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石田明生

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聖母被昇天の日、モンパルナスの墓地を歩く
墓地にもそれぞれの顔があるから不思議だ。
モンパルナスの墓地はフラットで、樹木が少なく、光が多いせいだろうか。
あるいは、ブランクーシの傑作『接吻』を最初に目にしたからだろうか。
この墓地は他の墓地と異なり、訪れる者をほのぼのとした気持ちにさせてくれる。
聖母被昇天の日(8月15日)、モンパルナスの墓地を歩く。

1接吻.jpg

《ブランクーシ作『接吻』》

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『接吻』拡大[注:この『接吻』は墓ではありません]



 ルーマニア出身のコンスタンタン・ブランクーシ(1876~1957)は1910年にパリにやって来る。ロダンの影響を受けるも、彼の助手の仕事を断り、独自の道を歩む。それは、キュービスム(ピカソやレジェと親しく交わる)と、アフリカ・オセアニア芸術への接近であった。20世紀の人間が忘れかけていた、人の根底にある素朴な愛や美を彼は喚起する。
 彼もこの墓地に眠っているが、残念ながら彼の墓を写真に撮り忘れてしまった。
 この彫刻は墓地の入口にあるわけではないが、『接吻』を見たいので、つい入口とは別の区画から墓地に入ってしまう。
 モンパルナスの墓地はこの『接吻』のある台形の形をした小部分と、ほぼ正方形をした主要部分とに分かれている。
 台形の方にはピエール・ルイスとモーパッサンの墓があるはずなのだが、ついに見つからなかった。実は台形の方から入ったのが間違いだったのだ。正門から入れば墓の地図がもらえたからだ。モーパッサンの墓には一度行ったことがあるので、高を括ってしまった。残念なことをした。では地図をもらってから戻ればよかったのに、と言われそうだが、広い正方形の墓地を見学した後では体力がとてもとても追い付かなかった。またの機会にする。
 この台形の方に彫刻家バルトルディの墓があった。

《F.A.バルトルディの墓》

3.JPG


 彫刻家バルトルディ(1834~1904)の名を不滅にしたのはなんといっても、ニュー・ヨークにある『自由の女神像』だ。
 フランスの歴史家ラプレーは「自由・平等・友愛」という国家理念の価値観を同じくするフランス・アメリカ両国の団結の象徴をアメリカ独立百周年の記念に建設することを提案し、フランス国民から寄付を募った。自由の女神像がフランス国によるのではなく、〈国民の寄付〉ということが大事なのだ。あくまでフランス民衆の自発的好意によって、アメリカの象徴は作られ、アメリカ人の誇りとなったのだ。
 女神像(フランスでは通称マリアンヌの名で親しまれている)は彫刻バルトルディ、内部の鉄の枠組みエッフェル(エッフェル塔の)によって、1886年に完成する(詳しくは僕のブログ旅行記『アール・ゼ・メチエ』を参照して下さい)。

 「エミール・リシャール通り」を横切ると広大な正方形の墓地になる。
[注:これから次々と墓を紹介しますが、見学順ではありません。むしろ故人の職業のジャンルを意識しました]


《詩人ボードレールと義父オーピックの墓》

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 愛する母親が再婚したのはシャルルが7歳の時であった。それ以来、彼は義父(陸軍少佐)を憎み、ブルジョワ的(俗物的)生活を嫌い、孤独、孤高の人となる。
 没してなお、義父とともにあるのは、詩人の苦しみ以外の何ものでもないと後世の人は思ったのだろうか。
 現在、彼の記念碑は別にある。

《シャルル・ボードレールの墓碑》

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 遺骸こそおさめられていないが、詩人はふさわしい場所に落ち着きを取り戻したことだろう。
 ボードレール(1821~67)は1857年に彼の詩の集大成とも言うべき『悪の華』を発表するも、当局から「風俗紊乱」の嫌疑で告発され、6編の詩の削除と罰金を言い渡される。
 第二帝政はブルジョワ(産業資本)社会成立期だったため、とりわけ安全性と健全性を追求したのだ。だから同じ年に発表されたフロベールの小説『ボヴァリー夫人』も同様に告発された。
 権力が両作品にブルジョワ社会における同種の「毒」を見い出したのは(皮肉も含めて)慧眼と言うべきかも知れない。

《作家サント=ブーヴの墓》

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 ヴィクトール・ユゴーの友人だったサント=ブーヴ(1804~76)は、多忙で家庭を顧みない友人の妻アデールと恋に落ちる。もちろんそのためだけで彼が文学史に名を留めているわけではない。優れた小説家・評論家であった。とりわけ『月曜談叢』は現在も読まれる。


《ダダイスムの詩人トリスタン・ツァラの墓》

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 ルーマニア生まれのツァラ(1896~1963)は第一次世界大戦を逃れた前衛的な芸術家たちとともにスイスのチューリッヒで〈ダダイスム〉を立ち上げ(1916)、凱旋将軍のようにパリに入城したとか・・・
 あらゆる権威、既成概念、宗教的・哲学的道徳、全てを破壊しようというダダイスムの運動はやがて、ブルトン等を経てシュールレアリスムへと昇華していく。


《彫刻家フランソワ・リュードの墓》

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 ディジョン生まれの偉大な彫刻家リュード(1784~1855)の傑作はなんと言っても、エトワール広場にある凱旋門の右を飾る『義勇兵たちの出発(別名『ラ・マルセイエーズ』)』だ(1835~36)。あの躍動感溢れる巨大な彫刻こそ、おそらくはナポレオンの意に反して、凱旋門に最もふさわしい。
 他にオプセルヴァトワール通りにある『ネー元帥像』も有名だ。


