■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
マルタン夫妻と聖女ベルナデット
 九月七日(日)
 リヨンで乗った12時39分発の列車は、サンケーズというヌヴェールの手前の駅が終点だ。16時少し前に到着した。不思議なことに、リヨンからヌヴェールまで、直通の列車がない。僕らは、その乗換駅以外の何ものでもない、殺風景な駅で10分ほどの待ち合わせでヌヴェール行きの列車に乗った。ひと駅目なので、10分弱で到着する。
 勢いよくホームに降り立つと、列車後方のホームから、ご夫婦がニコニコしながらやって来た。マルタン夫妻だ。四月に鎌倉散歩して以来、ほぼ半年ぶりの再会。お互いもういい年なので、元気な状態での再会は、ひとしお嬉しい。

ヌヴェール駅
ヌヴェール駅

市章
市章

 さっそく駅前の駐車場に止めてある車に乗り込む。四輪駆動のランドクルーザーのようながっしりとした車だ。僕が助手席にのり、女性陣が後部座席におさまる。どうやら、これがフランス式らしい。
 「友人の墓参りがしたい」と、ご夫妻にお願いする。


 三十年来の友人の墓参りをしなければ、ヌヴェールに来た意味がない。友人は、僕が大学院時代に、我が家に泊まり、知り合い、それ以来ずっと付き合って来たが、四十三歳の時、急死してしまった。一人っ子を失ったご両親のお嘆きはいかばかりだったろう。そして、そのご両親は今、パリのアパルトマンで・・・この話は、別の機会に譲ろう。

筆者
町に停まっていた2chevauxと

 マルタンさんの車が最初に向かったのは、ヌヴェールの大聖堂 Saint-Cyr-et-Sainte-Juliette(サン=シール・サント=ジュリエット大聖堂)だった。典型的なゴチック建築の聖堂(11世紀から16世紀)だが、不思議なことに、どの聖堂にも必ずあり、メインの入り口となるはずの西側のファサードがない。北側にうがたれたような小さな入り口から、薄暗い堂内に入る。すると、叙任ミサの真っ最中だった。聖歌隊の合唱が、ネフ(身廊)を満たしていた。その荘厳な歌声に四人はしばし聞き入ったあと、外に出る。外は今にも泣き出しそうな空模様だ。なんとか保ってくれればよいが・・・と思いつつ、近くの公爵の宮殿(Palais ducal)に行く。もともとヌヴェールは伯領だったが、後に公領格(クレーヴ公)となり、十七世紀から大革命まで、マザランの甥の一族、マンチーニ家のものとなった。

サン・シール
大聖堂内部

さかな
ロワール河の魚たち

 宮殿内は、無料のミュゼだ。おもしろいことに、ロワール河の生物(魚)たちからマンチーニ家の公爵まで、博物学と歴史学が地階から三階にかけて網羅されている。ミュゼをひとつで済まそうという,田舎らしい展示と言えるかも知れない。
 ご夫妻にお願いした通り、車は墓地に向かった。セルジュの墓に来るのは三回目だ。過去二回は、炎天下、駅から歩いたので、到着したときは疲労困憊だったのを覚えている。なにしろ、墓地の位置というのが町のはずれにある駅と町をはさんでちょうど反対側のはずれなのだ。そのかわり、駅までの帰り道、町の旧市街とロワール河岸の散歩は心地よかった。
 相変わらず泣き出しそうな空の下、僕と妻はセルジュの墓に祈りを捧げた。先週、年老いて、車椅子生活をしている彼の御両親にパリでお会いしたばかりだけに、複雑な思いがこみ上げてくる。

セルジュの墓
友人の墓


めっせーじ 僕が置いた墓石の上のメッセージ「我が心に、君は永遠に生き続ける」


 四人で、広大な墓地を少し散策したあと(ヌヴェールで没したロマン派時代の作家 Claude Tillier[1801-1844] の墓をマルタン夫人が教えてくれた。代表作は『Mon oncle Benjamin』で、映画にもなっているらしい)、再び車上の人となる。マルタンさんの家に行く前に、もう一カ所行きたい所があるのだ。
 そこは、墓地からすると町の反対側で、方角としては駅に近い。聖女ベルナデットのご遺体を詣でようというのだ。今までヌヴェールに何度か来ているが、不思議なことにこの誉れ高い聖女のご遺体に対面したことはなかった。
 すっかり泣き出した空の下、車で病院のような敷地(実際病院だと思う)に入り、駐車場で車を止め、傘をさして礼拝所に向かう。もう夕方の六時は過ぎているというのに、信者たちが次々と僕たちと同方面に向かっている。そういえば、今年は、ベルナデットの前に聖母マリアが出現してちょうど百五十年だ。そのために、ローマ法王がパリに、次にルルドに来るというので大騒ぎらしい(一週間後、法王はパリに来た。やはり大騒ぎだった)。

