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酒井法子さんとディズニー・コンプレックス
8月7日(木)

 今週は芸能界が騒がしい。
 言うまでもなく、女性変死体の部屋から逃げ出して、薬物使用で逮捕された俳優(押尾学)と、覚せい剤所持の現行犯で逮捕された元サーファー(高相某)とその後子供と行方をくらました酒井法子さんのことだ。これを書いている時点では、大原麗子さんの孤独死もそれに輪をかけている。
 酒井法子さんの10歳の子供に関しては、夕べ彼女の知人から警察のほうに連絡があり、無事に預かっているとのこと。とりあえず、テレビのニュースにしがみついていた人たちはみなほっとしているにちがいない。
 僕は芸能界に詳しくないので知らなかったが、酒井法子さんは台湾や中国でも人気があった。ニュースは、海外の反応まで取材していたからだ。その中で、北京の女性のコメントの中に、おもしろい、というより思わず首を傾げてしまうようなのがあった(テレビ局の吹き替えだが)。

 《あんな美しい人に、そんな不幸は起きて欲しくないです》

 むむっ、冗談じゃない。それでは美しくない人なら不幸に遭ってもいいのか!


 思わず、こう口をついて出てしまった。このコメントは北京の人もしくは中国人のもつ独特の心性だろうか。そんなことはない。というのは、このようなテレビ局のコメント取りは、一人二人だけになされるものではあるまい。もっとずっと多くの市民に感想を聞いたはずだ。上の感想は、数多いコメントの中から選ばれて、日本に発信されたのだ。だから、《あんな美しい人・・・》は、それを選んだ日本人の心性でもあるのだろう。
 ところで、僕はこのように「美しい人」を優遇する心性を以前から「ディズニー・コンプレックス」と呼んでいる。ディズニーのアニメに登場するヒロイン・ヒーローが常に美男・美女で、常にハッピーな結末を迎えるからだ。もしかすると反対に美女や美男が悪者で、醜女や醜男が善人という作品もあるいはあるのかもしれない。残念ながら、ディズニー作品すべてに目を光らせているわけではないのでわからない。
 しかし、『白雪姫』『シンデレラ』など、ヨーロッパの昔話から作られたディズニー作品はあいも変わらず「美女=善」だ。その辺のことについては何年か前に物故した若桑みどり氏の『お姫様とジェンダー――アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』(筑摩書房[ちくま新書], 2003年)に詳しい。若者たちがあたかも聖地巡礼のように訪れるディズニーは、意外と古い古典的な規範・・・美しい肉体に美しい精神が宿る・・・を現代人に刷り込む働きをしていると言えるだろう。その感を強くしたのは、ディズニー作の『ノートル=ダム・ド・パリ』の話を聞いてからだ。
 この作品では、主人公のエスメラルダは最後に隊長のフェビュスと結ばれ、祝福の鐘をカジモドが鳴らすという,いわばハッピーエンドになっているらしい。つまり、悪人はもっぱら聖職者のフローロというわけだ。子供向けの作品だろうから、物語の単純化は仕方ないにしても、原作の中でもっとも悪役、いや悪役にさえなれないほど醜悪な人物(フェビュス)をヒーローにするとはあまりといえばあまりだ。原作者のヴィクトル・ユゴーが、当時の古典主義(新古典主義と呼ばれる)・・・ギリシャ・ローマ的美の規範(「美しい肉体に美しい精神」または数学的・幾何学的な美)・・・に「ノン」を突きつけたのが、他ならぬ『ノートル=ダム・ド・パリ』(1831年)だ。作品を読めば誰でも見て取れるように、もっとも醜いカジモドに崇高な精神を、自他ともに認める男前のフェビュスに俗悪な心を賦与して、ユゴーは古典主義に、古典主義的価値観に決別を告げたのだ。
 それは、題名にもなっている「ノートル=ダム」を物語の中心に据えていることでも明白だ。ルネッサンス以来の古典主義的価値観では、ロマネスクやゴチック(=ゴシック)建築は野蛮な建物に過ぎない。この価値観に合った美しい建築は、たとえばパリでは、古典主義的な「パンテオン」「アンヴァリッド」そして当時完成したばかりの「マドレーヌ教会」などだ。それに対して、「ゴチック(ゴート族的な、つまり野蛮な)」などと呼ばれた中世の建物は、ギリシャ・ローマ的価値観からすれば醜悪な石の塊に過ぎない。そういう価値観に、ユゴーは「ノン」を突きつけた。
 ひるがえって現代、ディズニーはそういうユゴーの思想に真っ向から逆らって、作品を冒涜しているのだ。冒涜? 表現が強すぎただろうか。そんなことはあるまい。ディズニーは『ノートル=ダム・ド・パリ』を子供向けに直したとき、エスメラルダをカジモドと結ばれるハッピーエンドにできなかった。なぜだろうか。おそらく、完璧な乙女、エスメラルダが選び、愛する男がどうしようもない下司野郎のフェビュスであることが許せなかったのだろう。原作やフランス版ミュージカル『ノートル=ダム・ド・パリ』では、彼女のその愚かで一途な恋に読者や観客は歯がゆい思いをするのだが・・・
 ヒロインを崇高なまでの恋を貫く醜男のカジモドと結ばせることができないのであれば、美男のフェビュスを最低の下司野郎のままに描けないのであれば、ディズニーは『ノートル=ダム・ド・パリ』に手をつけるべきではなかったのだ。
 現代は、ユゴーが百五十年以上も前に主張したように、外側のみで人を判断するのを良しとしていない。そんなことは誰でもわかっている。わかっているが、何かの折りにふと偏見(=ディズニー・コンプレックス)が顔をのぞかせる。気をつけたい。

