパリ本

ドワノー
ドワノー写真集

 結局僕もドワノーの写真集を一冊買った。パリを味わうには彼の写真は最適だ。しかも、最晩年の彼は、このブログでも紹介したミュージシャン「ルノー」を撮っている(1985年)。これはおもしろい。今は病み上がりで、アル中のような、うらぶれた姿となったシンガー・ソング・ライターも、かつてはドワノーの関心を引きつける魅力を発散していたのだろう。そういえば、ルノーは自身の作『あの世の飲み屋で再会』(http://scipion.blog60.fc2.com/blog-entry-17.html#more)のなかでドワノーに言及している。彼にとってドワノーは、生きている人間以上に親しみの持てる友人だったのかもしれない。

ルノー
ドワノーによるルノーの写真

 映画の予定時間まで、あと一時間というところで、ユーロスペースのあるビルにいそいそと戻る。なぜ「いそいそ」かと言うと、雨がポツリ、ポツリ降り出したからだ。ビルの一階に「プロローグ」という、イタリアレストランがあったことを確認していた。千円で一時間以内食べ放題と言う。食べ放題の店で、おいしい所はないと決まっているけれど、薄暗い空と相談するとそんなことを言っていられない。
 というわけで、大皿を片手にセルフサービスとあいなった。当たり前だが。50歳以上の夫婦割引を当て込んで映画を見る、そんな年配者は、店内にはひとりとしておらず、平均年齢はどう見ても二十代。僕も、大食いなら昔取った杵柄とばかりに、彼らに負けじと、サラダ、グラタン、白身魚のフライ、スパゲッティ、スープなどなどを平らげた。次にいざデザートに及ぼうとしたら、なんとタイ風カレーがあるではないか。このレストラン、どういうわけかタイ料理もやっているのだ。というより、もしかしたら本職はタイ料理かもしれない。それならばなおさら、目の前にグリーンのカレーを前にして、すごすご引き下がることはできない。というわけで、五穀米のようなご飯をひと盛りして、グリーンのカレーをかける。これがびりびり辛くてうまい。最初からわかっていれば、他のを割いて、これを主にしたのに・・・などと後悔しても始まらない。腹がくちくなったので、デザートはあきらめて、コーヒーだけにする。やはり食べ過ぎたか。
 そこから三階に昇れば、目指す映画館だ。先ほども言ったが、ひどい混みようで、案内嬢の声が「もう立ち見席しかありません」を繰り返している。我々は10番目に入ったので、後ろでもなく、前過ぎもせず、程よい席が取れた。これは、この映画の内容とも関係しているかも? ? ?
 さて、この『モンテーニュ通りのカフェ』、結論から言うと、きわめて良質の映画だった。Bravo! を叫びたいほどだ。
 もっとも、監督は『ビュッシュ・ド・ノエル』『シェフと素顔と、おいしい時間』のダニエル・トンプソン(1942年生)だという情報があったので、予想通りと言えるかもしれない。彼女の手になるもので、ひどい、散々な映画に出会うとは思えない。前作二作とも、それなりによくできたコメディーに仕上がっていたからだ。何よりも彼女のこだわりである「おかしみ」「美味」「人の触れ合い」を味わえた。当然今回の作品もそれを期待できるし、事実前作以上に、そのこだわりを感じ取ることができた。
 原題は『オーケストラ・シート Fauteuils d’orchestre』という。「席」は前過ぎても良くないし、後ろの方ではもちろんよく見えない。程よい席があるし、人はそれを求める。人間関係もそうなのかもしれない。
 冒頭ジェシカの祖母(シュザンヌ・フロン)のナレーション、「私は宝石が好きだった。ある日、私は荷物を持ってパリに出たの。色々仕事を捜したけど、やっと見つけたのがホテル・リッツの清掃係。セレブに憧れたけど、私にはなる術がなかったから」(この清掃係という語、フランス語では「マダム・ピピ(トイレに座っているおばさん)」と言っていたような)が流れる(パンフレット、p.4)。
 そんな祖母の話を聞いて育ったジェシカも、単身パリに乗り込み、パリは8区のモンテーニュ通りにあるカフェで、臨時の「ギャルソン」として働くことになる。このカフェ「バール・デ・テアートル」はその名の通り、シャンゼリゼ劇場の向かいにあり(シャンゼリゼ通りにあるのとは別の劇場・・・念のため)、有名無名の俳優たちが常連客となっている。「アラン・ドロンも来るよ」とはカフェのギャルソンリーダーのマルセルの台詞だ。マルセルは解説によると実在のギャルソンの名前で、フランソワ・ロランという俳優が演じている。言い忘れたが、実在のギャルソンを持ち出したくらいだから、当然だがこの「バール・デ・テアートル」というカフェは実在している。『アメリー』のカフェ「ドゥー・ムーラン」のように観光スポットになるだろうか。
 また話が逸れそうになった。というわけで、ジェシカ(セシール・ド・フランス)は、そこで働きながら、さまざまな人と出会う。

