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石田明生

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雀はどこに? ・・・鳥の想い出話
 先日、電車に乗っていると、二十代くらいの若者の会話が耳に飛び込んで来た。他人の会話など,たいていの場合耳を傾けるまでもなく、記憶に残すこともなく,そのまま消滅してしまうものだ。が、その時は違った。

「おいおい、雀って絶滅寸前なんだってね」
「えっ,ホント。そう言えば見ないよな。雀」

 実はこれだけのやりとりだ。その先も聞きたかったのだが,残念ながら,僕は降りなければならなかった。思わず,その会話の主に目をやったのは言うまでもない。すると,思った通り、二人は地味な服装をした、まじめと言えばまじめそうな様子の青年だった。もっとも僕の関心は,その会話の主ではなく,話題のほうだから,彼らの様子などどうでもいいのだが・・・


 というのも、その会話を聞く数日前、毎日新聞の「余録」で、まさに『雀』のことが取り上げられていたからだ。大分前のことで,しかも切り抜きをしておかなかったので,内容に関して少し心もとないが,確か、《雀の数は現在減りに減って、かつての十分の一になっている》というようなことが書かれていたと思う。
 去年から,庭に餌台を置いて、鳥の到来を楽しみにしていることは,すでに何度かこのブログに書いたことがある。この二年間、庭に来る鳥を観察してみたが,確かに雀は少ない。僕の庭は彼らにとって魅力がまったくないのか、隣家の屋根までは来るが,地面までは来ない。まして餌台に舞い降りることがない。寂しい限りだ。
 この冬,我が庭の餌台にきた鳥は、ヒヨドリ,メジロ、ムクドリ,四十雀(シジュウカラ)だった。が、ほとんど毎朝,鋭い鳴き声とともに、餌台の餌をついばみ,時にはそっくり持ち去るのはヒヨドリだ(食いしん坊の「ジャイヤン」と名付けた)。だから、いくら餌台に餌を置いて、かわいいメジロや四十雀を待っても、獰猛なヒヨドリに先を越されてしまう。ミカンやバナナがいくらあっても足りないほどだ。そこで最近は,あたまにきて、砂糖のザラメを餌台に蒔いている。それでも、彼らはひとつひとつ小さなザラメをついばんで、瞬く間に平らげる。
 ところで,ヒヨドリはこんなに身近な鳥だったろうか。
 少なくとも僕の幼児・小児体験にヒヨドリは皆無だった。多分「ヒヨドリ」という名前すら知らなかっただろう。小学の低学年まで,僕の育った田舎(今のさいたま市)では、冬になると鳥撃ちが流行っていた。我が家にも空気銃があった。僕も撃ったことはあるが、さすがに子供の身にはあまりに重たくて鳥を撃ったことはない。銃身を台に載せて、缶詰の空き缶なら、撃ったことがある。
 鳥撃ちには,近所の兄貴分(中学・高校生くらい)にあたるお兄さんたちの後ろをくっついて行った。今思うと家の近くでの鳥撃ちは、いくら空気銃とはいえ、禁止だったのではないか。ということは、これはいわゆる禁じられた遊びだったのか。
 僕ら「ちびたち」は、野原や林のなかをお兄さんたちのあとを抜き足差し足でついて行き,しとめられた鳥が、ひらひら落ちると我勝ちにとりに行った。その時の鳥は何だったのだろう。もちろん雀もいたかもしれないが、雀は鳥撃ちの対象ではなかったはずだ。モズ、ツグミ、キジ(空気銃では撃ち落とせないが)だったろうか。ホオジロもいたかもしれない。だが、「ヒヨドリ」という名前は聞いたことがなかった。今のように、これほどいたなら,雀より大柄だから大いに狙われたはずだ。それとも、話題にならない位食べ物としては不味いのか。いや,それも違う。不味くて食べられなければ、それはそれで名前を聞いたことがあるはずだ。「シラサギ」など、大きくて立派だが、誰も撃とうとはしなかった。きっと不味かったのだろう。
 雀は,鳥撃ちの対象ではなかった、と書いたが,それは不味かったからではない。小さくてなかなか命中しないということもあったと思う。なにしろ空気銃は、5ミリほどの鉛の弾を発射して、命中させねばならないのだ。いわゆる散弾銃と違う。だから、例のお兄さんたちでも、単独で銃を構えて鳥に命中させるのは至難の業だった。たいていは、銃身を樹木の枝の上にもたせたり,時には,僕らチビの肩に載せて打ったりした。僕らチビたちの一番緊張し、誇らしい瞬間がそれだ。少しでも動いたら,お兄さんたちの蔑みの言葉が待っている。石のようにかちかちになって,引き金を引く瞬間を待つ。「プシュー」と音がして,ほっとする。銃が耳元にあっても,空気銃は大きな音がしないから、怖くないのだ。
