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石田明生

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謹賀新年・・・エレーヌ・セガラ紹介
 過ぎ去った2006年について何ごとかを書こうとしているうちに、除夜の鐘が鳴り終わり、年が明けてしまいました。今さら終わった年についてあれこれ言っても仕方ないでしょう。それよりも、新年こそが肝腎です。生きて行く限り先を見なければなりませんから。

《なんとなく 今年は良いこと あるごとし 元日の朝 晴れて雲なし(啄木)》

 天気予報によると、元日の朝は初日の出が見える程に晴れると言うことです。啄木のような心持ちになれるかも知れません(もっともこの薄幸の詩人に良い年というものがあったのでしょうか)。

Segara.JPG




 今年最初に紹介する歌手は・・・元日だから特別というわけではありませんが・・・前にミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」の時に紹介したことのあるエレーヌ・セガラです。

 今日(12/31)は一日彼女の歌を聞きながら、モーパッサンの紀行文『放浪生活』を読み、どうしてこの作家は「エッフェル塔」を忌み嫌ったのだろうと考えていました。『放浪生活』はエッフェル塔の建設の翌年1890年の作品です。

《わたしはパリを去り、フランスをも去った。結局、エッフェル塔につくづくうんざりしたからだ。
 塔はどこからでも見えた。のみならず、このどこからどこまで無味乾燥な材料でできた塔は、あらゆるガラス窓を通して、さながら避け難い責め苦にも似た悪夢のように、われわれの目にはいってくるのであった》(木村庄三郎訳)

 という書き出しで有名な紀行文で、作家が40歳の時に書いたものです。この作品は43歳で他界することからすれば、最晩年に位置することになります(彼はこの後すぐに狂気の闇に入ります)。
 もちろんこの書き出しの後、彼は理由を明かしていますが、どうもすっきりしません。この塔が芸術的作品ではないという主張はそれはそれでいいのですが、それよりもむしろ、庶民階級もブルジョワ階級も引き寄せる塔、というよりその塔が持たせようとしている象徴的な意味合い、つまり万博そのものが気に入らなかったようですが・・・
 彼はこのように書いています。

《ガリレイやニュートンやパスカルの純粋で利害に無関係な学問すなわち理想的な諸概念は、今日では禁じられているように見える・・・(略)》
 しかしながら、思考の飛躍によって、リンゴが落ちたことから、世界を支配する偉大な法則を発見するにいたった人間の天才は、あのアメリカ人の発明家・・・電鈴や、蓄音機や、白熱電球の奇跡的な制作者・・・の、不屈な研究心よりも、さらに崇高な精神から生まれたものではないだろうか》

 モ-パッサンが嫌ったのは、塔そのものというよりも、万博が意味しているもの、つまり商業主義、産業主義ではないでしょうか。ここに登場するアメリカ人は(作家は名前すらあげようとしていませんが、後世においてこの発明王の伝記が一番読まれていることを知ったら腰を抜かすかも知れません)もちろんエジソンのことです。
 ところで、モーパッサンは多分知っていたと思うし、知っていたからこそ書いたのだと思いますが、エジソンとエッフェルは会うや否や意気投合し、堅い友情で結ばれたということです。これまたモーパッサンは知ったら腰を抜かすどころか、悶死するかも知れませんが、エッフェル塔は百年を過ぎても依然として立っているし、それどころかその最上階ではエッフェルとエジソンが蝋人形として永遠におしゃべりを続けています。

エッフェル像.JPG


エ.JPGジソン
エッフェル塔最上階のエッフェルの実験室にいる
エッフェルとエジソン

 実は最近、というかこの一年くらい「フリーメースン(メイソンまたはメーソン)」に関心を抱いています。そこでこの『放浪生活』を読みなおしてみたのです。なぜならエッフェルがメースン会員だったことを知ったので、そのことを念頭において読むなら同じ作品でも解読内容が違ってくるのではないか、と思ったからです。実際、以前とは違って読めました。ところでエジソンはフリーメースンの会員だったのでしょうか・・・
 と、こんなとりとめのないことを考えながら、エレ-ヌ・セガラを聞いていました。いや、その逆でした。エレーヌ・セガラを聞きながら、モ-パッサンの嫌ったもの:エッフェル塔、塔のまわりのにぎわい、万博、エジソン・・・もしエジソンがフリーメースンだったとしたらエッフェルとの意気投合はフリ-メ-スン特有の合図で会員であることを確かめ合ってからということになります。それならあの蝋人形の存在が理解できるような気がします・・・利害に無関係な学問と功利的な学問、それとフリ-メ-スンの関係は?・・・と、こんなふうにとりとめもなく考えていました。

