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石田明生

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ゆで卵閑話
 週に一度、ゆで卵を食べる・・・こんな書き方は唐突にすぎるだろうか。それならこう書き出そう。
 週に一度、伊東行きの踊り子号に乗る。東京駅朝七時二十四分発のこの列車は、車両こそ踊り子号だが、まことにうれしいことに普通乗車券で乗れる普通列車扱いの踊り子号だ。埼玉から京浜東北線に乗って約四十分、東京駅に到着し、東海道線ホームで待つ踊り子号に嬉々として乗り込む。発車七・八分前の車内は八割がた空席だ。好きな席を占めることができるので何度か席をかえてみたが、不思議なことに結局は最初に座った席にいつもすわってしまう。今では、あたかも自分の予約席のような気分でその席に向かう。だから、目指す席に先客がいると、理不尽きわまりないことに「あれっ」と思う。指定席でもなんでもないのだから、先客が僕のお気に入りの席に座っていても至極当然なことだ。それなのにそう思うのは、僕の内部のどこかに自己本位的な気持ちが潜んでいるからかもしれない。いけない、いけない、そう思いつつ、そんな時には後ろの席に腰を下ろす。いずれにしても、二人がけの席を一人で占めるのだから(少なくとも品川駅までは隣席に人は来ない)、この普通列車は贅沢きわまりない。
 席に着くと前席の背中に備え付けのパネルをおろしてテーブルを作る。それからおもむろにバッグから朝食用の袋を取り出して、テーブル上に置く。おむすびは二つ、ゆで卵は一つ、お茶を入れた小型のボトルが一つ、これが袋の中身だ。


 というわけで、週に一度ゆで卵を食べる。最初、おむすびを二つ食べてから、ゆで卵を食べた。次に、いきなりゆで卵から始めた。今は、最初におむすびを一つ、次にゆで卵、最後に残りのおむすびという具合に、サンドウィッチにしている。どの食べ方でも、ゆで卵はおいしいのだが、「いきなりゆで卵」は空腹で食べるところに難がある。がっつくわけではないが、つい、大口を開けてしまう。やはり、おむすびひとつ分がお腹におさまったあたりがちょうど良い。あせらずにゆっくりと、塩をつけながら、何度かに分けて、楕円の球体をほおばる。ほおばるたびに、つるりとした白身から現れる黄身の黄色の美しさに目を見張る。子供の時から慣れ親しんでいる、珍しくもなんともない食べ物が、車内の片隅で俄然光を放つ。そして味は・・・
 ゆで卵の味は、もちろんいつでもうまいのだが、やはりその時々によって微妙に異なる。高級な卵を使っていないのは確かだから、凡庸な卵にもそれぞれ多少の個性はあるということか。
 こうして列車の中でゆで卵を食べると、必ずと言ってよいほど浮かんでくる小説のいち場面がある。それは、フランスの小説家モーパッサンの出世作となった中編小説『ブール・ド・スュイフ(脂肪の塊)』のラストシーンだ。この小説は,僕の貧弱な読書歴の中で(そして脆弱な記憶力で思い出す限り)、ゆで卵を食べるシーンが登場する唯一の文学作品のような気がする。引用してみよう。

《するとコルニュデはオーバーコートのばかでかいふたつのポケットに両手を同時に突っ込んで、片方から四個のゆで卵を、もう片方からパンのかけらを取り出した。そうして殻を割って,足元の敷き藁に捨て,卵を丸ごとむしゃむしゃやり始めた。豊かな顎髭に黄身がぱらぱら落ちてひっかかり、星つぶのようだった》(『ミス・ハリエット』所収 ギー・ド・モーパッサン著・石田訳・・・パロル舍 p.206)

 卵の殻を割るこつこつという音も、殻がつるりとむけて敷き藁にカサカサと落ちる音も書かれていない,いないけれどもまるで聞こえてくるようだ。男の歯は残酷に白身と黄身を食いちぎる。すると固ゆでにされた黄身はねばりがなく,ぼろぼろしていて、口に入りきらずに落ちる。この、たちまちのうちに四個のゆで卵が咀嚼・嚥下される豪快な食べ方のなんとおいしそうなことか。髭にひっかかった《星つぶ》のような黄身がそのことを雄弁に物語る。
 かわいそうに,この様子を見ているブール・ド・スュイフはひとりひどい空腹に耐えているのだ。
 場所は四頭立ての大型馬車の中、十人の乗客がいる。貴族階級とブルジョワ階級の夫妻が三組、二人の尼僧、共和主義者で民主派を標榜するコルニュデ、まるまると太って豊満な体つきのためブール・ド・スュイフ(脂肪の塊)と呼ばれている娼婦、この十人だ。朝食もとらないまま、朝慌ただしく宿を発った彼女だけは昼食の用意をしてこなかった。
 狭い馬車内、ブルジョワ達のパテやらジビエやらチーズやらの豪華なランチが広げられ,尼僧がソーセージの輪切りを取り出すとニンニクのにおいがプンとする。そうして次に登場するのがコルニュデのゆで卵だ。だれもブール・ド・スュイフに食べ物を分けようとしない。彼女の目に悔し涙がにじみ出る。

《やがて大粒の涙が目から落ち、ゆっくりと頬を伝ってころがった。それから次々と間隔をせばめて、岩からしみだす水滴のように、女の突き出た胸の丸みのうえにぽたぽたとこぼれ落ちた》(p.207 前掲書)

