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石田明生

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2008年夏の旅行記、セートの町探訪(2)
 ピーの墓地は海辺の墓地と違いほとんど起伏がなく、平たく広がっていた。ここでも地図がなければ目指す墓地を探し当てることはできないだろう。不安を抱きながら墓地に入ると、幸いにも、入り口に管理事務所があり、年配の管理人がつめていた。
 「ジョルジュ・ブラッサンスの墓はどこでしょうか?」
 管理人はとたんに相好をくずして、立ち上がり、ついてくるように合図をした。小径に立つと、次のように言った。

墓

 「ここを真直ぐ行って、三つ目の角を右に曲がりなさい。ほら、あの松の木の下ですよ」
 「やはり、松の木があるのですね」にやりとすると・・・
 「ええ、もちろん、彼のために植えたのですから」と、ウインクをした。
 後ろを振り返ると、ブラッサンスの墓を示す標識が立っていた。訊くまでもなかったのだ。孤高の詩人ヴァレリーと異なり、この吟遊詩人はあくまで民衆を愛し、民衆に愛され、民衆として生きたから、墓参者が絶えないのだろう。見ると、例の松の木の方に、何組かの墓参者の群れがあった。

ブラの墓
ジョルジュ・ブラッサンスの墓



 ところで、「松の木」のことだが、ブラッサンスは生前『セートの浜辺への埋葬祈願』(奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳)という遺言のような詩を残し、その中で、「自分の墓に、お願いだから、松の木を、できたら笠松を植えてくれ」と歌っているからだ。
 ブラッサンスの墓は、本人の願いもむなしく、写真付きの立派な墓で、しかも何人かの家族の者と同居していた。松の木は、本人の希望をことごとく裏切った埋葬者たちの、弁明なのだろうか。

   我が家の墓穴は残念ながらさして新しくはない
   俗に言えば押し合いへし合いもいいとこだ
   おまけにここから誰も出て行く者はない
   遅過ぎたきらいがあるんだから言えやしない
   此処の律義な先住者達に「ちょっとつめて下さいな
   新入りのためにどうにかこうにかして」なんて
      (第4連 奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳)

 彼はこう歌って、混み合った先祖の墓にではなく、海岸線の砂浜に埋葬して欲しいと頼んでいる。そうすれば、

   彼が僕より素晴らしい詩句を書いたところで
   僕の墓地は少なくとも彼のよりは海寄りで
   土地の人達の苦情を聞かないのがいい
       (第8連 奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳)

 ちなみに、「彼」とは、彼の大先達、ポール・ヴァレリーのことだ。つまり、詩句では20世紀最大のこの郷土の詩人に劣っても、せめて彼よりは海に近い所に埋葬して欲しいと願っているのだ。
 もちろん、それはかなわぬことだった。彼の友人たちは、そのことを重々承知しながらもピーの墓地に埋葬せねばならなかった。そのせめてもの埋め合わせが、松の木と、隣の記念碑なのだろう。

記念碑
墓の傍にある記念碑、次のような詩句が書かれていた。


   注文のつけ過ぎかな僕の小さな領地に
   頼むから針葉樹を植えて欲しい
   パラソル松なんかならなおいい
   心優しく僕の墓にお参りに
   来てくれる親友達を
   日射病から守るのだなんて誰も気付くまいが
(第10連 奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳・・・pin parasol を「パラソル松」としているが「笠松」のこと[筆者])

 墓地からバス停で一区間ほどのところに「エスパス・ブラッサンス」が
ある。ここでブラッサンスの生涯の足跡が見られるはずだ。左手墓地の先に鹹湖トーが広がり、右手には緑なすサン・クレール山の山麓が這い上がる広大な視界の中をブラブラ歩くと、右にブラッサンスおなじみのくわえパイプの標識が現れた。

標識くわえパイプの標識

エスパス
エスパス・ブラッサンスの建物


先には、ガラスとコンクリートの超近代的な建物がある。これが今回の旅の目的地の一つ「エスパス・ブラッサンス」だ。さっそく中に入り、入場券を求める(大人5ユーロ)。受付にいた中年の男性に「どちらから来たか」と訪ねられる。おそらく東洋人の入来は珍しいのだろう。「日本人」と答えると、とたんに相好をくずす。日本が、特に「俳句」が好きなのだそうだ。僕は僕で、ブラッサンス大好き人間だと自己紹介しておいた。
 入り口で、オーディオ・ガイドのヘッドホーンを渡される。これが優れものだった。
 展示室の部屋に入るごとに、その部屋で展示されているテーマに合った彼の曲が聞こえてくる仕組みになっている。例えば、彼の生涯の友人ジャンヌ(とその夫)との出会いと生活の展示室では、『ジャンヌのアヒル』が、耳の中に流れ込むというわけだ。

