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石田明生

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歩道橋の愚
 先日、さいたま市の県道を走ってビックリした(驚嘆した、と言いたいほどだ)。
 僕は車を所有していないので、乗せてもらっていたのだが、その開通したばかりの広々とした県道(と思う)は、午前八時台という通勤通学時間帯というのに車は空いていてスムースに流れ、両側に贅沢にとられた歩道には人の姿はほとんどなかった。まだ、知られていないに違いない。
 ビックリしたのは、何十メートルか何百メートルかごとにある信号機付きの交差点上にかかっている歩道橋だ。そのできたての歩道橋に所在地の地名とともになんと驚いたことに、橋の名まえが書いてあったのだ。
 「にじ色橋」
 「仲よし橋」
 こうなると次はどんな名まえか、俄然興味がわいて来る。
 「あおぞら橋」とあった。すごい!


 次の交差点上には
 「ふれあい橋」
 もちろん次の交差点・・・ずっと先に見える・・・の橋の名まえが気になる。が、残念ながら車は、僕の好奇心にはいっこうに配慮せず、無慈悲にも右折して、その新県道を離れてしまった。どんな名まえなのだろう。
 というよりも、あのきれいな名まえの歩道橋を誰が利用するのだろうという疑問が脳裏をふとよぎった。
 通り過ぎたばかりの四つの歩道橋は、名まえの意匠にもかかわらず、どこにでもある草色をして、階段は両側とも「くの字」がたをし、なんの変哲もない。「にじ色橋」といってもにじ色をしているわけではないし、「仲よし橋」に仲よしたちが描かれているわけでもない。まあ、それはいいだろう。それよりも・・・
 一度通り過ぎただけだが、その日歩道橋の上に人の姿はひとつもなかった。やはり真剣に考えなければならないだろう。この歩道橋を誰が利用するのかと。
 信号機が付き、自転車用の通路まで設けてある(注 : 自転車専用レーンと思ったのは間違いだった。今日[5/18]確認したところ、それはふつうの横断歩道だった。それならばなおさら)交差点に架かった歩道橋を一体誰が利用するというのだろう。もちろん、通学する小学生や中学生なら、元気よく階段を駆け上ったり駆け下りたりできるだろう。が、そんなことをするのはきっとそういう子供たちだけに限られるだろう。けれども、僕が見かけたとき、通学時間帯にもかかわらず(午前8時5分から10分頃)小・中学生がひとりもいなかった。近くに学校はないのかもしれない。とするならば、一体誰がこの立派な施設を利用するのだろう。
 年寄りや赤ん坊連れの母親、重たい荷物を持った人が使うことはほとんど不可能だ。歩道橋の高さは、単なる二階の高さを大きく凌ぐ。おそらく40段は上らなくてはならないだろう。下にフラットな横断歩道があるのに、誰がわざわざ階段を上るというのか。
 歩道橋をひとつ架けるのに、どのくらいの費用がかかるのか考えてしまう。請け負った業者は大喜びで仕事にかかったことだろう。当たり前だ。まさか、単に経済効果だけを狙って県が発注したわけではあるまい。
 我が家の近くの国道にかつてあった歩道橋は、下に横断歩道ができために撤去された。これが、時代の流れというものだ。歩道橋というものは、人を路上から排除して、車が安心して走れるようにする車優先社会の賜物なのだ。これからは、人がたとえ年寄りでも妊婦でも負担がかからず車道を横断することができ、その横断者たちの安全を確保しながら車が通る、歩行者や自転車優先の交差点作りを目指さなければならない。ちなみに、海外体験といったらフランスくらいなものだが、僕の見た限り、パリやその他のフランスの都市でこのような歩道橋を見たことはない。車と歩行者の関係で言えば、完全に歩行者が優先していることが見て取れる。

 ところで、歩道橋にどんな優しい名前をつけても、かわいい名前をつけても、その本質を変えることはできない。歩道橋の持つ弱者への「無配慮」と強者である車への「配慮」という構造は絶対に変わることはないのだから。
 僕はたいした納税者ではないが、それでもその歩道橋のために幾ばくかの金を払っているのかと思うと、腹立たしい気持ちになる。
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雑感 | 10:57:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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