 ところで,雀はほとんど肉はないけれど,美味しい鳥のひとつだった(とはいえ,僕は生理的に食べることができなかったが)。大量にいる雀・・・本当にたくさんいたものだ・・・を、空気銃で,しかも命中するかどうかもわからぬまま,撃つわけがない(たぶん弾のほうが高くついたかも)。だから、雀捕りは、お兄さんたちの楽しみではなく,プロもしくはプロ的な大人の仕事だった。それは、「霞網(かすみあみ)」という仕掛けを使って、まさに雀(雀に限らないが小鳥)を一網打尽にしてしまうのだ。田んぼと林の境界に細かい目の網をゴルフの練習場のように張り,林のなかで「ドカン」と火薬を爆発させる。すると小鳥たちはいっせいに飛び立ち、霞網に引っかかり御用となるわけだ。その細かい網は、霞が張ったように見えるから,そう呼ばれたのかもしれない。
 あの捕獲された哀れな雀たちは、どこに行ったのだろうか。どこかの中華料理屋の食卓に載ったのだろうか。
 話がなんだかいつものように脱線してノスタルジックになってしまった。書きながら,ふと自伝『父の栄光』(映画では『マルセルの夏』)を思い出した。繰り返すが,我らの鳥撃ちは空気銃によるもので、映画のように飛んでいる鳥を散弾で打つのではない。
 また話を元に戻そう。ようするに、子供の頃ヒヨドリはいなかった。「ヒヨドリ」という単語を初めて知ったのは,たぶん、漫画か児童本で「源義経(牛若丸)物語」を読んだときだと思う。彼の生涯でももっとも格好の良かった「鵯越の逆落とし」の「ヒヨドリ」で、どちらかと言うと,イメージされるのは戦争場面がもっぱらだ。鳥のイメージとはかけ離れていた。図鑑によると、ヒヨドリは山林に住むと書かれている。してみると、彼らは,なんらかの理由で(もっとも考えられるのは山林の消滅),山林に住めなくなり、住宅地に移動して来たのだろうか。それと同時に,田んぼや小麦畑の消滅が、雀の減少という結果を招いているのか。やはり,農業の破綻は雀の絶滅と結びつくのか。
 雀と言えば,日本の雀と違ってフランスの雀は,人なつっこい。日本では絶対に考えられないが,フランスでは雀は手のひらの餌をついばみにやって来る。稲作文化とは異なる農業の歴史をたどって来たフランスでは,雀は忌むべき敵ではなかったのだろう。対して日本では,雀は,『舌切り雀』を持ち出すまでもなく,ひとの食物を盗む大敵だった。
 また幼年時代の想い出話で恐縮だが,罠を仕掛けて雀を捕り、籠に入れて飼おうとしたことある。その時、雀の恐るべき野生性を思い知らされた。
 庭に米粒をまき、その上にざるを棒でつっかい棒をして立てかけておく。その棒に紐を繋げて一方を持って物陰に隠れているだけでよい。雀が餌をついばんだら,紐を引き,ざるを落とす。とここまでは簡単だ。問題はざるの中に閉じ込められた雀を手で捕まえることだ。少しでもざるを上げ過ぎると逃げられてしまう(何度逃げられたことか)。手だけざるに入れて、見えない小動物と壮絶な追いかけっこをするのだ。そういうわけで,ついに捕らえた雀をかごに入れて,飼おうとしたら,雀は驚くべきことに与えられた餌には見向きもせず、ただひたすら自由を求めて、籠の隙間から出ようとする。我武者らに出ようとしているので,見ているからいけないのだろう、そのうちお腹が空いてえさを食べ、籠の生活に慣れるだろうと思って,そのまま放っておいた。すると、哀れなことに,籠の隙間に羽とくちばしを突っ込んだまま,死んでいた。かわいそうなことをしたものだ。その出来事は,野生の鳥の凄さ、雀の強情さを僕の心に植え付けた。だから,パリで手のひらの餌をついばむ雀を見たとき,正直言って仰天した。
 偉大な歌手エディット・ピアフが、「ピアフ(雀)」と芸名を付けたのも頷ける。フランスの雀は、野性ではあるけれど,日本のように野生の凄まじさがない。フランスのはかわいげがあるのだ。日本では偉大な歌手の美空ひばりは「ヒバリ」と名付けた。そうだ,日本ではヒバリのほうがよほどかわいげがある。
 けれど、最近ヒバリの鳴き声もあまり聞かなくなったような気もするが・・・
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雑感 | 17:59:05 | Trackback(0) | Comments(0)
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