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石田明生

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ローマからのお土産
 さて、待望の土曜日がやってまいりました。なぜ「待望」かですって? 前回のブログ記事に書いた「思いがけない邂逅」をしたT氏とお会いする日になったからです。
 同僚たちとの話題はもちろんもっぱらこのパリでの邂逅のことです。「お二人偶然に会うなんて、そのレストランは有名な店ですか?」「だって、ほんのわずか時間がずれていたら、わからないのですからね」「・・・」
 放課後、同僚三人で土産話や四方山話などなどをして、ビールを飲みながら、ゆっくりとした昼食(なんと4時半までいました!)をとりました。すると、T氏は我々ふたりに「お土産です」と言って、一葉の絵はがきをくださいました。僕は思わず「あっ!」と声を上げてしまいました。それは、僕がこの世でもっとも好きな絵が描かれた絵はがきだったからです。

ベアトリーチェ・チェンチ
グイド・レニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」(バルベリーニ美術館所蔵)



「では、バルベリーニに行かれたのですか?」思わず訊いてしまいました。
 かつて恋いこがれていた女性にまた再会したような不思議な気持ちです。«そうなんだ、僕はこの人が好きだったのだ。それをここ数年いろいろな些事にかまけて忘れていたのだ» ベアトリーチェ・チェンチ、この薄幸の娘は、ローマ貴族の家に生まれながら、幸いとはほど遠い、苦しく悲しい生涯、22年(スタンダールによると16年)という短い生涯を送ったのです。彼女は朗らかな気持ちになったことがあったのでしょうか。小娘らしく屈託なく笑ったことがあったのでしょうか。この巨匠の手になる肖像画をじっと見ていると、ほんのわずかに笑みを認めることができます。かすかな安堵感のようなものも感じられます。もしかするとこの絵が書かれたとき、彼女は地獄のような人生にやっと別れを告げられるという解放感めいたものを感じたのかもしれません。
 この白ずくめの衣やターバンは、断頭台に昇るための衣装だったのでしょうか。敬虔なカトリックのために自害することもかなわず、荒々しい斧の一撃を待つ身となってなおそこに慰めを見いだす、そんな彼女の人生はどれほど酷いものだったのでしょう。
 それを知るには、スタンダールの中編小説『チェンチ一族』を読むのが近道でしょう。
 スタンダールは、最初に彼女のターバンについて触れて、グイド・レニが娘の乱れた髪を描くことによって真実を露骨に描写しすぎるのを恐れたために、それを白い布で覆ったと説明しています。
 彼女の父親フランチェスコ・チェンチほどおぞまし男はなかなかいるものではありません。貴族に生まれながら、ありとあらゆる破廉恥な色事に手を染めたばかりか、ついに年とともに美しく育った実の娘まで強姦する始末でした。息子もいましたが、遺産など譲るわけもなく、着の身着のままに家から追い出して、知らんぷりを決め込みます。彼のあらゆる悪事は、当局への多額の賄賂のために、いつも赦免されてしまいます。ベアトリーチェも法王に訴えますが、取り上げられず、かえって父親の怒りを買って虐待されます。こうして、チェンチの人たちの主人に対する殺意は醸成されます。彼女の母(義理の)、兄弟、また彼女に同情した召使いたちは、ある日、主人であり父親であるフランチェスコを殺害し、事故死に見せかけます。が、結局は露見して、次々と逮捕され、拷問にかけられ、裁判となり、死刑の判決がくだされました。
 母親と娘は、斧による断頭、兄のジャコモは「鉄火の責め」の後打ち殺されました。弟のベルナルドは未成年だったために(15歳以下)、死一等は免じられ、入牢されました。
 この悲劇を見物していた無数の群衆は、その日の焼け付くような暑さのために、気を失い、押しつぶされ、窒息し、大量の死者を出して、悲劇の主人公の後を追ったそうな・・・

 こんなことを思い出したのも、T氏のイタリア土産のおかげです。僕自身がバルベリーニに行ったのは、つまりベアトリーチェ・チェンチに遇ったのは、今からもう16年も前になってしまいます。
 Tさん、何よりもすばらしいお土産をありがとうございました。
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雑感 | 07:30:58 | Trackback(0) | Comments(0)
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