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美しさいや増すジュリー・ゼナッティー・・・パンドラの箱
 ジュリー・ゼナッティーのことを知ったのはいつだろうか。だいぶ前に、ある人からミュージカル『ノートル・ダム・ド・パリ』のCDをいただいた。5・6年前になるだろうか。そのキャストのなかに、ジュリー・ゼナッティーの名前があったはずだ。いや「はず」ではない。もちろんある。そのCDは今手元にあるから間違いはない。だが、その当時は不覚にもエスメラルダやカジモドに目が向いていたために、もっとも目立たないフルール・ド・リス役のジュリー・ゼナッティーをあまり意識していなかった。
 それから、2・3年後、2005年の「ソワレ・デ・サンフォワレ(愚か者たちのコンサート)」に出演している彼女に再会する。あとでわかったことだが、彼女は2003年からアンフォワレに出演していた。それから今年までずっとアンフォワレに出ている。

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『私の哲学』を歌うゼナッティー(2006年の「ソワレ・デ・ザンフォワレ」)



 ジュリー・ゼナッティーはその魅力を年を追うごとに増している。ありふれたアイドル歌手は、二十歳前後の若さがなくなるにつれて、存在感が薄れるのに対して、ジュリー・ゼナッティーはその逆だ。
 フルール・ド・リス役だった16歳の彼女は、まるでさなぎのようだった。もちろんかわいい女の子ではあったが、まだ自分の本当の武器を知らない、本当の姿を知らない少女に過ぎなかった。あるいはこうも言えるのかもしれない。「ミュージカルのように演出家に縛られた役どころでは自己発現の余地がまったくなかった」のだと。

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ミュージカル「ノートル=ダム・ダム」の一場面、パトリック・フィオリとゼナッティー

 これは彼女のフルール・ド・リスが良くなかったと言っているのではない。なんどもミュージカルをDVDで見たが、彼女の歌も演技も申し分ない。まったく問題なくこなしている。それどころか、wikipediaによると、彼女のソプラノは完全に観客を魅了してしまったということだ。うなずける。
 だが、ジュリー・ゼナッティーの魅力は、他者によって演出されるものではなく、彼女がある歌、ある曲、ある背景の中に投げ込まれたときに、その環境に反応し自然発生的に湧出してくるものだ。

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左から、ジュニフェール、ナターシャ・サン=ピエール、リアーヌ・フォリー、ゼナッティー(2003年の「ソワレ・デ・サンフォワレ」)

 その感を強くしたのは、2003年から2008年までの「愚か者たちのコンサート」に出演しているジュリー・ゼナッティーを見てからだ。「出演」とは、彼女が歌っているときだけのことではない。そうではなくて、むしろその他大勢で、踊り、走り、歩いているときの彼女の演技(というより仕草)のことだ。そんな時、各出演者たちは自由に演技しているが、そのなかにあってジュリー・ゼナッティーの顔の表情やからだの動きは群を抜いている。わざとらしさのない「かわいさ」にあふれている。そしてその「かわいさ」は年とともに妖しい魅力を帯びるようになって来た。

Zenatti3
アルバム「Comme vous」の表紙

 昨年の9月、パリのデパートBHVのCD売り場で、彼女の最新アルバム「パンドラの箱」を見つけた時が、ジュリー・ゼナッティーのさなぎからの変身に遭遇したときだったのかもしれない。
 MCソラールの低いつぶやくような語りと、ジュリー・ゼナッティーの張りのある高音が、交差し合い、混じり合い、共鳴し、ギリシャ神話の世界を作り上げる。そのとき、かつて少女だったジュリー・ゼナッティーは、たくまずして源初の女パンドラに、こう言って良ければファム・ファタルfemme fataleに変容する。

次のURLをクリックすると聴くことができます。

https://www.youtube.com/watch?v=P__HYngTXtA
La Boîte de Pandore「パンドラの箱」

Julie Zenatti et MC Solaar ジュリー・ゼナッティーとMCソラール

(MCソラール)
神話は語る
かつて人の暮らしに女はいなかった。
疲労も老いも苦痛も知ることはなかった
ゼウスは女性という生き物を生み出した
女はありとある恵みで飾られていた
美貌、知性、狡猾、賢しさ、色香
ところが女は、パンドラは、瓶を開ける
その瓶から、苦痛、死、盗み、殺人
女の手は、パンドラの箱を開けた
でも、蓋をすぐに閉めようとしたのだろう

(ゼナッティー)
血と土と水で作られた人形に過ぎなかった私、
きゃしゃでひ弱な娘に過ぎなかったのに
今では重荷を背負う宿命の女
神々は私をパンドラと呼ぶ
お願いだから、私の話を聞いて下さい。

天空にいて、私は混ぜてしまったの
生の息吹に害悪を
禁じられた壷を開けたから

閉めて
お願い
パンドラ
後生だから
後生だから
愛が甦りますように
暗闇が光に変わりますように

(MCソラール)
女は手ずから不信と嫉妬を解き放った
女は貪欲と狂気の鎖を断ち切った
女は害悪に名前をつけた
頼むから、女を許してやれ
女を許してやれ
(抄訳)

