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石田明生

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パリの20区・・・ベルヴィルからメニルモンタン
 パリでのぼくの滞在地は20区にある。パリはル-ヴル宮殿のある中心を1区として時計回りに番号がふられ、最後になるのがこの20区だ。今回はこの界隈をぶらつきながら、パリの別の顔を紹介したい。

メスナジェの落書き.JPG

テレグラフ通りにある近所の幼稚園の壁に描かれたメスナジェ Mesnager の落書き(これを落書きと言えるかどうか、問題だが)メスナジェは後に紹介するがベルヴィル界隈を縄張りにしている



 ぼくがパリで住処としているマンション(所有しているのではなく友人から空いている時借りている、念のため)の程近くに「テレグラフ通り Rue du Telegraphe」という通りがある。ついでに言うと最寄りのメトロ駅の名は「テレグラフ」だ。もっとも駅名は通り名から付けるのがふつうだから、近くにテレグラフが二つあるのは偶然ではない。

テレグラフ駅2.JPG

テレグラフ駅、向こうに見える緑はベルヴィルの墓地、ここのどこかでシャップは実験をした

テレグラフ駅.JPG

テレグラフ駅ホーム

 ではなぜ「テレグラフ」か?
クロ-ド・シャップ Claude Chappe という人をご存知だろうか。この人はまだモ-スのテレグラフ(電信・電報)が発明される(1837・45年)前、電信柱ようのものの上に腕木信号機を付けて、電報のさきがけとした。フランス大革命の真っ最中、1792、93年に彼は、このテレグラフ駅の近くで「高所腕木信号機」の実験をした。そのためにここを通る通りにテレグラフの名が付いたというわけだ。ちなみに、革命中、並びにナポレオン時代、フランス陸軍が無敵を誇った理由の一つに迅速に情報を伝達するこの「信号機」の活用があったという説がある。
ではなぜシャップはこの地点で実験を行なったのか?

エスカレーター.JPG

テレグラフ駅の長いエスカレーター、地面が高いのでホームが深い

ご推察の通り、メトロの「テレグラフ駅」あたりはパリ北東部で最も高い位置にあって、海抜128メートルある。シャップの実験にはうってつけの場所だ。参考に言っておくとモンマルトルの丘は130メートルだからほぼ同じ高さということになる。

パリを一望.JPG

ワンル-ム・マンションからの眺め(日本式に言えば5階の高さだが、土地が高いのでパリを一望できる。ちなみにこのマンションは「パリの屋根の下 Sous les toits de Paris」という名がついている)

 この高い「テレグラフ通り」まで登って来る道が「ベルヴィル通りRue de Belleville」だ。そのためにこのあたり一帯は「ベルヴィル界隈」と呼ばれている。
 なんだかガイドブックのようになってしまったが、もう少し我慢して下さい。

二人で鏡の中.JPG

ベルヴィル公園の上に巨大な鏡の壁があったので友人と二人でパチリ・・・うしろにパリの町が広がる

 ベルヴィルと聞くと、フランス語を少しでも学んだ方ならすぐに「美しい町」という意味だ、と思われるでしょうが、実は belle ville は belle vue が変化したものだとか。つまり「美しい眺め」ということかららしい。文字どおり、この高所からの眺めはさぞや美しかっただろうと思われるし、ビルが林立してしまった現在でも、なかなかのパノラマだ。エリック・ロメール監督の映画『パリのランデヴー』で、「ベルヴィル公園」でのランデヴーのシーンがあるが、ご覧になった方はそこからパリをちらとでも俯瞰できたかも知れない。

ベルヴィル公園からの景色.JPG

ベルヴィル公園からの眺め

 さて、ある朝そのベルヴィル通りを下った。ベルヴィル界隈は高所ではあるが下町の風情のある、いわば庶民的な地域だ。ひっきょう有色人種の割合が多くなる。特に中国・ベトナム系の人達が多い。もっともぼくもそうだから、むしろ違和感がなく、溶け込むはずなのだが、やはりなかなかそうはいかない。中国系の人らしい八百屋さんに「ジャポネか?」と訊かれ、「そうだ」と答えると「Bonjour は日本語でなんと言う?」と質問されたりする。これでぼくが異邦人の臭いをぷんぷんさせているのがよくわかる。
 この通りの途中に写真のようなおもしろい「だまし絵」ではなく「だましオプジェ」があった。最初看板を取り付ける作業をしているのかと思い「あぶないな」などと見ていても、彼らはいっかな動かない。

Belle Ville 看板.JPG



下の男.JPG


 看板の文字は「言葉を信用してはいけない」というところか。
また右側の人物は町の探偵らしい。
 さらに下ると、不世出の天才歌手エディット・ピアフ Edith Piaf の生家がある。日本でも『愛の讃歌』『バラ色の人生』で有名な歌手だ。彼女はこのベルヴィル界隈で5・6歳から街角やカフェーのテーブルの上で歌っていたらしい。本当か嘘か知らないが、今や伝説となった感のある話がある。彼女は家計の足しになればと、街角で歌おうとした時、歌詞を覚えている唯一の歌は国歌の「ラ・マルセイエーズ」だったので、それを歌ったとか。

ピアフの生家.JPG

「1915年12月19日、赤貧洗うがごときなか、エディット・ピアフはこの家の階段上で生まれしも、やがてその声は世界を仰天せしめることとなる」こう書かれている

 坂を下り切ったところにメトロの「ベルヴィル駅」があり、右にビィレット Villette 大通り、まっすぐ行くとフォーブール・デュ・タンプル Faubourg du Temple 通り、左がベルヴィル大通りからなる、大交差点にぶつかる。
 左を見ると市がたっていたのでベルヴィル大通りを行くことにする。市のたつ道路はほとんどそうだが、ここも、両側のゆったりした歩道、その内側の2車線ずつの車道、そして中央にある市の並ぶ歩道と、とにかく道幅が広い。そのにぎやかな市場はメニルモンタン通りとの交差点まで1キロ近く続く。

Belle Ville の市場.JPG


 ところでこのメニルモンタン通りは、19世紀にアリスティード・ブリュアン Aristide Bruant (『ベルヴィル・・・メニルモンタン』1885年)、前世紀にはシャルル・トレネ Charles Trenet(1938年)、モーリス・シュバリエ Maurice Chevalier (『Mimie』1936年『La marche de Menilmontent』1942年)によって歌われた有名な通りだ。それどころか、ブリュアンの曲は最近になっても色々な人、たとえばジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens に歌われ(1980年)、トレネの歌は2002年にパトリック・ブリュエル Patrick Bruel のアルバム『両大戦間 Entre deux』でシャルル・アズナブール Charles Aznavour とデュエットを組んで歌われている。これが実にすばらしい(「これ」ってアルバムのこと?メニルモンタンという歌のこと?・・・両方です)。

Entre deux.JPG

アルバム Entre deux の表紙、左側にパトリック・ブリュエルがいる

♪メニルモンタン、そうなんです、マダム
♪そこは、僕がハートを置いてきたところ
♪そこは、僕が魂と再会しに来るところ
♪そこは、僕の情熱のすべて、僕の幸福のすべて・・・
            [シャルル・トレネ作詞・作曲](拙訳)

 Menilmontant とは mesnil mau temps (=maison mauvais temps 悪天候の家)から来ているらしい。坂道が急なことから、mau temps が montant (上りの)に変わり、現在に至る。この町の特色は18世紀にまだ市税対象外の地域だったことから形成された。つまり、安い飲み屋が軒を列ね、人が集まり、歓楽街への道を辿り、19世紀、オースマン知事以降になって市税が課せられてもその性格は残った。
 そんな町の特色を生かし、メニルモンタンはシモーヌ・シニョレ Simone Signoret 主演の映画『肉体の冠(原題 Casque d'or 「金色の兜」)』の舞台となっている。時はベル・エポック(19世紀末)、金髪が見事なので「金色の兜」と呼ばれている娼婦マリーに人目惚れしてしまうマンダ(セルジュ・レジアニ Serge Reggiani)。彼は前科者だが心入れ替え真面目に働こうとしている。ところがマリーに惚れているヤクザ者が二人絡み、結局は一人を殺してしまう。逃避行のつかの間、マリーと至福の時を過ごすが・・・
この映画は厳密にはメニルモンタン通りを左に入ったカスカード通りで撮られたらしい。

