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石田明生

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五日目はオルセー美術館とシテ島
 プチ団体旅行もいよいよ五日目となりました。午前中、オルセー美術館にメトロで行きました。本当はバスを使いたかったのですが、今日は日曜日のためにオルセーへのバスがありません。でも、メトロはメトロでおもしろいこともあります。オルセー美術館最寄りのメトロ駅『ソルフェリーノ駅』に行くためには、途中『コンコルド駅』で乗り換えなくてはなりません。この『コンコルド駅』がおもしろいのです。

コンコルド駅
コンコルド駅

 一見なにげない駅構内のようですが、壁一面に書かれたアルファベットがみそなのです。


 というのも、このびっしりと書かれたアルファベットは左から読むと、フランス革命時の「人権宣言」なのだそうです。「そうです」というのは、僕もじっくりと読んだわけではないからです。句読点も文字間の空きもなにもない文章など読む気がしません。書いた側も読まれることを前提としてはいないでしょう。要は、かつてギロチンが据えられ、多くの犠牲者を出した広場の名「コンコルド(和親)」に、革命の理念を同居させたかったのでしょう。
 革命のスローガンが駅の壁面を飾る装飾となっているなんて・・・脱帽です。
 オルセー美術館の前に来ると、入館待ちの見学者が少なくて、拍子抜けがするくらいでした。入ればわかりますが、それもそのはずです。まだ、内部の修復工事は完了していないので、最上階のカフェや屋上に行くこともできず、多分展示品の数も相当少なく、何よりも写真の撮影が禁止になっているのです。魅力半減になった美術館。

美術館前
入館待ちをするまばらな人たち

 入館前に長蛇の列を見ないと寂しい気がするのが不思議です。
 とはいえ、我が一行の皆さんにとっては初めてのオルセー美術館体験です。まさに教科書や美術書やカレンダーで見たことのある絵が目白押しの館内、見学を始めると皆さん真剣です。
 見学後、RERに乗って「サン・ミシェル駅」で降りました。ここは、シテ島に近くて、レストラン街のある便利な地点です。ガイドとしてはできたらこの辺りで、皆さんにギリシャ料理かマグレブ料理を味わって欲しいと思っています。にぎやかな、いわゆるサン・セヴラン界隈をぶらついて、気に入るようなレストランを探します。すると、見つかりました。クスクス料理の店です。

ハッカ茶
恐ろしく高いところから茶を入れるギャルソン・・・マグレヴ料理店にて

昼食後は、ノートルダムに向かいました。

マリアの生涯       パラ窓 パリノートルダム
内陣にある聖母の生涯を綴った浮き彫りと薔薇窓

 大聖堂から外に出ると、そこには自転車隊のおまわりさんがいました。すると、仲間の一人がはるばる横浜から連れてきたビンセント、通称ビンチャンがおまわりさんとツーショットをしたいと騒ぎ出しました。ガイドとしては仕方ありません。そこで、おまわりさんに彼と一緒に写真を撮らせてくださいと頼みました。どうやらそのおまわりさん、ビンセントのことを気に入ってくれたようです。

ビンセント

 おまわりさんが僕に尋ねました。「au revoir って、日本語でなんと言うの?」「さよならと言うんです」
 そのおまわりさん、盛んに「さよなら」を繰り返していました。

 次の目的地は、最高裁判所付きの礼拝堂「サント・シャペル」と、「コンシエルジュリー」です。
 ノートルダムから裁判所までは200メートルほどで歩いて行きますが、皆さんお疲れの様子で、加えて陽が照りつけていて、少々足が重たそうです。それでも頑張って、「サント・シャペル」までたどり着くと、今度は入るのにかなりの列を作っています。仕方ありません。なにしろここ「サント・シャペル」はもっとも美しいステンド・グラスを有しているのですから。
 やっと切符売り場までたどり着いて、「コンシエルジュリー込みを9枚ください」と言うと、売り子のお兄さんがいきなり「日本人ですか?」と訊くではありませんか。思わず「えっ」そしてあわてて「ええ、そうです」
 「ぼく、にほんごをべんきょうしました」「どこでですか?」「パリ大の東洋語学科です」「では、L'INALCOですか?」「ええ、そうです」
 彼はとても上手な発音で日本語を話します。L'INALCOのレベルの高さに驚いてしまいました。と同時に、後ろで列を作っている人たちに申し訳ない気持ちにもなってしまいます。フランス人はこんなときあまり気にしないで、客とおしゃべりする時がよくあります。以前ド・ゴール飛行場の出国窓口でパスポートを見せた時も同じような体験をしています。