 ブール・ド・スュイフは娼婦とはいえ誇り高い。ランチを分けてもらえないだけで,悔し涙を流しているのではない。そんなことではない。
 彼らはプロシャ軍に占領されたルーアンの町を嫌い,馬車でル・アーヴルに脱出しようとしているのだ。数日前に町を発った時には,皆は慌てていたので食料を持たず馬車に乗り込んだ。そのために、ひどい空腹に苦しめられる。そんな時にただひとり大量の食料を持参した娼婦のブール・ド・スュイフが、皆にごちそうを分けた。娼婦とは金輪際口をきくまいと思っていたブルジョワ連の妻達も、行いすました尼僧も空腹には勝てず,パテやらチーズやら手羽先やら娼婦の食料をむさぼり食ったのだ。そのために彼らは相手が娼婦といえども付き合わざるを得なくなった。
 途中の宿で、プロシャ軍から出発の許可が下りない。将校の気まぐれだろうか。解せないブルジョワ達に、ブール・ド・スュイフは事情を説明する。プロシャの将校は出発させる条件として,娼婦の体を要求していたのだ。愛国主義者のブール・ド・スュイフは憤然として,それを拒絶する。最初こそ彼女とともにプロシャ軍将校の非道ぶりに腹を立てていたブルジョワ達だったが,いよいよ出発できないことがわかると、怒りの矛先を哀れな娼婦に向けるようになる。《だって仕事なんでしょ,あの売女の,どんな男とでもあれするのが。あっちがよくてこっちが駄目なんて》(p.187)
 彼らはブール・ド・スュイフをその気にさせようとさまざまな策を弄する。最後は尼僧までもがブール・ド・スュイフに自己犠牲の徳を称揚し,使嗾する。
 お人好しの娼婦はついに皆のため、愛国の精神を犠牲にして敵のプロシャ将校に身を任せる。すると、その翌朝には出発の許可が出る。だから、気恥ずかしさとなさけなさで出立となったブール・ド・スュイフにとって、ランチの用意など考えも及ばないことだったのだ。
 皆のための犠牲は、軽蔑を新たにさせただけだった。お人好しの行為は侮蔑を生み出しただけだった。人の優位に立つものの残虐性が非凡な小説家によって余すところなく描かれる。
 それにしても思う。どうして,ブルジョワ達と一線を画する民主派のコルニュデは四つの卵のひとつを哀れな娼婦に分けてやらなかったのだろうか。彼は,作戦の成功を祝っていたブルジョワ夫妻達に強烈な非難の言葉を浴びせたではないか。《あんたがたは今の今卑劣なことをやりやがったんだ!》(p.200)と。
 東海道線の、普通列車扱いの踊り子号の車内で、ゆで卵をほおばるたびに思う。どうして作者モーパッサンは民主派を標榜するコルニュデに「やさしさ」を与えなかったのか。それとも、狭い馬車の中で,ブルジョワ達が嫌がる革命家「ラ・マルセイエーズ」を延々と歌い続けることが、この共和主義者の娼婦に対する精一杯の思いだったのか (「ラ・マルセイエーズ」が国歌になったのは1879年で、この小説の時代設定となる1870年には単なる民衆歌だった)。
 小説は次のフレーズで終わる。

《ブール・ド・スュイフはいつまでも泣いていた。ときおりおさえきれなくなったすすり泣きが、曲のあいまをぬって暗闇の中に漏れ聞こえた》(p.209)

 漱石の小説にゆで卵は出るだろうか。鴎外や荷風の作品には? 残念ながら記憶がない。青春時代の読書なんてそんなものだ。たとえ、ゆで卵という単語があったとしても、 素通りしてしまうのだろう。
 だが,今は違う。食の一度一度が大切な儀式となった年齢にいよいよ自分がいるのだと思うと、ゆで卵ひとつあだやおろそかにすることはできない。それがたとえ虚構の中であったとしても。
 週に一度、ゆで卵を食べる。このささやかな楽しみ・・・
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文学雑感 | 09:09:44 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
幸せなゆで卵
こんにちは。
いつも楽しく読ませて頂いています。
踊り子号に乗られた時の様子が、とても楽しそうで、おもしろかったです。
また、ゆで卵をほうばる時、
  あせらずにゆっくりと、
  黄身の黄色の美しさに目を見張って
食べてもらえるゆで卵は、幸せだなあ とも思いました。
ゆで卵にしてみれば、コルニュデのように(いくら豪快でも)
丸ごと むしゃむしゃと食べられたら、がっかりしたのでは・・・と思います。
彼にやさしさが もう少しあれば、「うん、うまい」と言って、ひと口でなく、きっと、ふた口で
食べたでしょうし、ブール・ド・スュイフにねぎらいの言葉と共に、
ゆで卵をひとつ分けてくれたかもしれませんね。
昔からずっと、卵は「うまい」ですね。
遅くなりましたが、先日は、お誕生日おめでとうございます。
2009-11-08 日 12:49:00 | URL | オリーブの木 [編集]
Re: ありがとう。
オリーブの木さん

ありがとゔざいます。
はい、誕生日がきて、また一つ年をとってしまいました。
一年一年、一日一日おいしく食べて、楽しく飲まなければと、ますます思うこのごろです。
行きつけのお医者さんに、中性脂肪の摂り過ぎを注意されていますので、大好きな卵は一日一個としています。だからこそ、その一度の卵をどう食べるかが毎日の関心ごとになるのです。
でも、卵と中性脂肪、あまり関係ないですかね。なければいいのですが・・・
2009-11-08 日 19:48:55 | URL | 石田明生 [編集]
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