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石田明生

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白い秋
 先日、妻の母親つまり義母をなくした。昨年の岳父に続いて連続となってしまった。
 彼女の癌が発見されたのは7月、しかも膵臓から肝臓、骨にまで転移していて、手の施しようがなかったらしい。それまで自覚症状はなかったようだ。腰や背中の痛みは、僕もそうだが、ある一定年齢に達するとあるのが当たり前で、その痛みとどうやって付き合っていくかが問題だけで、まさかそれが癌のせいだとは思いもよらないものだ。
 結局3ヶ月の闘病生活だった。7月の終わり頃、どうしても自宅に帰り、買いためたアクセサリーやバッグなど「私の宝物」を娘たちに手ずから分けたいと、主張し、自宅に帰った。そのとき義母は自分の癌が骨まで転移しているとも知らず、というか知らないからこそ、医者や看護士たちの反対を押し切って、頑固なまでに我を通した。それを子供たちは『多美子の乱』と称した。今となっては、そんな我がままこそ生きている証、『多美子の乱』が懐かしい。


 自宅での闘病生活は約ひと月、結局救急車で病院に帰ることになったが、その間、8月の末に81歳の誕生日を、自宅で祝えたのが、残されたものたちの慰めとなった。それからは、ほぼ寝たきりで、痛み止めの薬漬けになったまま、約ひと月後永眠した。
 話すことも目を開けることもままならないときでも、義母の好きなウインナーワルツを病室でかけると、拍子を取るように手を動かし、声を出した。子供たちはそれがうれしくて(それだけでもうれしくて)、いつも病室の母親の耳元でヨハン・シュトラウスのCDをかけ続けた。毎年我が家は、ニューイヤーコンサートを聴くが、きっと今度は、妻は母親を、息子は祖母を、僕は義母を病室の情景とともに思い出すに違いない。そしてそれは、毎年繰り返されることになるだろう。そうやって人は死者と別れ、死者と和むことができるのだ。
 僕の両親はだいぶ前に他界している。だから、僕たち夫婦の親はこの秋を最後に永遠にいなくなった。誰にでも巡りくることだが、僕たちは孤児となった。

      ちちははを弔いて経る白い秋(明生)

 それからは、翌日の納棺式を経て、通夜、葬場祭(神式による)、十日祭(同日に行われた)と約一週間が慌ただしく過ぎた。神道では没後人はその家の守り神となって(命の名をたまわり)、生者たちを見守り続けるそうだ。願わくば、人たちの安寧を守っていただきたい。

           *              *             *

 今まで、大学の秋学期開始の忙しさとも重なり、なかなかブログの更新ができなかった。これからは気分も新たにして、キーを叩きたい。
 これからもよろしくお願いします。
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その他 | 16:36:29 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
お悔やみ
スキピオさん、こんにちは。
私の記事にコメントいただいていた頃はお母様をなくされた直後だったのですね。謹んでおくやみを申し上げます。
天国のどこか、お母様のお気に入りの一角でお母様の好きだった人たちと楽しく集っていることをお祈りいたします。
2009-10-12 月 13:34:30 | URL | 村野瀬玲奈 [編集]
村野瀬玲奈様

ご厚情、ありがとうございます。
本当に、ルノーの歌ではないですが、あの世で、お気に入りの人たちと再会できるなら、悪くはないですね。母も、きっとどこかに居心地の良いところを見つけているでしょう。
2009-10-12 月 21:59:13 | URL | [編集]
御愁傷様でした
お義母様を亡くされた直後だったんですね。
ご冥福をお祈りします。

石田先生も心身ともにお疲れだと思います。秋学期ははじまったばかりですが、ゆっくり、ゆったり。お大事にしてください。
2009-10-14 水 23:32:20 | URL | カタヤマ [編集]
Re: お心遣いありがとう。
お心遣いありがとう。
なんとか学期の初期段階は突破できたようです。
これからもよろしくお願いします。
2009-10-17 土 17:25:43 | URL | 石田明生 [編集]
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