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石田明生

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世界遺産ヴェズレー
九月八日(月)

 ブルゴーニュの小高い丘の上に、ヴェズレーは、ナマズが横たわっているかのように、ぺたりと「く」の字型に張り付いている。人口は五百人足らずの小さな村だが、巡礼路の起点として、また世界遺産として(1979年登録)、その名は広く知られている。

ヴェズレー俯瞰
左手手前がしっぽ、右の奥が頭の部分になる。
(ヴェズレーのオフィス・ツーリスムのサイトから)

 マルタンさんの運転する車は、ナマズのしっぽのあたりにある駐車場に止まる。そのしっぽ、「バルル門 Porte du Barle」から、ナマズの頭にあたる「バジリカ聖堂、聖マリー=マドレーヌ Basilique Sainte Marie-Madeleine」まで、村のメインストリートを上る。距離にして五百メートルほどか。高低差はさほどではないのだろう、歩く脚に負担はない。それとも、通りの両側に軒を連ねる商店街のたたずまいのためだろうか。しゃれたショーウインドーや愉快な看板に思わず目を奪われて、シャッターを切るのに余念がないから、勢い足取りも軽くなるのかもしれない。


ヴェズレーの通り
メインストリートの「サン・テチエンヌ通り」

 この商店街は、表で売り子が声をかけることもなく、というよりも表に店の人たちが出ていることもなく、世界遺産の町としては、驚くほどわれわれ観光客にそっけない。とはいえ、けっしてよそよそしいのではない。暖かみのある看板や店構えがその証拠だ。一度だけ声をかけられ、パンフレットを手渡された。見るとそれは、大作家ロマン・ロランの家でピアノコンサートが開催されるという案内だった。そのピアニストは日本の女性だったので、僕たちが日本人と思って声をかけたらしい。この村人たちが、僕ら観光客に無関心でないのは確かだ。

ワインカーブの看板
ワインカーブの看板

巡礼者の宿
巡礼者の宿を示す看板

女の子の店
女の子の店のショーウィンドー

 メインストリートを上り切らないわれわれの前方に、「聖マリー=マドレーヌ聖堂 Basilique Sainte Marie-Madeleine」のファサード(西側正面)がいきなり見える。ショーウィンドーに目を奪われて歩いていた僕にとって、聖堂の偉容は唐突で、圧倒的だ。
 パリのノートル=ダム大聖堂のようなゴチック様式の聖堂と異なり、ヴェズレーの聖マリー=マドレーヌは、ロマネスク様式のために、天を突くような高さを誇っているわけではない。だが、目の前にある聖堂は、商店街をはじめまわりがすべて三階建てくらいの高さで低く、しかもナマズの頭部分という丘の頂上に位置しているために、実際の高さよりも誇張されて見えるのだ。

聖堂正面
「聖マリー=マドレーヌ聖堂 Basilique Sainte Marie-Madeleine」

ファサード
最後の審判が彫られたタンパン、向かって、イエスの左が天国で右側が地獄を表わしている。

 ファサードのタンパンに彫られた「最後の審判」の浮き彫りが、その中心で両手を広げるキリストがわれわれ見学者を見下ろしている。それを仰ぎ見れば、異教徒のわれわれですら思わず恐懼してしまうのだ。はるか中世の昔から、どれほど多くの信仰厚き巡礼者たちが、恐れ敬い、額ずきながら、この門をくぐり抜けたことか。
 このバジリカ聖堂が「聖マリー=マドレーヌ」の名を冠しているのは、その驚くべき来歴による。真実かどうかはさておき、おもしろいので書いてみよう。
 マリー=マドレーヌとは、罪深き女、そして改悛してもっともイエスに忠実だった女信徒として有名なマグダラのマリアのことだ。小説『ダヴィンチ・コード』では、イエスの妻だったとされていて、物議をかもしたのも記憶に新しい。
 マグダラのマリアは、聖書中の女性の中で聖母マリアに次いで、絵画や彫刻で、もっとも芸術家の創作欲を刺激した聖女でもある。が、それもむべなるかな。というのは、彼女は、聖書中で語られる一貫したひとりのマリアというよりも、異なる三様のマリアとおぼしき女性の合一した存在と考えられるからだ。
 ルカによる福音書の七章に、次のようなくだりがある(36-38)。

《あるファリサイ派の人が、一緒に食事をして欲しいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町にひとりの罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った》(新共同訳、以下も同じ)

 名こそ与えられていないが、これがマグダラのマリアの第一候補だ。「罪深き女」とは娼婦か肉欲に耽る女のことだ。そのために、画家たちは、長い髪をした、しどけない姿のマリアをどれほど描いたことか。