 「パンドラの箱」は周知のようにギリシャ神話における人類創造神話の中に出てくる話だ。簡単に紹介してみよう。

★           ★           ★


 神々は人間を大地の下で、大地と火から創り出し、光のもとに引き揚げようとした。その時、プロメーテウスとエピメーテウスの兄弟は人間をいろいろなもので飾るよう神々に命令された。この仕事をエピメーテウスはプロメーテウスに頼んでひとりでおこなった。ところがこの粗忽者はすべての飾り物を動物のあいだだけで分けてしまい、人間だけ身につけるものがなくなってしまった。そこで兄のプロメーテウスは、ヘパイトスや女神アテナの火と技術を神殿から盗み、人類に与えねばならなくなった。人間はそのおかげで大いに助かったが、プロメーテウスはそのために罰を受けることとなった。
 さてゼウスは、人間界にあかあかと燃える火を認めて、怒りに満ち、人間のために禍を準備することにした。ゼウスの命を受けてヘパイトスは、恥じらう乙女を土から創りあげ、女神アテナはその乙女を着飾った。
 この魅力的な乙女は、エピメーテウスのもとに遣わされた。先を読むことに長けた兄のプロメーテウスはゼウスからの贈り物をいっさい受け取らないように弟に忠告していたが、粗忽者のエピメーテウスは、それを無視し、乙女パンドラを妻とする。それまで人類は禍も苦労も病気もなく暮らしていたのだが、禁じられていたにもかかわらず、女は激しい好奇心から巨大な陶器の器の蓋を開けた。するとそこからありとあらゆる禍が解き放たれた。ただ、ひとつ希望だけは容器の縁にとどまり、外に出ることはなかった。これこそゼウスの深謀遠慮でもあった。人間はパンドラとともに女を得たが、ありとあらゆる禍に囲まれて暮らすこととなり、希望を知ることはなかった。
 パンドラとは「贈物多き女」「すべてを贈る女」という意味だ。
 ところで、エピメーテウスはパンドラとのあいだに娘をひとりもうけた。ピュラーという。ピュラーはプロメーテウスの子デウカリオーンの妻となった。
 さて、ゼウスは青銅時代の種族を滅ぼそうと大洪水を起こすこととした。デウカリオーンとピュラー夫妻は、「先んじて知る者」であるプロメーテウスの予言により、ひとつの箱を作り、すべての必要なものを中に入れ、山に登った。ゼウスは激しい雨を天から降らせて、全土を水で覆う。デウカリオーンとピュラーは箱に乗って、九日と九夜、水の上を漂い、ついにパルナッソスの山に漂着する。水が引けると、二人は、ゼウスに生け贄を捧げて助かったことを感謝した。すると、ゼウスは二人に感心し、何でも望むものを与えると約束する。デウカリオーンは人間を望んだ。するとゼウスは、デウカリオーンに石を持って、それを頭越しに後ろに投げるように命じた。デウカリオーンが投げた石は男たちとなり、ピュラーの投げた石は女たちとなった。
 こうして人に火と禍をもたらしたプロメーテウスとエピメーテウスは人類の祖先となったのだった。二人の名前は、プロメーテウス Prométhéeは前にも言ったが「先んじて知る者」の意であり、粗忽者エピメーテウスEpiméthéeは、「あとからようやく学ぶ者」を意味する。これは、プロローグ(序章)prologueの接頭語pro(先)とエピローグ(終章)épilogueの接頭語épi(後)に符合する。
 ところで、火を盗んだプロメーテウスはゼウスから重い罰を受けねばならなかった。彼は、カウカソス(コーカサス)山の岩に縛り付けられたまま、鷲に肝臓をついばまれたのだ。獰猛な鷲が日中食べたものは、夜のあいだにちょうどその分だけ再生した。こうして、この罰は永劫の罰となった。とは言っても、現在コーカサス山に行っても巨人族のプロメーテウスはいない。劇作家アイスキュロス(紀元前524-456)によると(劇作『縛られたプロメーテウス』)、ヘラクレスがその獰猛な鷲を射殺し、巨人を解放したらしい。

メモ : ジュリー・ゼナッティー(1981年生)は、『ノートル・ダム・ド・パリ』の作詞をしたプラモンドンに16歳のときに見いだされた。それからの彼女はほぼスター街道をまっしぐらというところだろう。またまたwikipediaによると、2002年から2007年まで、『ノートル・ダム・ド・パリ』のフェビュス役のパトリック・フィオリと婚約していたらしい。もしそうなら、ミュージカルの世界が現実になったことになる。が、二人が結婚したかどうかわからない。小説やミュージカルでは、エピローグで結婚したのだが・・・

Zenatti
左から、エレーヌ・セガラ、ジェラール・ジュニョ、
セリーヌ・ディオン、J.-B.モニエ、ゼナッティー、ロリー
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ポップ・フランセ | 16:43:25 | Trackback(0) | Comments(0)
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