ルルド
ルルドから石を運んで作られた洞窟


ロウソク
聖女ベルナデットの写真入りロウソク


 あまり広いとは言えない礼拝堂の中は、礼拝する人たちでごった返していた。特に前方右手の方に人がたまっていて、お祈りしているようだ。僕たち、妻と僕も・・・マルタン夫妻は入り口で待っている・・・近付いてみる。と、ガラスの棺の中に、聖女ベルナデットは横たわっていた。三十少し過ぎただけで亡くなったから当然だが、お顔の様子は若々しい。たぶん蝋が塗られているのだろう。それにしても、百五十年近く前に逝去したその遺体がほぼそのままの姿で眼前するのをどう思うか。奇跡として信じるかどうか、不信と信仰はそのあたりの紙一重の所にあるようだ。
 堂内には聖歌の歌声が流れていた。マルタン夫妻の様子を見ると、信者の片鱗もうかがえない。お祈りをすることもなく、僕たちの見学終了を待っている。すると、年配の修道女が僕たちの所に近付いて来て、
 「日本の方ですか?」とフランス語でたずねた。「ええ」
 「ちょっとお待ち下さい。日本人の修道女の方がいます。今呼びましたので、こちらに来ます。会って下さい」
 四人でしばらく待つと、これまた年配の日本人修道女の方がやって来て、
 「少しお話ししませんか?」と、礼拝堂から外に出て、別棟の会議室のような部屋に案内してくれた。
 「どうぞ、お座り下さい。私は、修道女のヤスコ川田と言います。少しよろしいですか」
 というわけで、日本語とフランス語がごちゃ混ぜの会話をした。日本語だけだと、マルタン夫妻に申し訳ないからだ。
 川田修道女(スール・カワタ)は、東京の生まれで、京都伏見のカトリック系中・高校を卒業したあと、ずっとフランスでおつとめしているらしい。「もうすぐ八十歳です」と、おっしゃっておられたが、信じられないほどの壮健さに、思わず「ルルドの水をお飲みだからですか?」と、質問してしまったほどだ。驚いたことに、シスターは一度も「水」を飲んだことがないと言う。こうして話題がルルドの水の話になり、妻が日本ではルルドの水は大変評判で、けっこう高い値段で売られている、と言うと、シスターは、不意にきつい表情になり、
 「水は神様からのものです。売り物ではありません。無料でなければなりません。日本にお帰りになられたら、ぜひ、そのことをみなさんに注意して下さい」と、おっしゃった。
 確かに、神からのものに俗っぽい値段がつくのはおかしい。妻は「水の運び賃かしら」と、もごもご言っていたが、送料だったらいいのか。シスターの様子からすると、それをも否定なさっているようだった。たぶん水の運搬も無償でしなければならないのだろう。
 川田修道女と別れて、再び車に乗る。マルタン夫妻のお宅に向かうのかと思いきや、もう一カ所寄りたい由。そうして、町の中を車は走った。
 目的地は古い教会だった。
 マルタン夫妻は、約四十年前に、この町の最も古い教会で結婚式をしたと言う。それは、ロマネスク様式のサン・テチエンヌ教会だ。その古い教会は町の中に家々と肩を寄せあうかのように立っていた。ゴチック以前の素朴さそのものの外観から、ゴッホが描いたオーヴェル・シュル・オワーズの教会が思い出された。こんな歴史的な建物の中で、ご夫妻はカトリックの式をあげたのか。とはいえ、お二人ともあまり熱心な信者ではないようだ。というより、ほぼ信者ではない、と言った方がいいかもしれない。

サン・テチエンヌ教会
サン・テチエンヌ教会

 時刻が遅かったせいか、教会内に入ることはできなかった。仕方ないので、回りの町並みを見て歩いた。この辺りは戦災で焼かれたと言われているヌヴェールの町の中でも、もっともよく残った地域なのだろう。木組み作りの家が、何百年の星霜を経て、けなげにも立っていた。
 戦争と言えば、この町ヌヴェールは、日本でも話題になった映画、『ヒロシマ、モナムール(邦題『二十四時間の情事』脚本マルグリット・デュラス、監督アラン・レネ)』に登場する。この映画の舞台はもちろん広島だが、岡田英次演ずる日本人と一日だけ情をかわすフランス人女性(女優エマニュエル・リヴァ)の出身地がヌヴェールなのだ。
 彼女は広島で映画を撮るためにやって来た女優だったが、戦争中、人には言えない辛い体験をしていた。当時まだ小娘だった彼女は、こともあろうにドイツ兵に恋をし、人目を盗んで、逢瀬を重ねていたのだ。ドイツ軍の退却したあと、ドイツ兵の恋人や囲われ者たちがどんなリンチを受けたかは、誰もが知る通りだ。彼女は、彼女の過去を知る町ヌヴェールを去り、パリに出て、女優となる。映画の中で映し出されるヌヴェールとロワール河が印象深かった。
 さて、車は少し暗くなった景色の中をひた走った。大草原、牧場、森が、車窓を流れる。二十分ほど走っただろうか。小さな村らしき所に車は入り、一つの敷地内で停車する。
 「着きました」
 見ると、田舎風の家が三・四軒立っている。すっかり暗くなった中を、一軒の建物に向かう。我が家とほぼ同じ位の一軒家に招じ入れられる。そこがわれわれの泊まるゲストハウスだった。大きさと言い、室内装飾と言い、清潔感と言い、日本では考えられないような贅沢さで、妻と顔を見あわせてびっくり仰天する。寝室でさっそく旅装を解き、お土産を持って、母屋に向かう。もっとも母屋と言っても建物の大きさはゲストハウスと同じくらいだ。五十メートルほどの距離だ。

ゲストハウス
ゲストハウス(ツタに見えるのは葡萄の一種・・・翌日撮影)

シャンパン

ワイン
鴨の注ぎ口

クレープ
ラム酒が燃えるデザートのクレープ

 そういうわけで、最初の晩、ご夫妻はシャンパンで歓迎してくれた。
 「シュヴァンヌにようこそ!」
 僕たちは、信楽焼の花瓶と「鯉口」という半纏と、おもちゃ(けん玉と花札)を土産に持って行った。心(しん)から喜んでくれればよいが・・・

寝室
寝室
スポンサーサイト
2008年夏の旅行記 | 22:00:04 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad