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「親指小僧」(ペロ-作)を『子供の誕生』(アリエス著)で読み解く試み
 六月三十日(金)の毎日新聞の一面の見出しは「少子高齢化世界一に」でした。つまり、六十五歳以上と十五歳未満の占める割合がどちらも世界一と言うのです。

新聞.JPG


 そこに掲載されている表を見ますと、日本(13.6%)、イタリア(14.0%)、ブルガリア(13.8%)、ドイツ(14.3%)、イギリス(17.9%)、フランス(18.2%)、アメリカ(20.0%)、中国(21.4%)の順番になっていました。




 つまり、カップルが子供を生む数の平均が日本では1.2人くらいですから、現代は子供を二人ないし一人生み、その子供を手塩に掛けて、大事に育てるという時代なのでしょう。
 そんな折に、文学史の講義で、たまたま十七・十八世紀の話をして、フィリップ・アリエスの『子供の誕生』という本を紹介しました。「この本によれば子供というのは、だいたい十八世紀に誕生したようですね。それまで子供というのは小さな大人として存在していて、子供という考え方はまだなかったようです。ですからもちろん、児童文学も、教育もなかったわけです」こんな具合です。

子供の誕生.JPG

『子供の誕生』表表紙


 すると、この発言はよほどインパクトがあったらしく、授業後に提出してもらう「講義内容に関する感想・質問カード」に色々な反応がありました。
 そこでこの場を利用して、アリエスに沿って子供のことをもう少し考えたいと思います。
『子供の誕生』という名著についてはたいへん有名なので今さらあらためて紹介するまでもないでしょう。これは非常に示唆に富んだ本でして、子供、家族という極めて現代的なテーマを中世、ルネッサンスから近代に至る文献と図像をまさに縦横に漁り、実証的に取り上げています。
 その中で彼は、中世の時代には《子供期という観念は存在していなかった》(p.122) と述べています。つまり、子供は《母親ないしは乳母の介助が要らないと見なされるとただちに、すなわち遅い離乳の後何年もしないうちに、七歳位になるとすぐ大人たちと一緒にされていた》(p.384) のです。
 この七歳くらいまでをアリエスは《甘やかし》 mignotage と読んでいます。この時期は現代のように子供として意識したのではなく《ちょうど動物と戯れるように、小さなみだらな猿でもあるかのように人びとは子供と戯れ》(p.2) ていました。そして子供が死亡した場合、一部の人は悲嘆に暮れたかも知れませんが、たいていは《すぐに別の子供が代わりに生まれて》(p.2) くると考えられていたのです。
 つまり、この mignotage の時期を生き抜いて初めて子供は意識され、小さな大人として、大人と一緒に遊び、働いたのです。これをアリエスは子供の《匿名性》(pp.2,3) と呼んでいます。その間の子供はとても死亡率が高かったので、名前を付けても、よしんば、名付けたとしても名前を覚えても仕方のない、勘定に入らない子供というわけです。このことでアリエスはショッキングな事実を報告しています。《モンテーニュ(注1)は自分の子供の数も、自分の妻が全部で何回子供を産んだかも、正確に言うことができなかった》(『教育の誕生』p.83)と言うのです。子供は社会に認知されておらず、ルネッサンス文学でも古典文学でも、子供は常に無視されている、と主張しています。現代の子供たちに最も読まれている『寓話』の作者、ラ・フォンテーヌ(注2)も《この残酷にして不条理なる小さな生き物を、動物よりももっと理性を欠く存在として軽蔑した》(『教育の誕生』p.83)のですから、驚きです。
 そのような文脈でシャルル・ペロー(注3)の童話を読んだとき、ふと思い当たることがありました。
ペロー.JPG


 「親指小僧」(注4)の話はどなたもご存知かも知れません。
樵(きこり)夫婦には七人の子供がいました。その一番下の体が小さくてひ弱な子は、生まれた時は親指ほどの大きさしかなかったので、親指小僧と呼ばれていました。
 大飢饉になり、もともと貧しいこの夫婦はどうしても食べていけないとわかると、子供たちを捨てようと決心しました。
 つまり、食うや食わずになった時にまず犠牲にされるのは「子供たち」だというわけです。何気なく今まで読んでいた子捨ての箇所もアリエスの主張するところを読んだ後では、まるで子供というものは一度捨ててもまた代わりがいつでもできる存在として考えられていたと思わされます。実際、親指小僧の機転による一度めの小石を辿っての帰還は、その通りかも知れませんが、少しうがって考えますと再び子供ができたとも言えるのではないでしょうか。
 子供を捨てた晩に樵夫婦は村の殿様から十エキュという大金を返してもらい(なんと、お金を貸していたのです!)、そのお金で早速肉屋で肉を求めます(しかも二人分の三倍も!)。
 二度めに捨てられた時、子供たちは森の中をさまよい人喰い鬼の家に到着しますが、またもや親指小僧の機転で鬼の七人の娘と入れ代わり難を逃れます。つまり、この話には子食いのテーマが存在しているということになります。これは人喰い鬼が相手ですから、当り前と言えば当たり前ですが、「匿名性」としての子供ということを考えますと、お金が手に入るとまず肉を求めて、その肉をたらふく食べる樵夫婦の行為は、まさに子食いのテーマが通低音として流れていることを感じさせます。
 恐ろしい話ですが、飢餓状態に陥った夫婦が子供を食べて生き残るというわけです。実際このようなことは洋の東西を問わず起こったようです。フランスでは、アンリ四世の盟友だった詩人アグリッパ・ドービニェ(注5)が『悲愴曲』の中で子食いを描写しています。
 ちなみに、飢餓状態ではありませんが、美食としての子食いがやはり同じペロー童話集の「眠れる森の美女」の中に現れます。
 この話もあまりにも有名で、どなたもご存知でしょうが、それはたぶんグリム童話やバレエの物語で、ぺローのではないかも知れません。ですから、百年の眠りから目覚めさせた王子の母親が人喰いの種族であったというと驚かれるかも知れません。王子と王女は結婚して、オーロール(曙)姫とジュール(日の子)王子をもうけます。父親は王となり、他国に戦争に赴いた留守の時に、王太后となった母親は本性を表わし、孫に当たるオーロール姫を食べたいと料理長に言います。もちろん姫はやさしい料理長のおかげで助かるのですが、ここでも子食いのテーマは出てきます。しかし、王太后が最終的には姫と王子の母親である王妃までも食べたがるのは、美味としての子食いだからです(おいしいものから先に食べる)。それに対しグリムの『白雪姫』の子食いはまったく異質です。美を食べることによって美を得ようという行為です。これは、肉を食べる時の極めて自然な動機で、たとえば、強いものを食べて強くなる、この場合もちろん人肉喰いもありますが、強い動物を食する場合もあります。
 さて、話が少しずれてしまいました。
 また軌道修正して戻りますが、アリエスが言うように、もしも勘定に入れない子供、匿名性の子供というものが中世やルネッサンス期にあったとしたら、ぺローの「親指小僧」の中にもその名残りがあるのかも知れません。
 そして、子供が社会生活の前面に現れ、意識される存在となるのはブルジョワジーの地位の確立時期と重なります。アリエスによるとそれがだいたい十八世紀だというのです。確かに、シャルダン(注6)の絵に主役として子供が描かれていますし、オーノワ夫人(注7)やボーモン夫人(注8)、十九世紀初頭にはセギュール伯爵夫人(注9)など、子供を対象にした児童文学が登場します。
 結局、産業革命や市民革命を通してブルジョワジーはますます堅固になり、幼児死亡率の低下にともない、産児制限をするようになって子供の地位は上昇します。つまり、少ない子供を大切に育てるという風潮が優勢を占め、現代に至るわけです。
 しかし、養育費がかさむので産児制限をするということは、端(はな)から飢餓状態にならないように予防していることになり、どこかで「親指小僧」の世界と転倒した形でつながっているのかも知れません。ですから、真に日本が豊かになるためには、貧困=子捨て、あるいは産児制限=貧困予防という「親指小僧」的な世界と決別しければなりません。そうしなければますます少子化ヘの道を辿ることになるでしょう。
 ちなみにフィリップ・アリエスは避妊の歴史についても書いています。しかし、これはまた別の機会に。
教育の誕生.JPG

『教育の誕生』裏表紙


【参考文献】
フィリップ・アリエス著『子供の誕生』杉山光信・杉山恵美子訳(みすず書房)
フィリップ・アリエス著『教育の誕生』中内敏夫・森田伸子編訳(新評論)
『ぺロー童話集』新倉朗子訳(岩波文庫)
『グリム童話集』1~5 金田鬼一訳(岩波文庫)

【注】
特別書名を上げていないかっこ内のページ数は『子供の誕生』のです。
1.作家、モラリスト(1533-92)『随想録(エッセー)』の作者。
2.詩人(1621-95)『寓話詩』「セミとアリ」など、いわゆるイソップものが収録されています。
3.詩人(1628-1703)童話『鵞鳥かあさんの物語』を世に出します。この中に「シンデレラ」「眠りの森の美女」「赤頭巾」「長靴をはいた猫」「青髭」「親指小僧」などが収録されています。
4.グリム童話にも「親指小僧」がありますが、まったく別の話です。類話は「ヘンゼルとグレーテル」です。なおグリム兄弟は兄ヤコブ(1785-1863)と弟ウィルヘルム(1786-1859)の二人です。
5.プロテスタントの詩人(1552-1630)『悲愴曲』の作者。
6.画家(1699-1779)十八世紀の市民の日常を、特に子供の遊んでいる光景を描いています。
7.童話作家(1650~1705)『妖精物語』の作者、この中に「青い鳥」(メ-テルランクの「青い鳥」とは別です)「白い牝猫」「金髪の美女」などが入っています。
8.童話作家(1711~80)教育的配慮の色濃い『子供たちの宝庫』を出版します。この中に有名な「美女と野獣」が収録されています。
9.童話作家(1799~1874)『学問のあるロバの話』『ソフィーの不幸』など多数ありますが、重要なのは彼女の作品中では子供たちが主人公となって活躍していることです。それまでの童話では、あまりありません。
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文学雑感 | 18:33:13 | Trackback(0) | Comments(5)
コメント
 先生のブログ、楽しみに読ませていただいてます。一ヶ月ぶりの更新だけあって、内容も濃いですね。子供という概念が西洋では18世紀に誕生したというのは初めて知りました。親にいつ捨てられるかもしれない(食べられるかもしれない?)といった緊張感をもって成長したから、昔の人々は強かったのかもしれません。
 強い人と言えば、先生は高島野十郎という画家をご存じですか。没して30年たつのですが、東大を首席で卒業、一切の画壇に参加せずなど、その強い生き様にも心が惹かれる画家なのです。最近、テレビでも紹介されたこともあってか、展覧会の行われている三鷹市美術ギャラリーには多くの人が訪れていました。ほとんどの絵が写実なのですが、そこに醸し出される空気、気配までが見る側に放たれている気がするのです。例えはおおげさですが、まるでダヴィンチのような。同じ科学者という点からでも私は共通していると感じました。機会があれば、先生もぜひご覧になってください。来週月曜まで開催されています。三鷹市美術ギャラリーのホームページを印刷すると600円→480円になります。久々に芸術のすばらしさにふれた展覧会でした。
2006-07-13 木 15:27:54 | URL | カコイヤマ [編集]
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2006-07-13 木 23:17:06 | | [編集]
 「子ども」という概念が昔はなくて、「小さい大人」という感覚だった、というのは知っていましたが、およそ一人一人が「人格」として扱われていなかったことには驚きました。それにもう1つ驚いたのは、7歳くらいで大人たちと同様に扱われたことです。古代エジプトでも6歳くらいになると子どもを一人前とみなして仕事を手伝わせていたそうで、見事に歳が合っていますから、何かしらの根拠はあるのだと思います。病死しにくくなる頃なのかもしれませんね。
 
 それにしても、高齢化はともかく少子化の流れは未来に危機感を持たされます。そういう私自身、今の日本で子どもを産みたいか、と言われたら迷ってしまうところがあります。子どもは好きだし、自分の家族は欲しいけれど、今の教育現場は競争が厳しいし、何かとお金もかかります。お金の有無でどんな教育を受けられるかが変わってくるなんて、ひどい…。「教育を受ける権利」はどこにいったのでしょうか…。
 また、学費は値上げを続けているのに対して、最低賃金は下がり続けているという統計も出ています。これでは、これから若い夫婦が子どもを産んで育てていくのはとても厳しいでしょう。少子化となるのも当然と言えば当然だと思います。私も、諸々のことを考えると無邪気に「子どもが欲しい」なんて簡単には言えません。産んでも経済的に育てていけないかもしれない、もしくは子育てのためには目指している仕事を諦めないといけないかもしれない、そんな不安が今の社会に対してあります。生活保護の引き下げも検討され始めたといいますが、それではなおさら子どもを育てにくい環境を作ることになるのではないかなと思います。
 「少子化に危惧を抱いている」と言うなら、安心して子どもを産める、どんな家庭環境でも子どもを育てることに不安のより少ない社会環境を整えて欲しい…そう思ってしまいます。
2006-07-14 金 05:11:18 | URL | Blue-rose [編集]
カコイヤマさん、コメントありがとう。いつも読んでいて下さったなんて、嬉し、恥ずかし、と言うところです。高島野十郎展、月曜までとは・・・写真で見る限り、静謐の中で向き合えたら、いろいろ思いを巡らせるかも知れませんね。紹介して下さり、ありがとうございます。
ではまた・・・失礼します。
2006-07-14 金 18:18:13 | URL | Scipion 明生 [編集]
Blue-rose さん、コメントありがとうございます。おっしゃる通り、僕も雑文の中で書きましたが、経済的な理由で子供を産めないのは、転倒した「親指小僧」的世界です。先進国を自負しているのなら、そのようなアンシャン・レジーム、やめてもらいたいものです。そして、どなたも、たとえ独り身でも、安心して子供を産める環境を作ってほしいし、作らねばなりません。
フランスの出生率の高さは、生半可の政策でできたことではありません。
では失礼します。
2006-07-14 金 18:32:47 | URL | Scipion 明生 [編集]
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