*      *      *


《後記:どうもエジソンはフリ-メ-スンだったとは思えません。ですから、エッフェルとの意気投合は単に技術者どうしの関係を出てはいないのでしょう。エジソンのことはよくわかりませんので、なんとも言えませんが、フリーメースンタイプではなかったかも知れません。
 「では、フリーメースンタイプとは、どんなタイプだ?」こう詰問されるかも知れません。
 「うーん、自由、平等、友愛を常に標榜している人、かな?」
 「では、エジソンは自由・平等・友愛に価値を置かないのか?」
 「わかりません。少なくとも『自由の女神像』を作った彫刻家バルトルディやその製作に協力したエッフェルほどではなかったのではないでしょうか。ちなみにバルトルディはフリ-メ-スンでした。ですから、二人の合作である『自由の女神像』は極めてフリ-メ-スン的な価値観を持ったものと、言えます」
 「『自由の女神像』の制作費はフランスの一般国民の寄付らしいが、モーパッサンは寄付したのだろうか?」・・・
 「うーん、わかりません。でも興味深い質問ですね。ただ誤解しないで下さい。モーパッサンは自由・平等・友愛を嫌ったわけではありませんし、多分フリ-メ-スンをも嫌ってなかったでしょう。むしろ、彼はフリ-メ-スンだったのでは?という疑問が出ても不思議ではありません。少なくとも彼はキリスト教(カトリック)を信じてはいませんでした。
 カトリックの総本山に君臨するローマ教王レオ十三世は1884年にフリ-メ-スンを公然と非難しました。モーパッサンがどっちの肩を持ったかは明らかです。ですから、彼がエッフェル塔を嫌ったのはフリ-メ-スンとは何の関係もないと思います。
 時代は反フリ-メ-スンと反ユダヤ(あるいは同時)に彩られていました。1886年に、エドア-ル・ドリュモンなる人物が、サルトルによって『下劣な、あるいは淫猥な物語の寄せ集めにすぎない』とまで酷評された(『ユダヤ人』p.50)書『ユダヤ人のフランス』を刊行しました。これこそ『反ユダや主義を思想として成立させた(『ドレフュス事件とゾラ』p.14)書物です。そうですこんな時代に自由の女神像はニューヨークの小島に、エッフェル塔はセーヌ川のほとりに立ったのです。そしてどちらも技師エッフェルの手になるものでした」(1月9日、とりとめもなく記す)》

 さて、エレーヌ・セガラです。
 彼女の2・3年前に出したアルバム『Humaine(人間らしく)』から、タイトル曲を紹介します。分かりにくい箇所もありますが、ご容赦下さい。彼女は本当に美しい声の持ち主です。どうか、どこかで美声を耳にされますように。


人間らしく

子供の頃の絆から
決して私が断ち切られませんように
自分の不幸がわかる
そんな本を決して開きませんように
私が私でないものに
決して見えませんように
私が形成されたそのままでありますように
見た目で判断されませんように

武器を磨いて
心をかたくなにすることがありませんように
スポットライトの光の輪の中で
作り涙を流しませんように
血の滲む人生を目のあたりにして
決して冷淡な心持ちになりませんように
愛する人たちにかこまれて
いつまでも自分の居場所にいられますように

これが私の願いのすべてです
愛が私の先回りをしているところに生きたいのです
苦痛で流す血によって
私の心に好きなだけ涙を流させながら
ただただ私自身
人間らしく、人間らしくあり続けながら

時が私を蝕む、そんな日が
手帳のページの一葉ごとに
私の恋を書き込むような
そんな日が決して来ませんように
世界中のダイヤモンドが
宝石箱の中で眠ってしまいますように
深い、一番深い喜びが
思いもかけず私のもとにやって来ますように

二まで、それ以上は
数えることができませんように
神様たちの丘に
登ろうとしない限りにおいて
迷いの道で
私の大切な夢を実現できますように
あなたに似た人たちと
人生の途上、出会いながら

これが私の願いのすべてです
愛が私の先回りをしているところに生きたいのです
苦痛で流す血によって
私の心に好きなだけ涙を流させながら
ただただ私自身
人間らしく、人間らしくあり続けながら

BONNE ANNEE!
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文学雑感 | 02:15:08 | Trackback(0) | Comments(0)
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