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石田明生

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武蔵野の散歩・・・はけの森から野川沿いを行き深大寺に至る
連休中は、憲法記念日の五月三日、ma femme と野川あたりを散歩して過ごしました。ねらいは、開館したばかりの中村研一美術館、新撰組局長近藤の生家及び彼の幼年時代の風景、深大寺の白鳳仏、この三つです。
武蔵小金井から小金井神社に行く途中、かわいいお地蔵様が我々を歓迎してくれたので、思わずシャッターを切りました。なんとなく嬉しくなる町ですね、ここは。

黄金地蔵.JPG



小金井神社はありきたりの中規模の神社でした。「澤乃井」の酒樽が積んでありましたが、これが武蔵野らしい風景として溶け込んでいます。

小金井神社お神酒2.JPG

その近くに、「はけの森美術館」(中村研一美術館)がありました。閑静な住宅街に竹林に囲まれたどっしりした建物です。驚いたことに、この建物の一角に画伯の夫人がお住まいになっておられるとのことでした。

はけの森美術館.JPG


美術館入り口.JPG

中村画伯は二十年代終わりにフランス留学をしたとのことでしたが、おもしろいことに、絵のサインは留学中まで Nakamura でしたが、帰国後の三十年代になりますと、Nakamoura とフランス語風に綴っています。もちろんフランス留学でフランス語風にあらためたというのならわかりますが、それでしたら、留学中の絵のサインもそうしてなければ変です。そこで思い出したのですが、もしかすると藤田嗣治の影響かも知れません。というのは、藤田は Foujita とサインしていますから。そんなつまらないことをぼんやり考えながら、ルオーほどではありませんが線の太い、しっかりした構図の絵を見て歩きました。先程の画伯夫人をモデルにした(と思われる)「夏」「裸婦」は息を呑むほどの美しさです。近代的な線を勘定に入れなければレンブラントの「バテシバ」にも通じる程です。
二階には、彼の陶磁器の作品、愛用したトランク、椅子、パレット等が静かに展示されていました。
画伯はここ「はけ」の湧き水がたいそう気に入って、ついの住処としたそうです。美術館の裏にはその湧き水を生かした庭園が作られています。孟宗竹の「あおさ」とまださなぎのままかのような茶色の竹の子が重力に逆らって伸びています。それに竹筒から滴る湧き水の音が加わり幽玄の世界を完成させていました。小さいながら、涼し気で、魅力的な庭でした。帰り際にふと掲示板を見るとあるドイツ人の方がエコロジーを配慮して造園したと書かれていました。

でっかいタケノコ.JPG


庭のわき水.JPG

その美術館から「はけの小路」を歩いて十分ほどで野川に出ます。すると、一瞬護岸工事のコンクリートに唖然としました。
これでは、近藤勇が子供の頃水遊びをした野川とあまりにかけ離れています。

野川2.JPG

ところが野川を南方面、つまり深大寺の方に向かうと、あからさまな護岸工事はなくなり、メダカやザリガニが子供たち(むしろその親たち)によって、災禍に見舞われていました。また両岸は「歩け歩け」運動の人たちが列をなし、林に目をやればバーベキューの人たちでごった返しています。

土手で遊ぶ少女.JPG

我々も野川縁に腰を下ろし、用意したサンドウィッチと赤ワインで昼食にしました。
食後、野川公園を二時間程歩いて公園の南側にある正門につきました。正門を出た右側に近藤勇の生家はあります。いよいよ、新撰組モードに切り替えなければ(ここで二人は用意してきたちょんまげをかぶり、刀を差す・・・ウソです)。

産湯.JPG

彼の生家は産湯をつかった井戸だけが残っていて、その代わり、と言ってはなんですが、近藤神社が建っていました。驚いたことに近藤勇は神様になっていたのですね。縁起を読みますと、近藤を慕った有志たちが昭和初期に祀ったそうです。もしかすると新撰組局長は一番新しい神様かも知れません。

近藤神社.JPG

とはいえ、近くの龍源寺というお寺に彼の墓がありました。神様がお寺の墓にいるというのも変ですが、こんなことがむしろ日本らしいのかも知れません。ちなみに板橋にも彼の墓があるそうです。

龍源寺.JPG


近藤勇の墓.JPG

ついでに近くの水車経営農家を見学しました。昔、野川が暴れ川の頃、その水を利用して、粉を挽いていたそうですが、それは製粉工場と見まごうばかりの規模(水輪の直径約 4.6 m、幅約 1 m 近く)で、おそらく近在の農家の製粉をすべて任されていたのでしょう。江戸末期からのものですから、きっと勇坊が親に言われて粉を取りに来たことがあったかも知れません。そんなこと想像すると、わくわくしてきます。

水車経営農家1.JPG

そこから野川沿いを二時間ほどでしょうか、やっと深大寺に到着しました。初めて来て驚いたのは、その規模とにぎやかさです。少々オーバーですが、成田山を思い出しました。門前町のほとんどはそば屋さんです。

深大寺の賑わい2>JPG


そばやの坊主.JPG

境内でまず目を引くのが「ナンジャモンジャ」の木です。白い花が満開でした。

ナンジャモンジャの大木.JPG

白鳳仏は、地震や火事に遭っても消失しないように、新築の建物でしかもたぶん強化ガラスの中に納まっていました。これは、奈良の山田寺の仏頭や法隆寺の夢違観音と兄弟分に当る白鳳時代の釈迦如来です。切れ長の目、ふっくらした頬、吸い込まれるような表情をしています。いつの時代にかこんな関東地方にまで、わざわざ仏像を運んできたのですね。

白鳳時代釈迦如来.JPG

境内を出る時、ふと見ると、誰にも気付かれないようなところにマニ車もどきのついた石仏がありました。石の車をたてにまわす仕組みになっています。「南無阿弥陀仏」と書いてあり、一回廻すごとに一度と唱えたことになるはずですから、僕も一度廻してみました。ずしんと重い感触で、ありがたみが伝わって来ます。こういうマニ車もどきは初めて見ました。石が新しいものですから、最近、寄贈されたのでしょう。

マニ車.JPG

帰りのバスを待っているあいだ、近くを散歩してみると、深大寺温泉なるものがありました。けっこう向かっている人が多いのでこれまた驚きました。今はどこにでも温泉があるのですね。
結局、今日は十二キロ程、昼食時間や見学時間を含めて約六時間歩いたことになります。足は棒のようになりましたが、気分はスッキリ、天候に恵まれたのがなによりでした。
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プロムナード | 17:31:03 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
野川は私の散歩道
先生、23日はありがとうございました。
やっとスキピオに会えました。
 野川のこと紹介してくださって嬉しいです。もう少し下れば私の家がありますよ。
 またお会いできますように!      さようなら
2006-05-25 木 21:56:22 | URL | 大野豊子 [編集]
大野さん、「スキピオの夢」にようこそ。
そうですか、お宅は深大寺の近くですか。いいところにお住いですね。
先日はすてきな一時を演出して下さりありがとうございます。またお会いできる日を楽しみにしております。
2006-05-26 金 18:14:37 | URL | Scipion 明生 [編集]
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