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石田明生

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甲子園球場のベンチに大人はいらない!!!
 今年の夏も、高校野球の熱戦が終わった。制したのは沖縄の港南高校という学校で、春夏連続優勝とのことだった。だから、多分この学校は今年一度も負けたことがないに違いない。
 翌日の朝刊(毎日新聞)の「ひと」の欄では、その優勝チームの控え捕手が取り上げられていた。一度も試合に出ることのなかった、ピッチャーの練習用の捕手だ。この「ひと」の欄では、優勝するとたいていその優勝監督が取り上げられることが多いのに、珍しいことだ。おそらく、春の優勝のときすでに取り上げられたのかもしれない。
 実は、今朝朝刊を手にしたとき真っ先に見たのはこの欄だった。しかも半ばうんざりした心持ちでだ。
 というのは、甲子園野球を見ていていつも感じるのは、試合中ベンチにいる監督の存在が鬱陶しいということだ。ほとんど中断のないサッカーやラグビーと違い、敵と味方が守りと攻撃に別れる野球というスポーツは試合の流れの中で、監督と選手が絶えず接触していられるスポーツだ。そのため試合運びに対する監督の影響が、他のスポーツと違ってきわめて大きい。攻撃のときのバッターへのアドバイス、ピンチヒッターの決定、打者へのサイン等についてはもちろん、守備のときでさえ、タイムの取り方、ピッチャーの投球、守備位置にいたるまで、監督が容喙しようと思えばすべてにわたる、つまり監督は試合の采配を完全に掌握しようと思えばできるのだ。


 だから、「ひと」の欄で、優勝監督が取り上げられると、まるで彼個人の手柄を賛美しているという感がどうしてもしてしまう(記事のなかではたいてい「監督」は子供達の努力とチームの和を強調するが・・・)。
 甲子園という華やかな舞台を通して、時には名将と呼ばれる監督や、個性豊かな名物監督が出現する。また時には解説者が思い切った作戦を指揮した監督を褒めそやしたり、活躍する選手を育てた監督の苦労に思いを馳せる。マスコミは、活躍した選手にスポットを当てているとはいえ、どうしても監督の方に焦点を合わせてしまう。たとえば勝利監督インタヴィユーがそのいい例だ。「僕はなにもしませんでした。生徒達が自主的にやってくれました。この勝利はベンチ入りできなかった生徒達も含めた全員の勝利です」といくらマイクに向かって言っても無駄だ。謙遜して言えば言うほど、選手を駒のように使って勝利した監督の手腕は光り輝く。本当に生徒にすべてを任せたと言いたいのなら、彼はベンチ入りすべきではなかったのだ。
 そこで言いたい。甲子園の野球も教育の一環だとするならば、試合中だけでも大人をベンチに入れない方がいいのではないか。自主性を重んじて高校生だけで試合を、サインも選手交代もタイムのタイミングも何もかも運ばせたらどうだろうか。そうすることで、彼ら高校生の今まで積み上げてきた教育の成果を、まさに花の舞台で全国の人が見ることができるではないか。勝利したときの手柄も、破れたときの責任も、みな生徒達が分ち持つ。そこに大人は入り込まない。
 テレビ画面に映るベンチの風景も、見苦しい大人がうつらないだけ、もっとはつらつとしたものになるだろう。
 高校野球のすべてから、大人の監督を試合中だけ追放することができるかどうかわからない。が、少なくとも、観客席とグラウンドが峻別された甲子園球場なら、学生だけのベンチ入りは可能だ。また、甲子園に来るような全国代表校ならば、大人を交えず、自主的に試合をしても、じゅうぶん観客に感動を与えることができるはずだ。
 甲子園の高校野球のベンチから、大人が消える日が来ることを!!! 願わずにはいられない。

追記 : さっそく、「監督のいない高校野球はつまらない」というご意見をいただいた。勘違いしないで欲しい、監督はいてもいいのだ、というよりいるべきなのだ。学生同士で、あるいはそれまでの大人の「監督」を交えて、甲子園大会用の監督を野球部員の中から選び、試合中はその仲間の監督(主将と読んでもいい)が独自であるいは誰かと相談していろいろ決定すればいい。
また、敗戦の責任等、「生徒だけでは抱えきれないのではないか」とのご意見もあった。ある選手がエラーをして負けたとき、その選手は「大人がいようといまいと」ひどく辛い思いをするのではないか。第一に、試合が終わればすぐに大人の監督が合流して、慰めてくれるではないか。
 また、その方の「監督がいなければおもしろくない」というご意見をうかがうと、なおさら甲子園の試合が大人の監督の闘いとなっている感が強くなる。地区予選までは大人の監督の指揮で闘って来たが、全国大会(甲子園)はその監督の薫陶の総仕上げとして、生徒だけで闘えないものか。そう思う。
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雑感 | 13:56:32 | Trackback(0) | Comments(0)
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