サント・シャペル サン・ルイ王          サント・シャペル二階
「サント・シャペル」内陣1階の聖ルイ王の像とステンド・グラスが美しい2階の礼拝所

 この礼拝堂は1242年に竣工され、早くも1248年に完成を見ています。たった6年という驚異的なスピードで完成させたのには、わけがあります。聖王ルイことルイ9世は、国家予算の半分とも言われる大金を支払って、東ローマ帝国の皇帝からイエス・キリストの荊冠を買収したのです。その聖遺物中の聖遺物を安置し、祈りを捧げるためにどうしても礼拝堂が必要だったのです。職人たちは、その信仰厚き国王の要求によく応えました。こうして世界でももっとも美しいと言われる礼拝堂ができたのです。王は宮廷から専用の通路を通って、この礼拝堂で至福の時を過ごしたに違いありません。しかし、信仰心が厚いだけに、エルサレムが異教徒のものになっている事実に耐えられず、サント・シャペル完成の年1248年に第7回十字軍を指揮し、エジプトに赴きましたが、自ら捕虜となり、散々な目に遭います。それでも後に、再度第8回十字軍を編成し、チュニジア遠征をしますが、かの地で病没しました。
 その人柄の良さと公正さは広く世に知られ、没後ローマ法王から聖別され、聖王ルイと呼ばれるようになりました。ちなみに、アメリカの都市「セント・ルイス」は彼の名前です。

コンシエルジュリー
中世の面影を遺すコンシエルジュリーの偉容(wikiの写真を借用しています)

 その時の宮殿は今はなくコンシエルジュリーとして一部分その面影を遺し、最高裁判所が建っています。
 さて次は、その裁判所付きの牢獄となったコンシエルジュリー内を見学します。
 内部は、かなり以前から牢獄として使われていたようです。が、有名になったのはなんと言ってもフランス大革命の時でしょう。革命の闘志も、王家のものたちも、みな等し並み、ここで死刑の判決とギロチン台を待ったものでした。

牢獄の王妃
マリー=アントワネットが入っていた牢獄

 ここまで見学し、我が一行の元気状態というよりも疲労状態を見ますと、計画にあるカルチェ・ラタンの散歩はとうてい無理そうです。しかたありません。思ったよりもはるかに気温が高いのです。そこで、バトー・ムーシュに乗ることにしました。これなら、歩く必要がありません。
 というわけで、メトロを乗り継ぎ、パトー・ムーシユ乗り場のある「アルマ・マルソー」で降りました。地上に出ると、目についたカフェでまずは一息入れることにしました。暑くて、ひどい渇きの時に、僕がいつも頼むのは「シトロン・プレッセ」です。何個かのレモンをつぶした汁と氷が入り、水で薄めて飲みます。
 そこで、みんなににそれを言うと、驚いたことにみなそれにすると言いました。女給さんに「シトロン・プレッセ、9つ」と言うと、彼女は我々一行の数を数えて、仰天して言いました。「みんな同じ!!!」「ええ」
 彼女は驚きのオーバーアクションをしながら、注文を伝えに戻りました。確かに、9人全員同じ注文とは、フランスではあり得ないかも・・・一行の一人が言うことには、彼女はレモンを仕入れにどこかに行ったようです。確かに、いきなり2・30個のレモンが必要になったのですから、足りなくなるのも頷けます。というのも、「シトロン・プレッセ」はメニューに載っていませんでしたから。

 バトー・ムーシュの屋上は暑かったので、僕は下に陣取りました。しかし、どうやら、ビンセント通称ビンちゃんは屋上で頑張っていたようです。

ビンセント
ノートルダムをバックにご機嫌なビンセント
(左側のおじさんはビンセントとはなんの関係もありません)

 こうして五日目も過ぎました。
 明日、皆さんはオプショナル・ツアーで、モン・サン=ミシェルに行きます。どうやら、僕の出番はなさそうです。
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パリ散歩 | 11:05:48 | Trackback(0) | Comments(0)
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