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石田明生

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南フランスの町マントン(2)
 作家ギー・ド・モーパッサンは、1883年に『女の一生 Une vie』、85年に『ベラミ Bel-ami』を発表し、短編作家のみならず長編小説家としての地歩も築き、押しも押されもせぬ大作家となった。が、眼疾と梅毒に犯された彼の晩年・・・といってもまだ38歳くらいのことだ。というのも41歳で発狂し43歳で他界したから・・・は、孤独とペシミスムの色合いを濃くしていった。そんな生活の中で、愛用のヨット「ベラミ号」で地中海を漫遊するのは彼にとって最大の快楽だった。

Plage du Casino
マントンの浜辺 Plage du Casino
この浜辺に注ぐ川がひとつあり、暗渠から出て来るが、その水は清水のようにきれいだった。


Plage du Casino 2
Plage du Casino
防波堤は日本のようにテトラポッドではなく、自然の岩石が使われていた。



コクトー美術館1
モーパッサンの頃はまだ城塞だったろうか。
現在は「コクトー美術館」となっている。


コクトー美術館2
城塞は近づくにつれ、その偉容を誇る。
海の青とのコントラストが美しかった。


コクトー美術館1
コクトー美術館の入り口


 紀行文『水の上 Sur l’eau』(1888年)はそこから生まれる。
 ベラミ号が停泊したカンヌの町は、今のような華やかな避寒地ではない。いや、避寒地ではあるが、華やかではない。「死」の町なのだ。ここを散歩する若い女も男も《しきりにせきをして、息を弾ませている。・・・絶望的な、いじわるい目で道行く人々を見送っている。
 この人たちは病んでいる。この人たちは死んでいく。それというのも、このうるわしい温暖な国は、世界の病院であり、貴族ヨーロッパの花の墓地でもあるからである。》(『水の上』青柳瑞穂訳pp.905-6・・・モーパッサン全集1)

 明るい太陽と風光明媚を我がものとしても、文豪の思うことは暗い運命、「死」のことだ。カンヌについてのこの感想のあと、彼の筆はマントンに及ぶ。

《それにつけても思い出されるのは、これら避寒地の中でも、とりわけ温暖で、健康に適しているマントンの町である。尚武の都市には、周辺の丘陵に城塞の高くそびえているのが見えるのと同じに、この瀕死者たちの浜辺からは、小山の頂に墓場が認められる。・・・
 そして、ここに眠っているのは、十六歳、十八歳、二十歳の若い人たちばかりである。》(『水の上』p.906)

 マントンの旧市街は丘の中腹にへばりつくように築かれた。その町の中には、抜け道が迷路さながら穿たれたように作られていて、僕たち旅人の好奇心を刺激する。とにかくてっぺんの墓地まで行ければいいのだからと、当てずっぽうで足を引きずりながら階段を踏みしめる。途中空が開けた地点で、下を見ると、旧港と海は固唾をのむほど美しい。

Traverse des Diamands
Traverse des Diamands ダイヤモンドの抜け道

vue de la rue du Vieux Château
Rue du Vieux Château からの眺め


 疲労困憊の体のまま、頂上の墓地にたどり着いて、その風景を見たとき、不思議な違和感に襲われる。墓のひとつひとつがあまりにも豪華で贅沢で華美なのだ。マントンの町は昔なら一万人にも満たない、貧しいとまではいかないまでも、決して豊かで繁栄を誇るなどとは縁のない町だった筈だ。それなのにこの墓、まるで王侯貴族の墓のようだ。

墓1
マントンの旧港を見ながら少女はなを祈っているのだろう。

墓2
竪琴の音は死者だけに聞こえるのか。

墓3
ロシアの王侯の子弟の墓か。


 こうして、先ほどのモーパッサンの紀行文が思い出されたのだ。この贅沢な美しい墓は、まさに王侯貴族に匹敵する人たちの子弟、若くして死んでいった愛する子供たちの墓だったのだろう。午前中に見たロックブリュヌの墓と比べてみるといい。
 マントンもカンヌ同様、避寒地として北国から貴族たちの病身の、とりわけ結核の子弟たちがやって来て、滞在していたのだろう。そして、生まれ故郷から遠いこの地で短い生を終え、豪華な死の住処を与えられたのだろう。

教会
左手がサン・ミシェル教会、正面は「白色苦行会礼拝堂」少し下に「黒色」もある。

教会
サン・ミシェル教会内


 墓地を下ると、町のシンボル「サン・ミシェル教会」にたどり着く。この教会から先は、にぎやかな新市街だ。土産物屋が軒を連ねるサン・ミシェル通りは、モーパッサンの頃はどんな様子だったのだろう。今では死のイメージは完全に払拭され、ひたすら生の歓喜でにぎわっている。

rue St. Michel
サン・ミシェル通り

rue St. Michel 店
サン・ミシェル通りの店 Eau de Menton
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フランス旅行記(2010年春) | 11:07:18 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
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2011-02-14 月 17:26:17 | | [編集]
Re: 【トリップアドバイザー】ブログ記事を紹介させてください
倉根様

はじめまして。
書きなぐったような、僕の記事が旅行者の方々に役立つとしたら、僕もうれしい限りです。どうぞ、ご利用なさってください。

石田
2011-02-14 月 21:01:21 | URL | 石田明生 [編集]
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