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石田明生

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《お疲れさま》今事情
 今日は「お疲れさま」と二回言われた。

 夏休みに入って、自転車で十分ほどの距離にある図書館に通っている。

桜並木
図書館に行く途中、このような桜並木を通るので、炎天下でも大丈夫だ。セミは耳を聾し、鳥たち(雀とムクドリ)は右に左に飛び回る。

セミの抜け殻
セミの抜け殻


館内に「情報学習室」という部屋があり、そこでパソコンを使って「学習」できるからだ。ロベールやラルースなどフランスの辞典こそないが、日本の仏和辞典がいろいろそろっている。涼しい環境でのんびり過ごせるから、最初弁当持参で通おうかとも思ったが、館内は飲食禁止なので、それは断念した。


 ところでその「学習室」に入るには、図書館カードを渡して、代りに番号札をもらわねばならない。帰りにはその逆、係員の方に番号札を渡して、図書館カードを返してもらう。「お疲れさま」を言われたのは、そのときだった。女性の係員の方に番号札を渡すと、彼女は「お疲れさま」と言って、図書館カードを返してくれた。僕は「?」と思って、どうすることもできず、笑いとも驚きともつかぬ、曖昧な表情を返しただけだった。

セミ
アブラゼミ

 図書館からの帰り道、自転車をこぎながら、何度も「お疲れさま」を繰り返してみた。どうして彼女は、「お疲れさま」と言ったのだろう。「学習室」で学習した図書館利用者が、彼女の同僚のような存在とは、到底思えないから、同僚意識としての「お疲れさま」でないことは確かだ。実は、その女性が僕にカードを返してくれたのは初めてではない。彼女が僕のことを覚えているかどうか知らないが、もちろん僕は覚えている。

水田と図書館
桜並木の後は、日影ひとつない田んぼ道。ここを一挙に過ぎれば図書館に至る。水田の向こうに見えるのが、区役所と図書館。


 それでは彼女も僕の顔を見知っていて、カードを返す際、何か、お愛想を言わねばとでも思ったのだろうか。その瞬間口をついて出てきた言葉が「お疲れさま」だったのか。
 ところで、そんな「お疲れさま」に対して、何と答えたらよいのだろうか。互いに仕事を終えて帰路につくのなら、「お疲れさま」と言えばいい。だが、先ほどのような場合、どうしたらよいか。「ではまた明日」(でも翌日来るかどうかわからない)か、「いえ、たいして疲れていません」(理屈っぽすぎる)か、「ありがとう」(カード返してくれたことに対する感謝の念か、はたまたねぎらってくれたからか)か・・・
 この疑問は、大学の教室内でもわき起こる。というのは、いつ頃からだろうか、時々授業終了時に学生から「お疲れさま」を言われるようになったからだ。最初は、びっくりし、とまどった。そこである時、学生たちに言ったことがある。「授業終了時に、学生が教師に対して《お疲れさま》というのは、おかしいのではないか」
 これに対して、学生たちの反応は、「えっ?」という驚きが一般だった。「どうしてですか?」
 「《お疲れさま》は、同僚、ないしは目下に対する表現ではないでしょうか。別に僕が偉いと言うわけではありませんが、やはり、教師に対しては変です」
 「ではなんと言ったらよいのでしょう?」
 「えっ! 僕に言わせるのですか?」(僕はこの時本当に戸惑ったことを覚えている)「別に僕に言え、というわけではありませんが、他の先生もいらっしゃることだし、言わせてもらえば、《ありがとうございました》が一番いいと思う」
 実際、昔でも今でも、授業終了時に《ありがとうございました》という学生がいる。そんな時、教師としての気持ちよさを感じるのはもちろんだが、その学生の育ちの良さも感じ取れる。《お疲れさま》と言う学生が、別に育ちが悪いとは言わないが、朝でもないのに《おはよう》という学生と同様、彼等はアルバイトの世界を教室に持ち込んでいるのではないだろうか。教室という場とアルバイトの世界はやはり峻別されるべきだと思う。

 午後四時頃、歯医者に予約を入れていた。今月末にフランスに行くので、その前に歯を治しておこうという腹づもりだ。さもないと、せっかくフランスに行っても、楽しみが半減してしまう。
 さて、治療費を支払い、次の予約を入れて帰ろうとすると、受付の女性から「お疲れさまでした」と言われた。今度もまた面食らって「いえ、はあ、ではまた」とか何とか言って、窓口を後にした。
 身体をこわばらせたり、冷や汗をかいたりさせられるので、患者にとって歯の治療はまさに《お疲れさま》に相当するのかもしれない。

 よく考えてみると、どんな状況においても、《お疲れさま》に対する、適切な返答はないようだ(「ご苦労さま」も同様)。もしするなら、「お疲れだったでしょう」という意味だろうから、「それほどではありません」「大したことありません」となるだろうか。
 日本人は他人の骨折りをねぎらうのによほど気を使ったのだろう。「疲れ」や「苦労」に尊敬語の「お」や「ご」をかぶせるだけではあきたらず、「さま」まではかせているのだから。
 「情報学習室」での「学習」は、涼みながら、パソコンにこんなような雑文を書いて、リラックスしているのだから、《お疲れさま》という、最高度の敬語にまったく値しないのは明らかだ。
 大学の授業もしかり? ん?

追記 : 翌日、図書館カードを受け取る時、例の係員の女性に「お疲れさま」と言われた。彼女は、カードを返す際、いつも、だれにでも、そう言うのだろう。
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雑感 | 20:29:26 | Trackback(0) | Comments(0)
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