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石田明生

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2008年夏の旅行記、セートの町探訪、9月4日(1)
 2008年夏のフランス旅行記は、地中海に面する小さな町、セートから始めよう。ずっと以前から思い入れのあった町だから。

 セートは、ラング・ドック地方の最東端の町モンペリエから、列車で30分ばかりのところにある、地中海と鹹湖(かんこ)トーに挟まれた《トカゲのように延びた》(Pierre Berruer “Georges Brassens”p.13)町だ。トカゲの背中は、緑濃い「サン・クレール山」(海抜184メートル)に当たるのだろう。背中から腰の部分に運河が縦横にうがたれ、町並みが形成される。昔は漁師の町だったろうが、今はたくさんのヨットが係留されて、ちょっとしたヨット・ハーバーだ。

セートの町
運河と町並み、緑の丘が「サン・クレール山」



 われわれがセート駅に着いたのは、12時少し過ぎた頃だったので、駅から町の中心地へと、レストランの看板を吟味しながら歩く。これがじつに楽しい時間なのだ。ところが僕にとっては楽しい時間でも、同行している妻にはもっともうんざりする時間らしい。「どこでもいいから、入りましょうよ」とか「歩き過ぎたわ」とか「食い意地はって」とか、非難的言辞が、レストランのメニューを検討する僕の背中につぶてのように投げかけられる。
 たった一度しか食べられない、セートでの食事を求めて、歩くこと、約一時間、市庁舎近くの市場の入り口のこじんまりした小路「ミストラル通り」で、やっとねらいのレストランを見つける。

イカ一見マズそうな烏賊の赤ワイン煮

ロゼワイン


 妻は、牡蠣料理(12ユーロ)、僕は烏賊(イカ)の赤ワイン煮(8ユーロ、「今日の料理 plat du jour」だった)と冷えたロゼワインを500ml(正確な金額は忘れた。8ユーロくらい)を注文した。要するに海の地元料理が食べたかったのだ。路上にはみ出したテーブルで料理を待って10分くらいだろうか、妻の前に登場したのは牡蠣とは似ても似つかぬ、アサリのパスタだった。びっくりした僕は、さっそく店の奥に行き、だれか他の客のを持ってきたのではないかと抗議する、が驚くことに、注文を取ったお姐さんのメモ用紙にはアサリ料理と書かれていた。
 このお姐さん、僕の注文を聞きながら、べつのことを書いていたのか。まさか、名前も(存在も)知らない料理を僕が注文するわけがない。とはいえ、ここで言い争う気持ちなどみじんもない。「アサリのパスタ」のほうが、僕の(そして妻の)要望にずっと添っていたからだ。牡蠣なら、フランスで何度か食べたことがあるが、アサリは初めてだ。地中海のアサリも一興だ。怪我の功名かもしれない。
 僕の注文した、烏賊の赤ワイン煮は思った通りのものだった。真っ白な烏賊(たぶん紋甲烏賊)を残酷にも赤黒く煮込んである。案の定、烏賊は柔らかく舌触りがよく美味しいものだった。
 ちなみに、妻もアサリに満足していた。僕もつまみ食いしたが、日本にいるようななつかしい味がした(結論 : 地中海のアサリも、東京湾のアサリも変わりがない。アサリはアサリだった)。

アサリ

 ロゼワインでほろ酔い加減の僕は、その後コーヒーを、妻は、鹿の角がついたような(鼈甲飴)巨大なアイスクリームのデザートを食べた。

 昼食後は、いよいよ最初の目的地、「海辺の墓地」に向かう。
 レストランのあった町の中心から、ブラブラ歩いて10分くらいだろうか、バス通りから枝分かれした急坂が、われわれを誘うかのように、上に延びていた。「海辺の墓地」は、サン・クレール山のふもと、海岸の絶壁(コルニッシュ)の上にある。
 だから、詩人ポール・ヴァレリー(1871-1945)はその詩『海辺の墓地』の中で、この墓地をエーゲ海の島にそびえ立つ神殿にたとえたのだろうか。

    揺るぎなき宝、ミネルヴァに捧ぐ質素な神殿、
    静寂の量感(マッス)、慎みの現れ、
    気難しき水、それは、炎のヴェールの下で
    多くの眠りを己自身の中に保ちつづける「目」、
    おお 我沈黙す! ・・・魂の中にそびゆる建築
    しかも千の瓦からなりし黄金の極み、「屋根」!

    ただ一度のため息にたとえられもする「時」の神殿、
    その純粋の地点へと我は登り、慣れ染む、
    海の眺めにぐるりと取り巻かれて。
    神々に捧ぐ我が至高の供物として、
    うららかな星のまたたきが
    この高台に極度の軽蔑の種をまく。
(『海辺の墓地』Le Cimetière marin 第4連と第5連 訳に挑戦しましたが、あまりの難解さに音を上げました。あくまで僕流の解釈、アングルのヴァイオリン Violon d’Ingres 以下です)

 20世紀を代表する詩人、知性の人、ヴァレリーの墓は、もしも教えてくれる人がいなかったなら、見つけることができなかっただろう。
 墓地に入ったわれわれは、墓地の地図もなしに来たことを後悔し始めていた。詩人が神殿に見立てた墓地は膨大で、何の標識もなく、ヴァレリーの墓を見つけることは、少しオーバーだが、砂漠で針の一本を探すような至難の業と思われた。
 前方に唯一観光客らしき一団がいたので、位置を訪ねると、その中のひとりが、わざわざ先導してくれた。僕は「その必要がありません。教えてくだされば・・・」と言ったが、彼女は坂道を厭いもせず、ずんずん登り、一つの墓を指し示した。

ヴァレリーの墓

 ヴァレリーの墓だった。確かに、はっきり指し示されなければ、わからないかもしれないような、そんな地味な墓だった。だが、その位置から海の方を眺めると、海の眺めが水平線まで目に入る、絶景の地点だった。

    風立ちぬ! ・・・生きんとせねば!
    無限の大気が我が書を開いては閉じる、
    砕け散った波が思い切り岩からほとばしる!
    飛び去れ、めくるめく頁の数々!
    波よ、砕け! はしゃいだ水たちで砕いてしまえ
    三角帆の鳩らがついばんでいたこの平穏な屋根を!
                    (最終連 拙訳)

海辺の墓地


 海辺の墓地を後にして、坂道を下ると、トカゲの右側、地中海の反対側の鹹湖トーの方に行くバス停があった。さて、次も墓地、ピーの墓地へと向かう。

・・・続く・・・
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2008年夏の旅行記 | 09:59:40 | Trackback(0) | Comments(0)
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