セシル
ジェシカ(セシル・ド・フランス)

 人生の先が見えて来て、生涯をかけて集めた美術品をすべて売ろうとしている資産家のグランベール(クロード・ブラッスール)。彼は自分の息子の元恋人の女性と付き合っている。そのこともあって父とうまくいかないインテリの息子(監督の息子クリストファー・トンプソン)。
 世界的なピアニストとして名声をほしいままにしているが、演奏会のたびに感じるのは不完全燃焼と虚飾臭というピアニスト(アルベール・デュポンテル)のルフォール。彼は本当は病院や刑務所や学校で、クラシック音楽に普段接しない人たちの前で弾きたいと思っている。
 昼メロドラマで人気を博してはいるが、本当の芸術作品に出演したいと思っている女優カトリーヌ(ヴァレリー・ルメルシエ)。
 かつて歌手になる夢を抱いていたが今は劇場の一室に居を構えて役者たちの面倒をいろいろと見ている管理人のクローディー(ダニ)。ジェシカが一夜の宿を借りるのもここだ。
 カフェと、カフェの出前を通じて、ジェシカはこのような別世界の人たちと瞠目しながらも接触する。彼女のそんな姿に気負いも何もない、ただ自然体があるだけだ。そして彼らはジェシカを介して互いに混じり合い、打ち解け、ジェシカの自然体にと馴化して行く。
 驚くべきことだが、このドラマはジェシカがパリに着いてたった三日の出来事を描いているにすぎない。監督のトンプソンはまるであの古典劇の規則「三単一の法則 règle des trois unités」を念頭に置いているかのようだ。時間(temps)は今述べた通り「三日間」、場所(lieu)は「モンテーニュ通り」、行為(action)は「快適な席の取り方」ということになるだろうか。そういえば、『ビュッシュ・ド・ノエル』でも三日間、「シェフと素顔と、おいしい時間」では二十四時間のドラマだった。そういう意味では、この古典劇的明快性はトンプソン監督の真骨頂でもあったのだ。

注 : 「三単一の法則 règle des trois unités」とは、17世紀に確立するアリストテレスの『詩学』に基づく演劇理論で、観客が「本当らしさ」を体験するために、現実と劇内のストーリーは、時間においても場所においても行為においても、かけ離れてはいけないという規則。「ただ一つの場所で、ただ一日のうちに、ただ一つの行為が完結する」(ボワロー)のを理想とした。つまり、数時間の芝居なのに、何年も経過したり、ひとところで観劇しているのに、舞台がいろいろな所に移ったりするのを合理性に反するとして、これを退けた。17世紀にはコルネイユを筆頭に優れた作品が生まれるが、18世紀以降は形骸化し、後、ロマン派の批判対象となる。
 ちなみに、名画『死刑台のエレベーター』の中で、ドイツ人殺しを担当した刑事は新聞記者に次のようにコメントする。
「この事件は明快です。古典劇のように解決するでしょう」(うろ覚えですが、こんな感じでしたか)

 ジェシカを演じたセシール・ド・フランスは『スバニッシュ・アパートメント』『ロシアン・ドールズ』で馴染みがあったとはいえ、やはりこのギャルソン役で僕の記憶の中に永遠におさまるだろう。この作品の中で、彼女は溌剌としたかわいさと、気張らない逞しさを、小気味よく表現している。エッフェル塔のある8区の風景としっくりマッチしていて、あの辺りを歩いていると、なんとなく出会えそうな雰囲気がある(出会って「ボンジュール!」と挨拶を交わしたい)。
 滑稽な女優役のヴァレリー・ルメルシエは、ここでも紹介したことのある「ソワレ・デ・ザンフォワレ(愚者たちのコンサート)」に一度出演したことがあり、知ってはいたが、こんな魅力的な女優とは知らなかった。家に帰ってさっそく「コンサート」の映像を見てしまった。映像の中で彼女はトントン・ダヴィッドと二人でミュージカル『スタルマニア』の曲をまじめくさって歌っている。このクソマジメさこそ、彼女の演技で、見事に我々は騙されたのかもしれない。

ヴァレリ
女優カトリーヌ(ヴァレリー・ルメルシエ)

 クロード・ブラッスールに関しては、あまりにも有名な俳優なので今更の感がするが、健康で元気な姿を見せてくれたのでとても嬉しかった。どんな役をやらせても、あまり目立たないで、きれいにこなして行く、彼はそんな俳優だ。『天井桟敷の人々』のピエール・ブラッスールの息子だから、彼らは二代に渡って僕に、映画ファンに感動を送ってくれたのだ。
 ピアニスト役で、にやりと笑わせてくれるアルベール・デュポンテルは、この映画で初めて出会ったと思うが、どこかで見たことがある、いわば déjà vu デジャ・ヴュの俳優だ。僕はこのような「おかしみ」のある俳優が好きだ。僕にとってフランス映画が心地よいのはこんなさりげない「おかしみ」が刷り込まれているからかもしれない。「くすり」と笑わせてくれない映画なんて・・・
 さてこの古典劇的コメディーの大団円は三日目に訪れる。
 それは、ピアニストにとってはすました連中を前にした窮屈な演奏会の日であり、女優にとっては、古くさくてうんざりするフェドー(J. Feydeau 1862-1921)の芝居の初日であり、収集家にとっては、生涯をかけて集めた・・・なくした妻の思い出の品(ブランクーシの『接吻』)までも・・・美術品を売り飛ばそうとする競売の日だ。
 そして、モンテーニュ通りのカフェ「バール・デ・テアートル」にとっては、演奏会と芝居と競売の客たちが一時にどっと押し寄せて来る嵐のような日・・・

 ルネッサンス時代の偉人の名を冠したモンテーニュ通りは、ダイアナ妃の記念碑となった、自由の女神の持つ炎のあるアルマ橋のふもとから、シャンゼリゼ通りの優雅な交差点「ロン・ポワン」まで続く、1キロ弱の美しいアヴニューだ。
 今日緑の日の「パリ歩き」は、ミント水、コーヒー、サンドウィッチ、クロワッサンなどのお盆を片手に、忙しそうに立ち働くギャルソンたちを見ながらの、心弾む散歩となった。大満足。
 あっ、そうそう、また映画の話だが、いい役をもらいたい女優のカトリーヌが、著名な映画監督の目の前で、がばっとかぶりつく子羊のローストのおいしそうだったこと。食い放題後で食傷気味だったというのに、またぞろ腹の虫が・・・これだから、フランス映画はたまらない。

渋谷
ここは渋谷です。パリではありません。念のため
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プロムナード | 21:47:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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