マグダラのマリア
ティツィアーノ作「マグダラのマリア」(ウィキベディアより)

 ちなみに、上の話はどんな教訓を含んでいるか? 好きな話なので、蛇足ながら付け加えさせていただく。
 これを見たファリサイ派の人は、「イエスが本当の預言者なら、この女が誰かわかるはずだ。きっとわからないのだろう、罪深い女に触られているのが」と、内心ほくそ笑む。するとイエスは相手の心を読みとり、次のような問いかけをする。
《「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。ひとりは五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」シモン(相手の名)は「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた》(40-43)

 こうしてイエスは、罪深い女の、罪が深いだけにいやまさる愛の深さを示したのだ。
《だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない》(47)

 次のマリアは、ベタニアのマリアで、死から甦ったあの有名なラザロの姉妹のことだ(ラザロの復活)。ヨハネによる福音書の十一章に、《ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主(しゅ)に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である》(1-2)と書かれているので、先の罪深き女は、ラザロの姉妹のマリアということになる。

堂内
「聖マリー=マドレーヌ聖堂」内陣

 また全く別の文脈の中で、マグダラのマリアと呼ばれる女性は、イエスとその弟子たちに奉仕する女性陣の中にいる。ルカによる福音書の八章に次のようにある。
《悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、・・・》(2)
 この「マグダラのマリア」はイエスの刑場にも臆することなく赴く、しっかり者で、復活したイエスを最初に見るという光栄に浴した。マルコによる福音書の結びに次のように書かれている。
《イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である》(9)

 この、イエス復活に立ち会うマリアも、画家たちの絵筆に刺激を与えたのは言うまでもない。
 こうして、三人の女性像が一体化して、マグダラのマリアは完成する。『黄金伝説』によると、ラザロとその二人の姉妹は裕福だったので,マグダラにもベタニアにも地所を持っていたらしい。イエスと出会う前、マグダラにいたマリアは、裕福で淫蕩な生活をしていたが、上で見たように、イエスと出会い,改悛して、もっとも熱心な信者となる。『黄金伝説』は彼女を揺るぎない一体性を持って描く。

モーゼとパウロ
柱頭彫刻、モーゼがパウロの持つ袋に麦を注ぎ入れる。

 では、彼女とヴェズレーとの関係は?
 ここから、話は聖書から離れて、伝説の領域に入る。

 プロヴァンス地方の町アルルから南にバスで一時間ほど揺られると、地中海に面した「サント・マリー・ド・ラ・メール」という、人口わずか八千人足らずの小さな町に辿り着く。この小粒の真珠のように美しい町に付けられた名前「海の聖マリアたち」の由来は、奇想天外な伝説に基づく。

 《イエス昇天の後、マグダラのマリア、その姉妹マルタ、その弟ラザロ、聖母の妹マリア・ヤコベ、使徒ヤコブとヨハネの母親マリア・サロメ、七十二人弟子の一人マクシミヌスなどなどは、激しくなる迫害を逃れてエルサレムを去る。が,結局はみな捕まって,櫂も帆もない船に乗せられ,大海に流されてしまう》(「サント・マリー・ド・ラ・メールの伝説」より)

 ところが彼らは,神のご加護により、地中海を漂い,現在「サント・マリー・ド・ラ・メール」の町がある海岸にたどり着く(『黄金伝説』によると、漂着地はマルセイユ)。こうして、イスラエルの物語は、三人のマリアたちの運命とともに南フランスに移行する。
 南フランスの海岸にたどり着いた彼らは,それぞれの道を歩む。ラザロはマルセイユに向かい,マクシミヌスはエクス・アン・プロヴァンスに、マルタはタラスコンに向かう。マリア・サロメとマリア・ヤコベは召使い女サラとともにこの漂着した海岸にとどまる。
 わがマグダラのマリアは、東に道をとり(『黄金伝説』によるとマルセイユ近郊らしい),「サン・ボーム」という地にて,以降約三十年間洞窟にこもり祈りの日々を送る。死が迫ると,彼女はフランスまで同行したマクシミヌスを傍に呼び寄せたと言われている。遺体はマクシミヌスもそうだが,現在の「サン・マクシマン(聖マクシミヌス)・ラ・サント=ボーム」という町に埋葬された(『黄金伝説』を参考にしている。以下も同じ)。マクシミヌスが書き伝えるところによると、マグダラのマリア昇天の際は、甘美な芳香が充満したそうだ。イエスの足に香油を惜しげもなく塗った聖女の最後にふさわしい。
 それから時は流れて,シャルルマーニュの時代の七六九年頃、ブルゴーニュのある公爵が、修道士をエクスに送り、マグダラのマリアの聖遺骨を持ち帰らせて、修道院に納めたと言う。ヴェズレーについてのウィキペディアによると、サン・マクシマンの町から、聖遺物を持ち帰ったと言う。そのために、双方の町はライバル関係になっている由だ(ヴェズレーの紹介文では882年)。

