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ファーストレディーを「売春婦」呼ばわりとは!!!
 いくら右翼の小新聞(「ケイハン」紙)とはいえ、一国のファーストレディーを「売春婦」呼ばわりするとは、イランという国の頑迷さにはあきれかえるばかりだ。
 フランス大統領およびフランスは、この度イランで行われそうな姦通罪による石打ちの死刑に反対の狼煙を上げている。そんな中、元々いろいろと人道主義的な活動をしていたフランス大統領夫人カーラ・ブルーニは、その哀れなイラン女性に「フランスが付いている」とメッセージを送り、支援活動をしていたらしい。
 Yahoo France に次のようにあった。

「イタリアのこの売春婦の憤慨」と称して(カーラはイタリア生まれ)、『ケイハン』紙は、次のように書いて釘を刺している。
「カーラ・ブルーニの前歴を見れば、どうしてこの不道徳な女が、夫の死に関与し姦通罪のため死刑を宣告されたイランの女の肩を持つのかわかる。実際のところ、彼女自身が死刑に値するのだ」こんな具合だ・・・
Rejetant « l'indignation de cette prostituée italienne », Kayhan a enfoncé le clou en écrivant : « L'examen des antécédents de Carla Bruni montre clairement pourquoi cette femme immorale a soutenu une femme iranienne condamnée à mort pour adultère et pour avoir participé au meurtre de son mari, et en fait elle mérite elle-même la mort. » Voilà voilà voilà.

 ようするに、フランスのファーストレディーが、恋多き女で、未婚の母で、既婚男性と関係をし(つまり姦通し)、ヌード写真まで公開してきたのは、イランでいえば死刑になるはずだと主張しているのだ。元トップモデルも、心中穏やかではいられないだろう。イランの強固な原理主義者達は、かつて『悪魔の詩』の作者に死刑宣告し、実際命を狙ったことがあったからだ(彼らの仕業かどうかわからないが、日本では『悪魔の詩』の訳者五十嵐氏が殺害された)。


 救いなのは、イラン政府もこの新聞の記事に遺憾の意を表明していることだ。国家間の諍いにまでは発展しないだろう。
 それにしても、イラン(といくつかのイスラム国)はどうして石打ち刑による死刑を存続させているのだろう。
 石討ち刑は、新約聖書のヨハネによる福音書(8-1から)に登場する。ついでながらながめてみよう。

《・・・(ファリサイ派の人たちがイエスに言った)「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」・・・(略)・・・イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。》(新共同訳)

 ここでは、モーセの律法に背くことなく、イエスが石討ち刑を暗に否定するくだりが描かれている。つまり、イエスもきっぱりとこの残酷な刑を拒否することができない。こんなところにも、キリスト教がユダヤ教の環境内にいることが見て取れる。あの時代、モーセの律法は絶対的だった。その絶対的なモーセの律法を、一部の原理主義的なイスラム教徒は現在も墨守し続けている。
 絶命までに時間がかかる残酷な死刑の方法は幾多あるが、この石討ち刑は、他の処刑方法と異なり、哀れな死刑囚の前を通りかかる一般人ひとりひとりが己の存在をかけて石つぶてを投げて罰するところに特色がある。罰する人間そのものの存在が問われる(他の処刑は、社会の個々人から隔離され、死刑執行人という便利な存在によって肩代わりされるため、こちらに直接的に迫って来ない。死刑は、いわば抽象に過ぎなくなる)。
 だから、イエスは「罪を犯したことのない者が、まず」石を投げよと言ったのだ。そういう意味で、このとき石を投げることができたのはイエスひとりしかいなかったはずだ。いっさい罪を犯したことのない者とは、神の子であるイエス以外あり得ないからだ。もちろんイエスは石を投げない。
 人は年を経れば経るほど何らかの「罪」から免れることができなくなる。年長者から立ち去ったと書かれているのは、そのことをよく表している。そう、ひとは罪なくして人生を生きることはできない。だから、ひとはひとをどこかで許すことができるのだ。もしも、あらゆる犯罪に対して、死刑というものが「石打ち刑」しかないとしたなら、とっくに死刑制度はなくなっていただろう。残念ながら,ひとは自己を傷めることなく死刑に加担する制度を長年築き上げて来た。
 先だって,死刑執行室が一般公開された。テレビで見る教誨室等部屋の数々の中で、処刑室の床に描かれた踏み板を示すあの赤い線は、ギロチンの刃のように圧倒的な切れ味を持ってこちらに迫って来た。
 死刑は抽象ではない。死刑制度を認めることは、僕たちひとりひとりも石を投げつけていることに変わりはない。
 最後に,カーラ・ブルーニさんにエールを送りたい。売春婦と呼ばれようが,死の恐怖にさらされようが,大統領夫人殿、どうか可哀想なイラン女性を石討ち刑から守り,世界から残酷な刑の消滅を目指して頑張ってください。日本にはどこを見回しても,あなたのように気骨のある皇室の女性も、大臣夫人も、女優・歌手もいません。
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雑感 | 18:19:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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