■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
セミとスタンダール
 以前にも紹介したことのある拙文「セミとスタンダール」ですが、この度、少々手を入れてやっと本当の意味で完成に至りました。ここでは「はじめに」だけを紹介します。続きを読んで下さる方にはHPに全文を掲載しました。また、ご希望の方には抜き刷りを送らせていただきます。どうかよろしくお願いします。


「セミ」とスタンダール
・・・小説『赤と黒』を読み解くひとつの試み・・・

はじめに


 鹿島茂氏の『フランス歳時記』を読んでいると、十月にまつわる文化人にファーブルを取り上げていた。彼を《日本での有名人、フランスでの無名人》(注1)の代表と紹介している。氏によると、この『昆虫記』の作者はフランスではすこぶる評価が低いらしい。それもこれも、フランスでは昆虫というものは、南仏を除けばなじみのないものとみなされているからだ。確かに氏が言うように、パリにいるとセミの声は聞こえない。
 ところでセミと言えば、ラ・フォンテーヌの寓話「セミとアリ」の話が有名だ。この詩は『寓話』の「巻の一」の冒頭を飾る。
 この話の出所はもちろんイソップの寓話からだ。日本では「アリとキリギリス」という題名で広く知られているので、「セミとアリ」と言うと怪訝そうな顔をする人が多い。しかし、もともとは「セミ」の生息するトラキア(現在のギリシャ、ブルガリア、トルコを含むトラキア湾一帯)出身のイソップが教訓のために用いた昆虫は「セミ」であって「キリギリス」ではない(注2)。
 フランスの詩人ラ・フォンテーヌはイソップの寓話を自身の韻文にする時、フランスであるがゆえに「セミ」のままで仕上げることができたと言うべきだろうか。鹿島氏が指摘したように、フランスではセミはあまりなじみのないものだが、とにもかくにも生息し、フランス人はその存在を知っているし、なによりも「セミ cigale」という単語を知っている。
 あるいは、古代人に対し並々ならぬ敬愛心を抱いていたラ・フォンテーヌのことだから、「セミ」という語を古代人のイソップに倣って忠実に用いたということだろうか。底本の問題はあるとしてもどうやらこっちのほうが可能性がありそうだ。というのは、ファーブルに《ラ・フォンテーヌはついぞ蝉の声を聞いたこともなければ、見たこともなかった。彼にとって名高い歌姫はきりぎりすであったにちがいない》(注3)と腐されているからだ。確かにそれは岩波文庫『寓話』(上)の口絵を見れば一目瞭然だ。そこには「セミとアリ」の挿し絵があるが、描かれている「セミ」と思われる虫はどう見ても「セミ」には見えない。キリギリスと言ったほうがいいだろう。それを見たはずの詩人はその挿し絵に不満をもらした様子もない。つまり、ラ・フォンテーヌは「セミ cigale」という単語を用いていても、頭に浮かべているのはキリギリスだったということになる(注4)。
 ところ変わってイギリスやオランダになると(15世紀末に英語本、オランダ語本が相次いで出るが、「セミ」という語を用いているかどうか、浅学の徒にしてわからない)セミの存在そのものが知られていないし、「セミ」という語彙になじんでいないので(あるいはラ・フォンテーヌほど古代人への敬愛心を持ち合わせていなかったのか)、かの国の人たちはセミのままではイソップの見事な寓話を味わうことができないと判断したらしい。そこで、バッタ、イナゴなどを指す locust を使用することになった(平凡社大百科事典による)(注5)。
 ちなみに、日本映画をロンドンで上映した時、八月十五日の玉音放送のシーンからセミの声を全部消したことがあったと小耳にはさんだことがある。日本人にとって酷暑の夏を象徴するセミ時雨もイギリス人にとっては不可解な雑音でしかなかったということなのだろう。
 平凡社の大百科事典によるとセミは北緯五十度位まで生息可能らしい。とすると、フランスではパリの北あたりということになる。ところが、鹿島氏も言うようにパリでセミの鳴き声を聞くことはできないと思ったほうがよいだろう。
 だから、フランス文学でセミもしくはセミの鳴き声に遭遇した時の感動はひとしおだ。しかもそれがマルセル・パニョルのような南仏人の南仏を舞台にした作品ではなく、一般的な作家の作品・・・何も勿体ぶることもあるまい・・・スタンダールの『赤と黒』だったとしたら・・・
 私達日本人は夏の描写の中に「セミ」もしくは「蝉」という単語が入っていても、あまりに当たり前すぎて気付かずに過ぎていってしまうのだろうか。少年の時から、何度もこの傑作を読んでいるにもかかわらず、不覚にも筆者が「セミ」の存在に気付いたのはつい十年ほど前のことである。「こんなところでもセミは鳴くのだろうか?スンダールはうっかり書いてしまったのだろうか?」こんな素朴な疑問を抱いたのを思い出す。その当時、昆虫の権威、奥本(大三郎)氏にたまたまお目にかかれる機会があったので、そのことを尋ねたことがある。「それはおもしろいですね。なにかに書いたら・・・」と、おっしゃってくださった。それから十年、もっと調べてから・・・できたら物語の展開と同じ時期に、小説の舞台と思われる村に実際行ってみてから・・・と思っているうちにいたずらに時は過ぎてしまった。このままだとこのことは日の目を見ずに終わってしまう、そんな危機感を感じてついに筆をとることにした。疑問点は疑問のまま、なぞはなぞのまま、とにかく発表すれば、どなたかが疑問点を明らかにして下さるかもしれない。
スポンサーサイト
文学雑感 | 07:14:12 | Trackback(0) | Comments(4)
コメント
なんかこの気持ち分かります。
日本で言う「季語」のようなものの表現って独特な感じがします。
それでいてさりげなくて、気がつくにはジックリ読まなきゃいけませんし。
面白い序文を読めましたv-290
2007-01-25 木 23:51:19 | URL | titanx2 [編集]
ご無沙汰してます。
セミの謎、楽しみにしておりました。
玉音放送のお話、ほんとうだとしたら出来すぎ、ですね。
背景の音とともに記憶されねばならない日ですのに。
続きも、是非。
2007-01-26 金 07:43:52 | URL | koharu [編集]
 titanx2さん、こんばんは。『スキピオの夢』に遊びに来て下さり、ありがとう。
 そう、西洋文学ではあまり意識されないけど、小説や詩にあらわれる動・植物に目をつけるのもおもしろいよ。
 
 今、ブログにも書いたけど映画『遠い日の家族』にはまっています。もしよかったらご覧になって下さい。そして、もしご覧になったら、一言下さるとうれしいです。
 ではまた・・・
2007-01-27 土 21:32:01 | URL | スキピオ [編集]
koharuさん、こんばんは。こちらこそご無沙汰しています。拙文を見てくださり、ありがとう。
新たな記事は以前お見せした「王家の墓」ですので、koharu さんのお得意ではない分野かも知れませんね。申し訳ありません。
今度封切りになる映画『サン・ジャックヘの道』はフランスのル・ピュイからサン・チャゴまでの巡礼路が舞台です。ma femme と今から楽しみにしています。
では失礼します。
2007-01-27 土 21:44:11 | URL | スキピオ [編集]
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad