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『孤児たちの城』を読む。
 最近、久々おもしろい本を読んだ。
 『孤児たちの城』(新潮社)と題するその本は、20世紀前半、パリのレヴューの舞台で絶大の人気を誇った歌手、ジョセフィン・ベーカーの夢とその残骸の物語だ。

Baker famille
右上の女性がジョセフィン・ベーカー、中央の人物が父親のブイヨン。二人の結婚は、ブイヨンがホモセクシャルであることでわかるとおり、同士的な意味合いが強い。左下の少年が、本書の主人公的存在である「アキオ」だ。《幼年時代の顔は、どれも笑っているものがなくて、たとえ笑っているとしても大きく見ひらかれた目が怖いくらいに張りつめて、世界への違和を訴えているようだった》(p.40)


 副題に『ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』とある。「囚われた13人」とは、アメリカで黒人故に差別、軽蔑された彼女が、功なり名をなした後、肌の色もさまざま、生まれた国も宗教もさまざまな孤児たちをひとつの家族として、育てようとした子供たちのことだ。それにしても、どうして作者の高山氏は子供たちにとって、「囚われた」と負のイメージのタイトルを付けたのだろうか。
 作者の筆から紡ぎ出される文章は、情景を眼前とさせるのに巧みで、読みやすい。このようなドキュメントにも限らず、表紙以外写真が一枚も使われていないのは、描写力に自信のある証拠だろうか。時々ハッとするような比喩が使われて、文の余韻を楽しむことができる。全体的に美しい文と言ってもいいだろう。
 やっと会えた主人公・・・もしこの本に主人公がいるのなら、「長男」役の、日本から引き取られた「アキオ」をおいて他にいるまい・・・の描写は次のようだ。

《それに彼の顔。屋根裏の哲学者みたいに陰気に閉じられていた。それが私を見て笑い、右手をさしだしてきたときには、少年のように無邪気な顔に変わった。ほんとうはこんな顔をしているのかと、私は少しうれしくなった。かき集めた資料に見える幼年時代の顔は、どれも笑っているものがなくて、たとえ笑っているとしても大きく見ひらかれた目が怖いくらい張りつめて、世界への違和を訴えているようだった。でもいまの笑顔は、きらきら光っている。
 ああ、生きていてくれたんだ、と私は握手を解いてから思った。五十四年を生きてきた運命の子は、どれくらい自分のことを知っているのだろう》(p.40)

 「アキオ」は、戦後の米軍占領下、横浜生麦のタバコ屋に捨てられた、いわゆる捨て子だった。山本と名のった母親は、生後二ヶ月の赤ん坊を抱いて、そのタバコ屋で雨宿りをしていたが、傘をとってくると言い残したまま、消えた。子供は大磯の「エリザベス・サンダース・ホーム」にあずけられるが、すぐに、混血の歌姫の目に留まり、もう一人の孤児「テルヤ」とともに、渡仏する。大磯の孤児院にとどまり、そこを巣立って行った他の子供たちと異なり、「アキオ」は、ジョゼフィーヌ・バケール(ベーカーのフランス語名)の養子となり、彼女の人類愛の夢を結晶させるべく、フランス南西部の城・・・ミランド城・・・の王子となろうとしている。世界の聖母を目指した歌姫は、最初七色の虹にちなんで、七人の孤児を育てようとしたらしい。

《「ママはいつも僕たちに言っていたんだ」
 パリからミランドへ私を案内してくれた、かつての天使(=アキオ)は教えた。
 「あの虹をごらんなさい。ひとつの色だけじゃないでしょう。いろんな色が集まって、美しい虹になるのよ。あなたたち兄弟も、みんな肌の色が違う。・・・(略)・・・私は証明してやりたいの。違う国で生まれ、違う肌の色をしていても、こうしていっしょに生きてゆけばけっして差別も戦争も起きはしないっていうことを。たがいに助け合って生きてゆけるっていうことを。忘れずにおぼえておきなさい。あなたたちは”虹の部族”なのだから」》(p.10)

