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石田明生

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1月3日はお参りのダブルヘッダー
調神社

 1月3日、正月気分を少々味わおうと、混雑するもものかは狛犬ならぬ兎が入り口に鎮座する風変わりな神社、調神社(通称「つきのみや神社」正式には「つき神社」と読む)に参拝した。迷信深い日本人、縁起の良い場所に蝟集する性癖を持つ。卯年の今年、兎を祀る神社に人が殺到するのも道理か。人づてに聞くと、1日は参拝するまで並ぶこと数時間に及んだとか。まさか、3日目なら、それほどのことはあるまいと、足を運んだ。何しろこの神社は、わが町にあって昔から親しんでいたし、何よりも息子のお宮参りをさせていただいた、我が家に深い関係がある。そうはいえ、正月の参拝は初めてだった。
 10時半頃バスを降りて、中山道を歩くとやがて人通りが多くなり、交通整理の係員の人たちによって道ばたに整列させられた。やはり、今日も参拝するのに並ばなくてはならないのだ。
 そうして、並ぶこと40分ほどすると、鳥居無き入り口に到達した。この神社は神社なら必ずある鳥居がないことでも、一風変わっている。

狛兎
狛犬ならぬ「狛兎」、愛玩するぬいぐるみと一緒に記念撮影をする参拝者



 神社名の「調」は、租庸調の調から来ていることからわかる通り、この地は古代の昔、調すなわち絹や綿の集積所となっていたらしい。同時に神社でもあったことから、その物資を運ぶのに鳥居が邪魔で取り払われ、今日に至るまで鳥居がないままになった。確かに、調特に綿はかさばるものだから、この話にある種のリアリティーを与えてくれる。おそらく神社が調の集積所を兼ねたことが珍しかったのかもしれない(調布は多分神社ではなかったはずだ)。
 ところで「調」は「つき」と読むことから、「月」を連想したのも当然の成り行きだろう。そして月は「兎」というわけだ。こうして、狛犬ならぬ「狛兎」が出現する。手水鉢では水を吐き出す龍の代わりに兎が取って替わる。いやいや、それだけではない、池の噴水も、境内にある稲荷神社の浮き彫りさえも、いたるところ兎・兎・兎。
 結局、並んで約1時間、やっと参拝することができた。

手水の兎          池の兎
ここでは、清めの水も、池の水もみんな兎さんからいただきます。


 午後は与野七福神を詣る予定。欲張るつもりはないけれど今日は参拝のダブルヘッダーというわけだ。
 与野は、まず埼京線の「与野本町駅」に降り立った。与野七福神巡りの正式なコースは北から南へと下ることになっていたが、我々(妻と二人)はまずは6番所の「鈴谷大堂」という寺に急いだ。というのは、与野七福神仮装パレードが今日(1月3日)11時半から北の一番所「氷川神社」を基点に始まり、最後の7番所に2時半頃到着するからだ。駅に着いた時、すでに1時半頃になっていた。6番所あたりで出会えるかもしれない。
 鈴谷大堂は毘沙門天を祀る寺だ。堂内の毘沙門天様を拝むと間もなく、七福神たちがやってきた。先回りの作戦は大成功だった。大勢のお年寄りたちが集まって、ひなたぼっこがてらその光景を幸せそうに眺めている。最高潮の平和な時だ。とはいっても、何ともいえない欠如感を抱いてしまうのは、僕が子供の頃なら必ず集まってきてわんぱくをしていた子供の姿がほとんどないためだ。こういう小都市の村的イベントは、スポーツやゲームに比べると、子供にとってなんの魅力もないのかもしれない。

お年寄りたち
甘酒をふるまわれ、ひなたぼっこするお年寄りたち

七福神到着
七福神到着


 勢揃いした七福神たちは、記念撮影が終えると、お守りを配り始めた。それぞれの神様を取り囲んで、善男善女たちが次々とお守りをもらう。かくいう僕も恵比寿様から、妻は布袋様からお守りをいただいた。ありがたいことだ。今年はなにか良いことがあるかもしれない。そんな気分にさせるほのぼのとした田舎の縁起物だ。