《画家フランソワ・ジェラールの墓》

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 新古典派の画家ジェラール(1770~1837)の最高傑作はマレー地区の「カルナヴァレ美術館」にあります。どうか訪れて下さい(入場無料)。
 それは『レカミエ夫人の肖像』です。


《ジェラール作『レカミエ夫人の肖像』》

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 これこそカルナヴァレ美術館所蔵の逸品。
 夫婦関係をともなわない〈白い結婚〉をしたとされているレカミエ夫人、彼女はその美貌と知性でナポレオン時代にサロンの女王となった。


《彫刻家アントワーヌ・ブールデルの墓》

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 この墓には名前も生年月日も何も書かれていない。シンプルすぎて不思議だ。
 ブールデル(1861~1929)は傑作『弓を射るヘラクレス』が上野の西洋美術館の前庭にもあるので、日本人にも馴染みの彫刻家だ。

《ブールデル美術館の展示室『弓を射るヘラクレス』》

ブールデル.JPG


 モンパルナス駅近くにある「ブールデル美術館」は彼の元住居兼アトリエだったこともあり、彫刻家の息吹も感じられるし、作品数の多さにも見事さにも圧倒される。しかも〈無料〉だ。
 ぜひ、足をお運び下さい。


《彫刻家オシップ・ザッキンの墓》

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 ロシア生まれの彫刻家ザッキン ZADKINE (1890~1967)の墓もとてもシンプルだ。
 彼の美術館も元の住居に作られていて、静かで不思議な空間をかもしだしている。リュクサンブール庭園南のアサス通りにある。無料なのもうれしい。

《ザッキン作「ゴッホ像」》

ゴッホ.JPG


 ザッキンの作品もパリのあちこちにあるが、ここでは、ゴッホの終焉の地オーヴェール・シュル・オワーズにある「ゴッホ像」を紹介する。


《サルトル・ボーヴォワールの墓》

サルトル.JPG


 実存主義哲学を提唱した作家・哲学者ジャン=ポール・サルトル(1905~80)は戦中戦後を通して、フランスはもちろん我が国においても思想家としての英雄であった。
 「もし二つの立場があるなら、私は弱いほうに立つ」と常に言い、実践して来た行動的な作家だった。
 そのパートナー兼同志のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~86)も女性の地位向上のために、どれだけ戦い続けたか。「女は女に生まれるのではない。女にされるのだ」こんなふうに言ってたと思う。
 結婚という古い結びつきを嫌った二人はパートナー=同志のまま、墓石の下で永遠に同床同夢を生き続けるだろう。世界の平和のために。


《作家マルグリット・デュラス(1914~96)の墓》

デュラス.JPG


 あなたはあなたの作品で、のうのうと過ごしているフランス人に(あるいは日本人に)びくっとするような感動と衝撃を与えてくれました。
 日常性の亀裂を描いた『モデラート・カンタービレ』にも、思春期のフランス娘が抱いた中国人への恋情を吐露した『愛人(ラマン)』にも、ナチスの軍人を愛した故に裏切り者とされて苦しみ抜いた女と日本人男性とのヒロシマを舞台にしたうたかたの恋、映画『ヒロシマ・モナムール(広島、我が愛)』(邦題『二十四時間の情事』)にも、本当に感動し、驚きました。マルグリット・デュラス、ありがとう。
 ハートの中の手紙にこの〈感謝の念〉を加えたい。


《墓を見学する観光客》

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 これほどの見学者を集める墓はパリ広しと言えどあの男の墓しかない。
 生前も没後も人を騒がせ続けるその男の名前はセルジュ・ゲンスブール。

《セルジュ・ゲンスブールの墓》

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 日本でも『夢見るシャンソン人形』(フランス・ギャル歌)『アクワボニスト(無造作紳士)』(ジェーン・バーキン歌)『さよならを教えて』(フランソワーズ・アルディ歌)などがヒットした、作詞・作曲家兼歌手のゲンスブールはカリスマ的な引力で今も人を魅了し続けている。
 とりわけ初期の代表作『リラの門の切符切り』は、一度聞いたら忘れ難いメロディーと歌詞だ。
 地下鉄の「ポルト・デ・リラ(リラの門)」駅で、毎日毎日切符に穴を開け続ける若者の憤懣が「穴、穴、穴・・・」という執拗なリフレインによって耳にこびりつく。
 そのためだろうか、彼の墓にはファンたちが置いていった切符でいっぱいだ。
 女優ジェーン・バーキンとの間にできた一粒種、目の中に入れても痛くないほどかわいがっていたシャルロットは今では存在感のある立派な女優だ。


《アンリ・ラングロワの墓》

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 エッフェル塔の対岸のシャイヨー宮殿の中に「アンリ・ラングロワ記念映画博物館」がある。
 そう、彼はフランス映画の屋台骨を支えてきた映画人だ。彼がいなければ「ヌーヴェル・ヴァーグ」もなかったかも知れない。
 墓石にはフランス映画のみならずハリウッド映画のカットまで写真のまま埋め込まれている。彼の映画好きが遺憾なく発揮された墓だ。

*          *           *


 まだまだたくさんの作家、音楽家、画家たちがこの墓地に眠っています。もちろん一度で掲載しきれるものではありません。モーパッサンやサンサーンス、ドレフュス大尉などは次の機会に譲りましょう。あるいは他のどなたかがして下さるかも知れません。
 
 最後にモンパルナス墓地で眠る人たちに合掌します。お騒がせして申し訳ありません。お節介かも知れませんが、どうしてもあなた方の功績を伝えたかったのです。どうかやすらかでありますように。
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墓地探訪(パリ) | 16:14:57 | Trackback(0) | Comments(0)
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