 そう、美しい。ジョセフィン・ベーカーの夢は、涙が出るほど美しい。いや、夢ではない。彼女はすべての財産と、かき集めに集めた借金で、その夢を夢でなく、実現しようとしたのだ。城を村ごと買い取り、ミランドの地に理想の虹の家族を実現しようとしたのだ。だが、約十年で敗れ去った。同士であった夫にも逃げられ、莫大な負債を抱えて、十二人となった虹の孤児たちとともに城を追われる。救いの手を差し伸べたのは、彼女に強い共感を抱いていたモナコ王妃グレース・ケリーだった。尾羽うち枯らした混血の歌姫と虹の部族たちは、モナコのヴィラに住まうことになった。こうして、兄弟たちはさまざまな軋轢を経て、世界に旅立って行く。ニューヨーク、ブエノス・アイレス、モナコ、パリ、スイスなどなどに・・・そして、2006年は、ジョセフィン・ベーカー生誕百年を迎えた。
 彼女は、アメリカはセントルイスの貧しい家に、黒人の母と白人の父(すぐに消える)のあいだに生まれた。激しい人種差別のアメリカを逃れ、パリにやって来て、《扇情的で挑発的で悲劇的なはげしいダンスをステージでくりひろげ》(p.11)、たちまち名声を得る。
 莫大な財産を手に入れた彼女は、パリのスラムの人たちに三ヶ月に一度は施しをし、子供たちには玩具を与えた。第二次戦争中は、フランス軍の慰問をし、レジスタンスを助ける。その功績で、ド・ゴールから、ロレーヌ勲章を、大戦後レジスタンス勲章を授与された。いわば、フランスの英雄だった。そのため、一九七四年の葬儀は国喪級だったと言われている。
 戦後も、彼女の人種差別撤廃のための活動は続いた。彼女自身も、有名スターとなってアメリカに凱旋しようとして、ホテルに宿泊できないという差別を受けた。アメリカが真に差別のない国になるのはずっとずっと後のことだからだ。だからこそ、彼女は夢の実現をあせったのではないか。祖国のアメリカを見返してやる!
 しかし、この書『孤児たちの城』は、ベーカーの伝記ではない。そんな狂気のようなベーカーを母として、ミランダの城で、モナコのヴィラで、世界から集められた孤児たちはどんな思いをして暮らしていたか、そして今、五十歳を過ぎ、大人となってなにを思っているのか。作者はパリのアキオとモナコにいるテルヤ、ニューヨークに住み、虹の家族の想い出を膨大な書にした十三番目の孤児ジャン・クロードに会い、彼らを観察し、描写する。副題の「囚われた」という言葉は、そんな中から、湧出してきたのだろうか。
 モナコの宮殿に付属する庭園を管理する会社の庭師として、誇り高く生活するテルヤ、パリの銀行に勤めるアキオ、ニューヨークのレストランのオーナーとなり、そこそこの成功をしているジャン・クロード、彼らはみな、家庭を持たない。だが、家庭を持たないことが、あるいはジャン・クロードのようなホモセクシャルであることが、虹の部族の負の遺産とでも言うのだろうか。孤児たちは、はげしい情熱の母親に囚われて、去勢されたとでも言うのだろうか。
 パリのモンパルナスにある、「ジョゼフィーヌ・バケール広場」で、作者はアキオと待ち合わせをし、食事をする。その時、醸造酒と蒸留酒の違いについてとうとうと述べるアキオにしびれを切らし、作者は唐突に訊ねる。

《「あなた、いままで結婚しようとしたことはあるんですか」
 思いがけぬ方向から一撃をあびせられて、彼ははたと声をのみ、こちらを見下すような視線を投げつけてきたが、
 「二度ありました」
 「二度、ですか」
 「一度はアルゼンチンで、二十二歳のとき、・・・(略)・・・もう一度はフランスに帰ってきてから。ドイツ人の女性と六年間つきあいました。二人の関係が破れてからも、現在まで九年間友人としてつきあっています。・・・」》(pp.311-312)

 その女性には子供ができず、養子をもらおうとするが、結局は、彼女がアルコール中毒になり、それを断念する。やはり、アキオは家庭を持てなかったのだ。
 作者がアキオを《去勢された王子》《暴力のように押しつけられた「長男」》と、評するのは、母親ジョセフィン・ベーカーの存在が半世紀を過ぎても彼ら孤児たちに、特に長男役だったアキオに、重くのしかかり、いまだ彼ら孤児たちを「捕らえて」離さないことを強調したかったのか。「囚われた13人」とは今現在囚われたままの孤児たちを指すのかもしれない。結局、混血の歌姫の強烈な個性と、彼女が抱いた夢の凄まじさを証明することになる。
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書評 | 16:43:52 | Trackback(0) | Comments(0)
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