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「暴力団関係者お断り」
7月15日(木)

 7月も中旬になり、やっと夏休みが見え始めて、少し元気になって来た。今までは疲労困憊で、まとまったことを書く気力さえなかった。寄る年波には勝てないものだ。

 ところで、最近の ??? は相撲の野球賭博事件に尽きるだろう。というのも、元貴闘力や琴光喜が、野球賭博にのめり込み、暴力団とのつながりさえ噂されているからだ。先週の日曜日、11日は参議院選挙の日だったが、大相撲名古屋場所の初日でもあった。ニュースは相撲会場となる愛知県体育館からレポートが次々と届いた。
 たとえばこんな具合だ。
 「はいっ、こちらは愛知県体育館前です。暴力団との関係をいっさい断ち切ろうとしている相撲関係者の人たちは、入り口に『暴力団関係者お断り』と書いて、厳しい態度を見せています」


 なるほど、大きな立派な字で『暴力団関係者お断り』と書いてある。
 ところが、ここで不思議に思った。はたして、暴力団の人はこの文句を見て入るのをやめるだろうか。恐れ入りましたと回れ右をしてすごすごと引き下がるだろうか。
 いや、そもそも暴力団の人は自分を暴力団関係者と呼んでいるのだろうか。暴力団という呼称は、あくまで集団を指すためにはよいが、個々の人物を指すのに適していないような気がする。たとえば、昔よく使われていた「やくざ」という呼称は、映画などを見ていてもやくざの人が自分を「俺はやくざもんだ」などと言っているから、違和感はない。かつての「極道」もそうだ。それどころか、自分を極道と言っているときにはなんとなく誇りすら感じられるからおかしい。
 そこで暴力団だが、「俺は暴力団だ」というよりも「俺はこっち系だ」といって、人差し指で頬をなでるほうが多い気がするがどうだろう。といっても、小生、暴力団関係者の人と直接知り合いはいないので、あくまで映画・テレビ等で見た知識でしか語ることはできないが・・・
  また、テレビ等で暴力団を「反社会的集団」と呼んでいるのも奇異な感じがした。彼らは、本当に「反」社会的な存在だろうか(「半社会的」のほうがいいような気がするが・・・)。清水の次郎長から現代のやくざまで、ずっと眺めていると、反社会的というよりも、社会に寄生した必要悪的な存在だったのではないだろうか。かつて、噂で聞いただけのことだが、山口組三代目の田岡という人は、「わしらの組がなくなったら、誰が世間の半端もん達を引き受けるというんや」と、開き直ったらしい。
 また、戦争中に軍部と結託して軍隊に娼婦を送り込んだのも、やくざだった(宮尾登美子の小説『陽暉楼(ようきろう』映画も)。そういう存在を決して反社会的と言うことはできない。
 昨今、警察も社会も、やくざを集合名詞の暴力団と呼び、「反社会的」と規定しているのは、本気で壊滅しようとしているからだろう。もしも、なくなるならばすばらしいことだ。もちろん期待したい。ただし、『暴力団お断り』の張り紙ぐらいでは、彼らがおいそれと引き下がるとは思えない。暴力団追放運動でもむずかしいだろう。というのは、暴力団つまりやくざは、山口組三代目が言うように、社会からはみ出したもの、はみ出さざるを得なかったものたちの受け皿だからだ。暴力団の壊滅とは、社会そのものが差別や貧困のない、はみ出しものや半端者の出現しない社会になり、互いに思いやりを持って接し合うあたたかい社会になることだからだ。そう、理想社会だ。
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雑感 | 13:56:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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