勢揃い
七福神勢揃い
左から大黒天、寿老人、毘沙門天、弁財天、福禄寿、恵比寿神、布袋尊

 七福神たちも僕たちも同時に鈴谷大堂をあとにして、彼らは7番所に、僕たちは第5番所、布袋尊のいる「円福寺」に向かった。円福寺と次の大黒天のいる円乗院は立派な寺だったが、福禄寿、恵比寿神、寿老人がいる(はずの)1番2番3番所は、驚くべきことにみな神社だった。本当に3神がいるのだろうか。2番所の一山(いっさん)神社と3番所の天祖神社には結局見当たらなかった。どこにいるかたずねたら、「ない」とのこと ? ? ? 偶像崇拝ばかりが信仰ではないとはいえ、このようなイベント的要素の強いお参りなのだから、どんなにちゃちな代物でも仏像はあるべきではないだろうか。

鈴谷毘沙門天   布袋尊   大黒   尊院弁財天
鈴谷大堂の毘沙門天     円福寺の布袋尊     円乗院の大黒天
弘法尊院の弁財天
まともな仏像はこの4寺のものだけだった。

 僕の勝手な結論は、この与野七福神では七福神の「七」にこだわるあまり、お寺で足りない分を神社まで動員して、数合わせをしたのだ、ということだ。もっとも「大黒天」など、元々七福神には神仏混合の要素はあるのだが・・・
 最後7番所の弘法尊院は、お寺ではあるが、本堂もなにもなかった。弁天様のためにあるようなお寺だったが、この所在地は「二度栗山」という。前々から不思議な地名だなと思っていたら、ここを通りかかった弘法大師が空腹に悩んでいると、近づいてきた子供に栗を恵んでもらいおおいに助かった。そこで感謝の印にその子に一年で二度実がなる栗の木を授けたという故事を知った。
 それにしても、限りなく大宮に近い1番所の氷川神社から限りなく浦和に近い二度栗山までよくもまあ歩いたものだ。飲まず食わず、休憩も取らず3時間半は歩いただろう。そのために、一生に二度とないほど、近くにあっていままでほとんど縁のなかった与野の町を堪能してしまった。本町通りという、いわゆる旧市街には昔の街道の痕跡が少し見えて、それはそれで楽しかった。とくに、「カンコー学生服」の看板にはほとんど感激してしまった。「いまでもあるのか ! ! !」

カンコー学生服       だんぜんカンコー
カンコー学生服の看板

 「カンコー」はこうしてカタカナで書くとわからないが、漢字で「菅公」と書くとわかりやすい。要するに、学生服は学問をするための服装だから、これはひとつ学問の神様にあやかろうというわけだ。カンコー学生服を身につけている中学・高校生は、自分が菅原道真をまとっていることをどれだけ意識しているだろうか。
 それにしても、旧与野の名残は少しずつ消えていく。だからといって新与野がすてきに変身できるか、というとひどく疑わしい。浦和も与野も、産業にせよ観光にせよもちろん農業・工業にせよ、町を特徴付け活気づける決定打が出せないままでいる。新与野の象徴としてそびえ立つ「芸術劇場」も何となく色あせて見えた。正月休みのせいだったというだけではあるまい。

生そばや      五目そば
昔ながらの生そば屋さん。今の若者たちはこの手の店に入ったことがないらしい。
生そば屋と言っても、うどんもラーメンもカレーライス(ライスカレー?)もある。
サンプルの五目そばも、おかめうどんも死語になりつつある。
写真では「五目」といっても五つ以上のトッピングがある。
ちなみに、この種の店特有のどんぶりもの「たまご丼」「親子丼」「他人丼」
「開花丼」・・・も、消えつつある、昭和とともに。

仁丹     古い商家    
仁丹の看板のある薬屋さん(ローマ字で書いてあるところが新しい)と
老舗らしいそば屋さん(手作り石鹸の看板がよい)

 こうして三が日が過ぎた。
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プロムナード | 10:30:35 | Trackback(0) | Comments(0)
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