 これを書いているうちに、例の事件はさらに芸能界を揺るがせる事態になった。酒井法子さんは、酒井法子さんではなく「酒井法子容疑者」になってしまったのだ。つまり、夫の罪を恥じて行方をくらましたかわいそうな妻から、覚せい剤の尿検査を免れるために身を隠している狡猾な犯罪者に転じた。
 僕にはこの見方が当たっているかどうかわからない。が、子供をあずけて一人で行方をくらました、孤独な彼女の身が心配だ。どうか無事に出て来て欲しい。それだけを祈っている。
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雑感 | 07:24:01 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
突然のコメントで申し訳ありません。
ですが一言よろしいでしょうか。

ディズニー版「ノートルダムの鐘」に目を通されたことはおありですか?
ヴィクトル・ユーゴの原作を冒涜していると思われる方もいらっしゃるとは思います。それは仕方の無いことです。
子供向けに作られたディズニー作品…とありますが私にはあの作品が子供向けであるようには見えませんでした。
確かにエスメラルダは非の打ち所の無いような男性(に改善された)フィーバスと恋に落ちたり道徳的な所はありますが
それでもとても素敵な作品でした。

冒涜…ではありますが別のお話として見ていただければ面白いと思います。

ディズニー版ノートルダムが好きな故に子供向けという表現が気に入らなかっただけです。

あとディズニー初の長編映画「白雪姫」での継母は一応容姿端麗です。白雪姫の次に美しいという設定だった気がします。
以降は確かに悪役=醜い感がありますが視聴者の感情移入にも関係があると思います。
2009-08-24 月 01:26:44 | URL | 空華どん [編集]
 「スキピオの夢」にお越し下さり、ありがとうございます。ディズニーの『ノートルダムの鐘』が素敵な作品だったとおっしゃっています。もちろんその通りと思います。
 僕は昨年授業で、フランスのミュージカル『ノートル=ダム・ド・パリ』を教材に使い、学生たちに見せました。この作品も原作と比べると、ミュージカルですから当たり前ですが、かなり端折られております。が、最後に書いてもらった感想では、感動した学生がたくさんいました。
 この作品での「フェビュス(フィーバス)」は、二人の女性、婚約者のフルール・ド・リスとエスメラルダのあいだで、苦悩しますから、原作よりはましな人間に描かれておりますが(原作ではジプシー娘の名前すら覚えていない)、ジプシー娘には、最終的に残酷な仕打ち(逮捕・死刑)をします。
 このようにディズニー版とは180度違うかもしれませんが(大元は原作に忠実)、多分これをご覧になったら、感動するでしょう。実際フランスはもとより、世界中(日本には来ませんでした)で評判になりました。
 つまり、フィーバス(美男)を原作通り、下司野郎に描いたとしても、十分感動を与える作品が可能だと言いたいのです。
 ディズニーでは、どうしてカジモドと結ばれるように作らなかったのでしょうか(題名を『ノートルダムの』としているだけに残念です)。あんなにも純粋に、情熱的にエスメラルダを愛していたのに・・・醜かったからですか? 身分が低かったからですか? ミュージカルでも原作でも、至高の愛はカジモドのものです。
 ご関心がおありなら、若桑女史の『お姫様とジェンダー――アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』をお読み下さい。二十歳前後の女子学生たちのディズニーに関するレポートが転載されています。彼女たちが、問題意識を持って、ディズニー作品を見始めたとき、どう見方が変化していくか、手にとるようにわかります。

 最後に、《白雪姫の継母は美女だった》。まさにおっしゃるとおりです。鏡は嘘を言いません。

「おきさきさま、おきさきさまこそ、お国いちばんのごきりょうよし」(『グリム童話』2 金田鬼一訳 / 岩波文庫・・・p.131)

 と、鏡は答えています。
 しかし、白雪姫(金田氏は「雪白姫」と訳しています)が七歳になりますと、美しさでお妃をしのぎ、妃は美女第2位に転落します。
 ですから、お妃の美しさはまさに原作通りなのです。
 『白雪姫』はグリム(19世紀、ユゴーのひと世代前)でしたが、『シンデレラ』はペロー(17世紀末)、『美女と野獣』はボーモン夫人(18世紀)の作です。彼らは、まさに古典主義的価値観(美=善)の作家たちでした。

 長々と失礼しました。最初のご質問に答えていませんでした。残念ですが、ディズニーの『ノートルダムの鐘』を見てはおりません。
2009-08-25 火 06:46:25 | URL | 石田明生 [編集]
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