Casque d’or.jpg

『カスク・ドール』
[この写真は http://www.biosstars.com/film/50/c/casquedor.htm から転載しています]

 それにしても、巨匠ジャック・ベッケル Jacques Becker 監督が製作した(1951年)この映画の日本語タイトル『肉体の冠』とはいかがなものだろうか。僕にはどうしてもこのタイトルを考えた人の気持ちが理解できない。完全なイメージ訳ならそれはそれでいいのだけれど、casque (兜、ヘルメット)を「冠」と訳すのはまさに意訳で、d'or (金色の)から「肉体の」は訳でもなんでもない。強いて言えばイメージ訳か。それなら、この命名者はこの映画を実際に鑑賞したあとこのタイトルを考えたのだろうか?どうもそうは思えない。
 時代は日本で言えば終戦後、レイモン・ラディゲ Raymond Radiguet の小説『肉体の悪魔』1923年(後に同題名で映画化1946年)や田村泰次郎の小説『肉体の悪魔』(1946年)、『肉体の門』(1947年)が発表され、「肉体」ばやりだったので、「肉体」を付ければ売れるだろうという思惑だったのだろうか。
 まさかとは思うが、Casque d'or というタイトルを耳で聞いた人が Casque d'corps と聞き間違えたのではないだろうな。それならほぼ直訳だが。
 だいぶ長くなってしまった。最後に一言、このCasque d'or は実在した娼婦だったし、事件もそうだった。要するにこの映画は実話から作られたのだ。

天井桟敷.jpg

『天井桟敷の人々』
[この写真は http://www.cgrcinemas.fr/fichefilm_gen_cfilm=182.html から転載しました]
 

 映画と言えば舞台にはなっていないが、『天井桟敷の人々 Les enfants du Paradis』のヒロイン、ギャランスの出身地がメニルモンタンだった。ジャン=バチストがあの有名なパントマイムで彼女のぬれぎぬを晴らしたやったその晩、二人は偶然再会し、夜の見晴し台で語り合い恋に落ちる。

 「ぼくは今晩を絶対忘れない、その瞳の光も」・・・ジャン=バチスト
 「光なんて、どこにでもあるわ・・・ほら、あの小さな光!メニルモンタンの小さな光よ」・・・はるか彼方の光を差しながら、ギャランス
 「わたしの生まれた町よ。長い間とても幸せだった・・・」・・・ギャランス

 すると二人が話している場所はどこだったのだろう。少なくとも芝居小屋のある「犯罪大通り」は後にオスマン知事が大鉈をふるったので跡形もなくなってしまった。が、レピュブリック広場 Pl. de la Republique からメトロの「グラン・ブールバール Grands Boulevards」駅の方だろうと思われる。その途中に「ミラクル(奇跡)小路」がある。
 映画『天井桟敷の人々』で、盲人の物乞いがある飲み屋で突然目が見えるようになる。このように突然奇跡が起こり、目が見えるようになったり、足が歩けるようになる、そういう界隈が「ミラクル小路 La cour des Miracles」だ。だから、バチストとギャランスがメニルモンタンの光を見ながら語る高台と思しき場所(手すりがある)はボンヌ・ヌーヴェル Bd. de Bonne Nouvelle 大通りとサン・ドニ通り Rue St. Denis の交差点の南西側、18世紀まで「ミラクル小路」と呼ばれていたところかも知れない。そこは現在も大通りより2メートル位高い位置にある。

