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石田明生

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岸田美人姉妹
 昨日の夕刊を見ていたら、いつものように地震・避難・放射能関連の文字が踊っている紙面の左下に、慎ましやかに岸田衿子の死亡記事が載っていた。82歳だった。
 とここまで書いたが、時間がなくなったので続きは旅行から帰った後に。

 奈良旅行から帰って来ても、不幸な事件で新聞の紙面が彩られる。通学する小学生の列にクレーン車が突っ込んだのだ。 言葉を失う。

 そうは言っても、岸田衿子のことをちょっとだけ書いておこう。
 この詩人・童話作家は、岸田國男を父に持つ、大変な知的ハイレベルの家庭で育った。妹は先頃物故した女優の岸田今日子だった。僕の学生時代の先生は、酒席ででいつも、この知的なご家庭の話をなさったものだ。


 戦前・戦中のことだが、苦学生だった先生は、学生の頃に岸田家の家庭教師をして糊口をしのいでいたそうだ。当時の岸田國男といったら、フランス文学、演劇でまさに飛ぶ取り落とす勢いの文化人であった。文学座を創設したのもその頃だろうか。
 先生は、軽井沢の別荘で、年子だった衿子・今日子姉妹の勉強を見ていたらしい。衿子は1929年生まれだから、当時(1939から45年頃)姉妹は、10歳から15歳だったということか。先生の衿子評は、とにかくきれいだったということに尽きた。「抜けるような白い肌で、ぞくっとするほどきれいだった」と何度おっしゃっていたか。そして、今日子評は、とにかく賢かったということだった。「一を教えて十を知るとはこのことだった。ちょっと教えただけで、その先を読んでしまうんだから」
 作家になった姉を「きれい」と言い、女優になった妹を「賢い」と言う。先生は勘違いをなさっているのだろうか。お話を聞くたびに、そんな疑問が湧いたが、今でははっきりしている。結局、お二人とも才色兼備の美人姉妹だったのだ。
 一番年下の弟、森(しん)が先に逝き、次に妹の今日子、最後は姉の衿子が続いたことになる。必ずしも年の順とはいかないものだ。
 お三方の冥福を祈ります。
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雑感 | 05:18:48 | Trackback(0) | Comments(0)
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