ジャンヌ
アヒルを抱いたジャンヌの写真

 ジャンヌは料理に使うつもりで雌のあひるを一羽買った。けれどジャンヌも居候のブラッサンスも、そのあひるを絞め殺す気にはなれなかった。あひるはこの家で一種の神聖な鳥に成ってしまい、やがて年老いて死んだ。この実際にあった話をブラッサンスは『ジャンヌのあひる』というシャンソンにした。・・・(略)

ジャンヌのあひる  La cane de Jeanne 1953
   
   ジャンヌの
   あひるは
   めでたい正月に死んだ
   前の日に
   めずらしく
   卵を産んで

   ジャンヌの
   あひるは
   風邪をひいて
   死んだ
   どうもそうらしい
   かわいそうに
  
   ジャンヌの
   あひるは
   卵をだいて
   死んだ
   まっさらな羽根の
   綺麗な衣装で

   ジャンヌの
   あひるは
   つれあいがなかった
   羽根と卵をもらったのは
   あかの他人の
   わたしらだった 

   みんなみんな
   きっと
   長いこと
   覚えているだろう
   ジャンヌのあひるの
   思い出を
   何てこったんだと
(第10連 奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳 解説も)

 パリに上京したときにはもちろん、『水切り遊び』だ。

  水切り遊び     Les ricochets 1976  

   生れ故郷を飛び出した時
   僕はせいぜい十八歳だった
   ある晴れた日わくわくしながら
   都に着いたのだが
   「さあ来いパリ」
   と雄たけびして
   イル・ド・フランスへ
   入った訳じゃない
   おおバルザックさん
   あんたのラスティニャックと
   僕が張り合うなんてとんでもない(二回)
   
   お偉方は高枕で
   眠ってりゃいい
   何も脅かそうてんじゃない
   ちょっとイカれた若者が
   モンパルナスの場末へ
   乗り込むだけのこと
   誰も驚くことはない
   僕の最初の足どりが
   まっすぐミラボー橋に
   向かったとしても
   アポリネールにちょっぴり挨拶しに(二回)以下略
(第10連 奥地 睦二・佐藤 哲生・小川 和洋共訳)

「エスパス」は、ブラッサンシストを任ずる僕にとって、時間を忘れる、まるで竜宮城のような場所だ。とどめは、一番奥の上映室に極まった。なんと、彼のコンサートの映像を連綿と流しつづけているのだ。
 妻に促されて、やっと帰り支度をする。帰り際に、先ほどのムッシューに、「どうでした?」と感想を求められる。もちろん、僕の口から出るのは感動のあめあられだ。それどころか、酔ってもいないのに(展示に酔ったか?)、僕は少し、『オーヴェルニュの人に捧げる歌』を口ずさんだほどだ。
♪Elle est à toi, cette chanson
♪Toi, l’Auvergnat qui, sans façon
♪M’as donné quatre bouts de bois
♪quand dans ma vie il faisait froid …
これはあなたの歌です。
あなた、オ-ヴェルニュの人よ。さりげなく
わたしに薪をなん本かめぐんでくれた、
わたしが寒くて寒くてしょうのない時に。(拙訳)

 ムッシューのほうは、芭蕉の句を披露してくれた。僕は、レンモン・クノーを知っているか、と訊いてみた。すると、さすが俳句のオジさん(失礼! 僕より年下かも)、ご存知でした。訪問客ノートに書けというので、Brassensisteを目指していると、汚い字ながらフランス語で書くと、益々親密感を抱いてくれたのだろう、売り物と思われるブラッサンスの大きなポスターを僕に差し出し、持って行けと言う。せっかくだから、いただいた。念のため言っておくが、受付嬢など何人もスタッフがカウンター内にいたのだ。彼女たちは、二人のにわか友達を見て、みなにこにこしていた。もしセートに宿泊予定なら、このムッシューと一晩語り明かしたかもしれない。
 セートにはよい想い出ができたものだ。
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2008年夏の旅行記 | 14:42:24 | Trackback(0) | Comments(0)
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