クリプト
クリプト(地下礼拝場)

 いずれにしても、ここヴェズレーの聖堂には、マグダラのマリアの聖遺物が保管されていることには違いない。『黄金伝説』は、ヴェズレーに彼女の聖遺物が来て以来、盲人の目が見えるようになったり、天使を従えたマグダラのマリアが出現したり,奇跡は幾度となく起こったと伝える。
 最近の話では,これを奇跡と呼べるかどうか分からないが,第二次大戦が終わったばかりの一九四六年に胸を打つ出来事があった。
 殺戮が繰り返された大戦の直後だけに,ヴェズレーは、第二回十字軍(1146年)から数えてちょうど八百年の祝いをどう行なうか頭を痛めていた。そこで浮かんだのが,八百年前のように戦争に行く十字軍というものを否定して、互いに戦ったヨーロッパ各国から、悔悛と和解の印として木造の十字架を背負い,巡礼者のように,ここヴェズレーの丘に集まる平和の十字軍の結成だった。こうして、十四の重い十字架を持った、巡礼者たちの十字軍が,徒歩でイギリス、ルクセンブルグ、ベルギー、スイス、イタリア、さらにフランス各地から、マリー=マドレーヌ聖堂を目指して行進した。この巡礼たちが行くところ,熱狂の渦を巻き起こし,行列に加わる者たちが続出する。その数は、四万人に及んだと伝えられる。
 ところが、悲惨な戦いをし、完膚無き敗北を経験したドイツにはこの呼びかけがなされなかった。すると、ヴェズレー近くのキャンプに捕虜として収容されていたドイツ兵たちは、噂を聞いて参加したいと申し出る。彼らは,他に着るものがなかったのだろう,軍服のまま巡礼に加わり、爆撃で破壊された民家の梁で作られた即席の十字架を担いだ。この十五番目の行列と十字架は、平和に渇望していた人々に大きな感動を与えた。

平和十字軍
堂内に立てられた、ドイツ人捕虜が運び入れた十字架
平和十字軍と書かれている(拡大すると見えます)。

 この巡礼の行進は平和十字軍と呼ばれている。これも後世への語られ方によってはヴェズレーの奇跡になるのかもしれない。爾来六十年、ドイツとフランスは仲の良いパートナーとして,EUをリードしているのは、世界の知るところだ。

サンペール村を望む
丘から見えるブルゴーニュの沃野
サン・ペール村が見える。

 聖堂の裏手にある庭園から眺める,ブルゴーニュの沃野は、地平線まで緑をなして美しい。平和十字軍として、ヨーロッパ各地から平和を希求する戦士たちが集合した歴史もあれば,ベルナール修道士の火のような演説に突き動かされて、ここからはるか中近東まで、戦をしに行った十字軍戦士たちもいた。ヴェズレーのガイドブックによると、このナマズの横たわる丘は,「永久なる丘」と呼ばれているそうだ。僕は,十字軍という言葉の響きをどうしても好きになれない。この単語の中のどこかに,宗教の持つ狭量さと、他の文化・宗教を見下したような差別感がつきまとうからだ。だが、聖マリー=マドレーヌ聖堂内に立つ、ドイツ兵捕虜たちが運んだ十字架には敬意を払いたい。十字軍という言葉と対立概念ともいうべき平和という語が、矛盾を孕まず梁の木材に書かれているからだ。これこそ、信仰の地である「永久なる丘」にふさわしい、第二次世界大戦という愚行の聖遺物となるだろう。
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2008年夏の旅行記 | 22:46:32 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
エルサレム修道会
こんにちは,西山@京都です。
ヴェズレーに行かれたのですか。ここには,エルサレム修道会の修道院があり,修道女と修道士が暮らしています。二人の日本人もいます。一人は音楽家の修道士で,もう一人はイコン画家の修道女です。日に三回の祈りを小聖堂で捧げていますが,訪問の時間とあいませんでしたか?大変に美しい歌声を響かせております。
2008-11-03 月 09:50:20 | URL | 西山 [編集]
西山さん、お久しぶりです。遊びに来てくださり、ありがとうございます。
エルサレム修道会のこと、残念ながら、タイミングが悪かったようで、美声を聴くことができませんでした。
話は違いますが、今、ネットのフランス語講座「chocolat podcast」の作成スタッフに加わりました。これから、少し忙しくなりそうです。
2008-11-03 月 22:14:32 | URL | [編集]
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