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鷲ノ巣村ロックブリュヌ探訪・・・ル・コルビュジエの墓
3月11日(木) ロックブリュヌ・カップ・マルタンへの遠足

 極東からはるばるやって来た旅人の願いを聞き入れてくれたのか、今日は前日と打って変わり、完璧な晴天となった。かねてより計画していたマントン郊外のロックブリュヌ・カップ・マルタン Roquebrune-Cap-Martin への遠足が実現する。

バス停からの眺め
晴れ渡った空(バスターミナルからの眺め)
拡大しないと見えませんが,カモメがきれいです。

 こうなったら、少しでも早く村の見学をし、戻って来てマントンの町も堪能したい。
 朝食が7時からと言うことなので、はやる気持ちから7時過ぎにはテーブルに着く。たっぷりの朝食をしっかりいただいて、ホテルを出る。ちなみにこの Quality Hotel Menton méditerranée は、国鉄の駅とバスターミナルそれぞれと旧市街のちょうど真ん中あたりに位置する便利なホテルだ。三ツ星ホテルだが、値段はツインの部屋(朝食付き)で79ユーロだから二つ星ホテル並みだ。今回の旅行では一泊70ユーロ(二人分)以下を目安にホテルをとったが、このホテルだけ三ツ星だったせいかバスタブ付きだった。ほかはすべて、シャワーが付いているだけの狭い部屋だったが、それは当たり前か。


 晴れていても朝の空気はぴりっと冷たい。バスターミナルまで徒歩で約5・6分、8時過ぎに着いた。すると、ちょうど通学時間帯だったために、中学生や高校生が大挙してやってきてニース行きのバスに乗る。マントンにはリセがないので、彼らはニースまで通学するのだろうかと思ったが、あとで間違いだとわかった。そもそもニースまで1時間半以上かかるのだから、授業時間に間に合う訳がない。ロックブリュヌ行きのバスも途中までニース行きと同じ路線を行くので、彼らのであろうリセを見ることができた(マントンの人口は3万人弱だから、リセはひとつか二つしかない筈だ)。

リセアン達
バスに乗り込むリセアン達

 と,こう書くと、それならなぜ中・高校生は我らのバスにも乗らないのか疑問に思う向きもあるかもしれない。理由は単純明快だ。我らのバスは、バンをちょっと膨らました程度のかわいいバスで、到底通学に耐えられそうにない。

petit bus

 そのプチバスを女性運転手が運転する。乗客は我々を除いてひとりだけだったが、そのひとりがバス停ごとにふたりになったり、ひとりになったり、要するにタクシー並みだったと言うことだ。運賃は1ユーロだったが、あとでわかったが、この辺りはどこでも一律1ユーロなのだ。1時間半もかかるニースまでも1ユーロでビックリした。こういうことは日本では難しい、というよりは無理か。車に乗らない僕にとってはうれしいことだが・・・
 他の村にも寄るので、ロックブリュヌ村まで約40分ほどかかる。多分車で直接行ったら、10から15分くらいで着くだろう。
 プチバスは引力に逆らって、ぐんぐん坂道を上る。ぐんぐん空が近くなり,青くなり,二人の乗客は心弾ませる。すると、
「着きましたよ」
 運転手が声をかけてくれた。もうひとりの乗客のおばさんがニコニコしながらしきりと頷いている。

Roquebrune 全容
バス停から見たロックブリュヌの城と村
かすかに、城の上方にハンググライダーが見える。

 我々が降り立ったところは、ロックブリュヌ村の入り口のバス停だった。この村の頂上に中世の古い城塞がある。
 古びた坂道を少し上ると、たちまち城塞の入り口に着いたが,10時にならないと入場できない。まだ,9時過ぎだから、周りの村を散歩してから、また戻ってくることにする。

城塞
城の背景に見える町がモナコ

 城塞の下の岸壁にへばりついたようなこの村が、この村の通りがなんてすてきなのだろう。両手を広げて歩くと両側の壁に届きそうな狭い通りは石の家の壁を穿ち、自然の岩を穿ち、まるで迷路のように巡り巡っている。もちろん車など通らない。

モンコレ通り
モンコレ通り
村の通り
岩肌にへばりついたこの村には迷路のように通りがある。

食料品店
車がこられるのはこの広場まで。この車は食料品店だ。

ほてる・れすとらん
この広場にホテルとレストランがあるだけ。

 この美しい村は、あの有名な建築家コルビュジエに愛されたことでも有名だ。彼は,毎年夏を過ごすために、この村の下方に位置する岬につつましい山小屋をみずから設計して作った。村人達と世界的建築家はとてもうまくいったのだろう。彼はついに,死後までもこの村に住み続け,岬と海と村と同一化することを決めたのだ。
 我々は,教会を右に見て、まっすぐ村の墓地に向かう。彼みずから設計した墓に参るためだ。上り坂を歩くこと10分、やっと目指す墓地の壁が見えた。
 墓地に入っても地図なしで彼の墓を見いだせるか心もとなかったが,奥へ奥へと階段状の墓地を登って、比較的高いところで目指す墓地を見つけた。写真で見知っていたおかげだ。

海と墓
墓地は海を見下ろす。拡大しないと見にくいが,コルビュジエの墓が中央にある。

コルビュジエの墓
コルビュジエの墓

 地中海を思わせる青、夕焼けの赤、壁のような白、ミモザのような黄、その色たちが小さな四角の石に混じることなく塗られていた。右側には先に物故した妻イヴォンヌの丸い円柱型の墓が並んでいる。今は3月だが、真夏ならばぎらぎらとした南仏の太陽に熱せられることだろう。
 墓参りから、村に戻るとちょうどいい時間なので,城塞に行く。

ミモザと城
ミモザが満開だった。

 城は10世紀末、サラセンの支配を防ぐために、ヴァンティミル伯コンラッド1世によって建てられた。その後,代々モナコ大公のグリマルディ家の所有となっていた。もとより,マントンとこのロックブリュヌはずっとモナコの一部だったが,19世紀イタリア統一のおり,グリマルディ家存続のために、フランスに譲られたのだ。
 廃墟となった城だが,それでも衛兵の間や食堂、武器庫や牢獄など見学者にわかりやすく人形(ひとがた)が置かれていた。

牢獄
城の牢獄


 そして、城塞から見るモナコの町と海,マルタン岬とマントンの町,あまりの美しさに感動すら覚える。戦と威嚇のために作られたこの無骨な城が,人工の美と自然の美両方を提供してくれるとは。また、いくつもいくつも,飛来して来るハンググライダーまで、その鮮やかな色彩で、美にひと味きかせているのも一興だ。

マルタン岬
マルタン岬

モナコ
モナコ公国

ハンググライダー


 帰りも同じプチバスに乗って,マントンの海辺で降りる。午後はマントンの町を見学する。
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フランス旅行記(2010年春) | 14:22:49 | Trackback(0) | Comments(0)
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