投稿日:2008-12-29 Mon
12月25日(木)クリスマス当日というのに、晴れて穏やかな一日となった。天気番組によると、11月中旬か下旬並みの暖かさだったそうな。
そんな一日、東京をぶらついた。
午前中、錦糸町で映画『レッド・クリフ』を見た。浦和在住の僕が、何の因果があって、わざわざ錦糸町まで出かけて、しかもこともあろうに『レッド・クリフ』を見たか、というと・・・
要するに、新聞屋さんが、どういうわけか近所の映画館のではなく、錦糸町の映画館の券をサービスでいつもくれるのだ。普段は、僕にとってあまり興味のない映画ばかりなので、銀糸町に住む友人に送っているのだが・・・
前から冬休みにはいったら、フランスのマルタンさんに贈物をしようと思っていたので、浅草橋の人形屋で、人形を探すことにした。こうして、錦糸町とつながる。どうせ浅草橋を歩くなら、映画鑑賞の後でというわけだ。『三国志』なら、それほど嫌いなテーマではないし・・・
とはいえ・・・まあ、『レッド・クリフ』論は止めておこう。ただし、二点だけ指摘したい。
ひとつは、題名についてだが、なぜ「赤壁の戦い」または単に「赤壁」ではなく、英語のカタカナなのか。何だか無用な格好付けのような気がしてならない。「それがいいんだ」という声が聞こえそうだが。
もう一点は、話が「赤壁の戦い」までいかなくて、その前段階までであり、本当の「赤壁の戦い」は、パート2の方だそうだ。なんだか、サギにあったような気分だ。無料の招待券で見たからいいが、自分の財布なら「金返せ」と言いたくなるかもしれない(そのせいかどうか知らないが、観客は、広い館内にわずか20名ほどだった)。
昼食は浅草橋駅近くにある、小料理屋の「昼定食」を食べた。この手の昼食はたいていおいしい。妻は「四国風うどんとにぎり寿司」、僕は「海鮮丼」をとった。海鮮丼のご飯の量の多さに、目を丸くした。結局申し訳ないが、残してしまった。だから、他のお客さんの「大盛り」という声が聞こえたときには、驚いたと同時に、どんな丼だろうか、好奇の芽がふっと出てきた。残念ながら、見ることができなかったが。
ご飯を残した、と書いたが、厳密には残したのは僕ではない。「四国風うどんとにぎり寿司」のトロの握りをひとつ僕が食べたために、海鮮丼のご飯が食べられなくなったのだ。だから、食べきれなかったのは、僕ではなく妻ということになる。


どちらも680円なり
とにかく、二人とも腹をくちくしてから、「江戸通り」を、北に向かった。最初は、マルタンさんの孫娘用の「羽子板」を見ていたのだが、羽子板は値段の割に「ちゃち」な感じがして、今ひとつ食指が延びない。そこで、ある店で童子と童女の人形を見つけたので、それを買うことにした。フランスの女の子が、こんな人形を好むかどうか・・・

足の方はそのまま、少し北に向かったあと、左に国際通りに入った。このまま真直ぐ行けば、浅草、さらに行けば吉原だ。我々は合羽橋通りに行きたいので、寿三丁目の交差点で左に曲がって春日通りに入る。この辺りは、蔵前だ。昔相撲といったら、蔵前国技館に決まっていたので、蔵前という地名だけは子供の頃から耳にこびりついている。実際に蔵前を歩くのは初めてだ。国技館はどの辺りにあったのだろうか。

蔵前にあった、懐かしい店
散歩していて驚くのは、シャッターの降りた店、または会社が目立つことだ。百年に一度の不況ということを否が応でも実感してしまう。浅草橋からこの辺りの蔵前は、しゃれてこそいないが、下町風情が漂い、風景がやさしい。それだけに、灰色のシャッターを見ると胸が痛む。
春日通りを、三筋町二丁目の交差点を右に曲がる。この通りは新堀通りといって、合羽橋道具街に通じる。
新堀通りも、シャッターの降りた店が目につく。景気のいい時代だったら、暮れの今頃は活況を呈していたのだろう。目の前の街はなんだか、静かに目立たずに新年を迎えようとしているようだ。
少し行くと、浅草通りとの交差点に立つ「ニイミのおやじ」が目に入る。合羽橋道具街の入り口だ。

新堀通りと浅草通りの交差点のビルから睥睨するニイミのおやじ
拡大しないと見えないかもしれません。
道具街を歩いても、気のせいだろうか、今ひとつ活気に欠けているようだ。もっとも、暮れに来たのは初めてだから、もしかすると毎年こんなものなのかもしれない。僕が比べているのは、フランスへの土産を買いに来た夏の道具街だ。あのときは、外国人観光客で大いに賑わっていた。それもそのはず、円が異常に安かったから、日本に来る観光客にとって得だったはずだ。それに反して、僕たちのように海外に旅行するものにとっては、1ユーロが170円近かったので辛かった。半年足らずのあいだに随分と変わってしまったものだ。そういえば、ガソリンスタンドにリッター96円と書いてあったが、四月頃にはリッター180円位したものだ。相場の変動の凄まじさをまざまざと見せつけられた。だから、今年の漢字ひと文字は「変」なのかもしれないが・・・
合羽橋道具街はどこまで続くのだろう。今日は、ついに最後まで歩いた。道具街は、浅草通りと新堀通りの交差点にある、西洋食器の店「ニイミ」から始まり、さまざまな厨房用の道具を販売する店が軒を連ねる。店内に入って、見て歩いていると時間を忘れてしまいそうな、おもしろい空間だ。

道具街にかざられたカブトムシ

包丁屋さん
「ニイミ」から少し行った所に、合羽橋交差点があるが、どうやらこの「合羽橋」が、合羽橋道具街の名の由来らしい。
合羽橋道具街のサイトによると説は二つあって、ひとつは、ここにあった橋にいつも雨合羽を干したことから、合羽橋という名が付いたという。
この商店街の方達は、どうやらこの説をとっていないようだ。
もうひとつは、文化年間の180年ほど前、合羽屋喜八という人が、この辺りの水はけが悪いので私財をなげうって、掘り割りを作ろうとしたが、仕事がなかなかはかどらなかった。それを見た隅田川の河童たちが、夜毎集まって、工事を手伝ったとか。そこで、その橋を合羽屋の名前をとり、合羽橋と付いたという。どうも合羽と河童が混同しているようだ。ちなみに、合羽屋喜八は別名が合羽川太郎といったらしい。

すると歩いていたら、ご本尊が「かっぱ河太郎」という、金色の河童様が鎮座していたのには、たまげてしまった。2003年に、道具街90周年を記念して、建てたらしい。
合羽橋道具街の終点は、約1キロほど先の「言問通り」との交差点だった。ここまで来ると、入谷だ。入谷に来るとすぐ「恐れ入谷の鬼子母神」というフレーズが口をついて出てくる。その鬼子母神のお寺に詣でて、今日の散歩もいよいよ終わりに近付く。鴬谷駅はもうすぐそこだ。

鴬谷駅の南側に、すぐにもなくなりそうな飲屋街があった。もとの赤線地帯の名残か。

駅構内から撮影する。
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