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消えたトポス
8月22日(土)

 昨日の夕刊に、作家の池澤夏樹氏へのインタビューが掲載されていた。かねがね僕の考えていることが、氏によって具体的に裏付けされた感がある。それは、僕が以前ここに書いた「乾燥社会」のことだ。おそらくフランスも、ロートレックがはしご酒をしていた時代や藤田やモディリアーニがモンパルナスを徘徊していた時代から見れば、ずいぶんと乾いたかもしれない。なにしろ、スーパーというやつが20世紀後半、パリ中を席巻し出したからだ。それでも、フランスは日本よりましだと、僕は思っている。フランスから帰国した池澤氏の感想に少し耳を傾けてみよう。


 《成田空港に着いてエスカレーターに乗ると「黄色い枠の中にお立ち下さい」とアナウンスが流れる。初めて乗る人はいないはずなのに。街に出るとトラックが左折する時に自動音声が「左に曲がります。ご注意下さい」と大音量で延々と繰り返す。あれは無礼ですね。気をつけなければならないのは運転手の方。・・・(略)・・・日本は見知らぬ者同士の距離が他の国より遠いと思いますね。小売店がスーパーとコンビニばかりになったのは、みんなが他人との会話を嫌ったからですよ。
---フランスはどうですか。》

ここで池澤氏は、朝市で見たひとこまを紹介する。
《「今日は孫が来るからハム3枚ちょうだい」》と言って、孫の話をするおばあさん。後ろで行列して待っている人が「でも孫にお小遣いを巻き上げられるんでしょう」とからかう。それに「いいんだよ。お金はあるんだから」と笑顔で答えるおばあさん。

 池澤氏が言うように、確かに日本人は見知らぬ人との、つまり他人との会話を嫌っている。それは、僕自身も強く感じる。たとえば、食堂でのことだ。昼食時混んでいると、フランスでもレストランで時々相席になる時がある(皆さんはそんな安食堂に入ったことはありませんか)。そんなとき、必ずあいさつして席に着く。それどころか、相席になったのも何かの縁とばかり、たいていはおしゃべりになる。ときには、ワインを飲み比べたりしたこともある。こんな時の暖かさは何とも言えない。
 また、バスの車中でも、隣に席に着くとき、必ずと言っていいくらいあいさつする。
 どちらのケースでも、日本ではなるべく目を合わせないようにして、関係性を遮断している。驚くべきことに、僕自身が、僕自身の態度がフランスと日本で違うのだ。
 以前、乳母車のお母さんが電車に乗ろうとしているのに遭遇した。お母さんは、車両のドアーが開くと、子供を乳母車から抱き上げ、片手で乳母車を引っ張ろうとした。僕はあわてて、乳母車を抱え上げた。すると驚いたことに、そのお母さんは、かなり本気で「けっこうです」と言う。もちろん僕はそんなことは無視して、乳母車を車内に運んだ。がその後の、彼女の態度もやはり驚いた。僕のほうを絶対に見ないのだ。僕に視線を向けないまま、お礼めいたことをモグモグ言って遠ざかった。別にお礼を言われたくて、手伝ったわけではないのでどうでもいいのだが、関係性の遮断は明らかだった。
 これを見ていた同僚の女性が「困っている女性がいるとすかさず手伝う。フランス式ですね」と言って笑う。
 「あわてて手伝ったんです。フランスにいるともっと自然にできるのですけどね。不思議ですが、日本ではなんとなくやりずらい感じがして」
 ただし、フランスではこのようなケースの時に、手伝われた女性がべたべたお礼を言う、ということではない。むしろその反対だ。簡単に、見ようによっては素っ気ないほど簡単に「メルシー」を言うだけだ。違うのは、僕と目を合わせるということだ。フランスでは、子連れの母親や、大きな荷物を持った女性や、年寄りなど困った人がいたら、手伝うのは当然だ。おもしろいのは、手伝われる側もそう思っているように見えることだ。関係性の要諦は、互いに目を合わせる、ということではないだろうか。
 だから、昨日も行ったスーパーのような薬屋でも、入っていくと、店員は「いらっしゃいませー」と語尾を上げる独特の抑揚であいさつする。が、見ると顔をそむけている。そこには、あからさまな関係性の遮断がある。
 確かに、関係を持つことは億劫なことだ。負の関係が生まれる可能性もあるかもしれない。それでも関係性の遮断された世の中になった時の危険性から考えれば、ましなのではないだろうか。孤立し、ゲームやインターネットという仮想社会でのみ生きる人間が増え続けることの不安、池澤氏が紙面のインタビューで「トポス」の喪失と呼んでいるのは、このことだろう。先ほどのおばあさんの先を再び引用しよう。

《しゃべることは幸福感につながる。昔から隣人との仲は言葉で媒介されてきましたね。喧嘩や対立も含めた交流があった。日本人はいつからこんなに話し下手になったのかな。外に出る時は仮面をかぶり、見知らぬ人と話さない。コンビニの店員のマニュアルしゃべりは、ここにいる自分は本来の人格ではなく、職務上だけの仮の姿だとアピールしている》

 池澤氏はこのような関係性の遮断は、《祖先の記憶と土地との関係性、すなわち「トポス」》の喪失につながると警鐘を鳴らしている。
 今晩、近くの小学校で盆踊りがあった。これを立ち上げている役員の人たちは、このトポスなき土地に、トポス(潤沢な関係性のある土地))を作ろうと必死になっているのかもしれない。明日は子供会の主催する「御輿」担ぎが行なわれる。
 かつては、盆踊りの晩には、炭坑節やソーラン節など民謡が大音響で町中を圧していたが、今では騒音問題が発生するからだろうか、屋外に出ても音楽は聞こえない。町を神事が支配することなど到底不可能になったという証左だろう。祖先の霊不在の祭には、どうしても限界があるのかもしれない。第一に、一番参加して欲しい引きこもりの人やおたくの人・・・関係性を遮断している人たちは、絶対に参加しないだろう。
 トポスの構築はもうありえないことなのだろうか。それならば、人は関係性のない関係性をそれなりに「うまく」生きていかなければならないことになる。そんなことができるだろうか。
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雑感 | 07:07:32 | Trackback(1) | Comments(2)
コメント
同感です
こんにちは。
池澤夏樹さんの言うこと、スキピオさんのおっしゃること、私も実感します。

日本社会の中の見知らぬ人どうしの人間関係、とても奇妙です。それが日本社会を人々が知らないうちに空洞化させていくような気がしてなりません。なんかの犯罪者が、犯罪の道具を買うために、感じのいい店員がいるという理由でわざわざ遠くの店に買いに行った...という話を思い出しました。

なんとなく関係があるような気がして、フランスのスーパーの日曜日営業についての記事をトラックバックさせていただきました。
2009-08-23 日 22:41:06 | URL | 村野瀬玲奈 [編集]
おはようございます。

関係性の遮断、社会の空洞化、絶対的無関心・・・現代を表わすキーワードに背筋が寒くなります。
そのくせ、人は一方で「ぬくもり」や「愛情」を求めています。
村野瀬さんが、ご自身のブログでおっしゃっていますね。「フランスに日本のようなコンビニチェーンが展開したら、フランスもおしまい」と。
本当に、心配ですね。フランスでも「日曜営業」の声が聞こえだしましたから。まさに森林伐採し、社会が砂漠化していく過程を見るようです。マータイさんではありませんが、植林による社会の緑化とは何か、考えねばなりませんね。
2009-08-25 火 07:23:37 | URL | 石田明生 [編集]
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労働者も消費者。消費者も労働者。 (ブログ「PAGES D'ECRITURE」から)
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