 さて、今朝は我が住まいからベルヴィル通りとは反対側のデュエ通り Rue de la Duee から、メニルモンタン通りを下る。

ガラス壜入れ.JPG

家から出るとすぐそこにガラス瓶入れがある。これは町のあちこちに設置されている

デュレ通りメスナジェ.JPG

デュエ通りのメスナジェ

デュレメスナジェ2.JPG

パリでもっとも狭い道(幅0.60メートル)デュエ小路 Passage de la Duee に続く道にあるメスナジェ

デュレ通りネモ.JPG

落書きでメスナジェと肩を並べるネモ Nemo の作品(デュエ通り)

デュレ通りの壁絵.JPG

デュエ通り・・・作者名がわかりません

スケアー.JPG

デュエ通りとメニルモンタン通りに挟まれた「メニルモンタン・スクエアー(小公園)

メニルモンタン2.JPG

「でも僕の ouapiti はどこなの」と書いてある(メニルモンタン通り)

 メニルモンタン通りを下る途中、廃線となった線路にかかる橋のたもとに、ナチスによって犠牲となった人を偲ぶプレートがあった。このような碑文はパリを歩いていると目に止まることが時々ある。たとえばパリのリヨン駅構内にもあった。

反ナチの犠牲者.JPG


「1944年8月23日、ナチスの列車への勝利へと導く攻撃で倒れた英雄達を記念して。
ボルツ(フランソワ)38歳
ゴッドフレィ(ルイ)53歳
アジュマン50歳
そして二人の無名の愛国者
フランスのために命を捨てたこの勇者たちに不滅の栄光を

ド・ゴ-ル De Gaulle 将軍のパリ入城は8月25日だから、その二日前に「パリ解放」知らないまま命を失った人たちだ。なんとも惜しまれる。

メニルモンタン3.JPG

ネモの作品(メニルモンタン通り)

メニルモンタン3’.JPG

上の近撮

メニルの若者.JPG

メスナジェの作品(メニルモンタン通り)「俺たちさ、メニルモンタンの若者は」と書いてある


 上のメスナジェの作品はメニルモンタン通りを登る時でなければ見えないかも知れない。僕は下っていたのだが、この作品を見て、少し行くと大通りにぶつかり、メトロの「メニルモンタン駅」となる。これでメニルモンタン通りの散歩を終える。ただし、今年はこの通りの車線の舗装を全面的に修理しているので車は一方通行となっている。工事が済んで石を敷き詰めたきれいな舗装になるとすばらしいが(まさかアスファルトやコンクリート舗装ではないだろうね)。
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パリ散歩 | 18:05:03 | Trackback(0) | Comments(3)
コメント
石田先生
おぎはらです。ご無沙汰しております。
ご報告の方遅れましたが、新しくブログを開設いたしまして、その際先生のブログにリンクを貼らせていただきました。
先生はまだパリにいらっしゃるのでしょうか?

よい旅でありますように…

後期の授業も楽しみにしています。
2006-09-03 日 21:51:49 | URL | KENTAROU OGIHARADA [編集]
だまし絵・・・授業で紹介してくれましたね♪
ほんと、町のいたるところに絵が溢れていて、それだけを見て回るだけでも滞在期間を過ごせそうですネェ。
ベルヴィルの由来も、なかなか面白いですね(´ー`* ))))
2006-09-03 日 23:57:45 | URL | titanx2 [編集]
>おぎはら君
リンクを貼って下さってありがとう。よろしく。8/21に帰って来て、滞在記をまとめて、ブログに書いたり、写真をまとめたりしています。これから後期の授業の準備もしなくちゃ。またよろしく。

>titan×2 さん
ただいま、日本に帰って来ました。ご覧の通り、いろいろ仕入れて来ました。もちろんまだ書いていませんが、chansons も。またよろしくお願いします。
2006-09-05 火 00:08:15 | URL | Scipion 明生 [編集]
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