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石田明生

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西の果ての県都、カンペール
 カンペールは「フィニステール Finistère」の県都です。「フィニステール」とは文字通り、「地の果て」という意味で、まさにブルターニュ半島最西端の地です。ですから、中世の時代はフランスに属しておらず、ブルターニュ公国として独自の文化、習俗を維持していました。ブルターニュがフランス王国に正式に組み込まれるのは女王アンヌ・ド・ブルターニュがフランス王と結婚してからです。
 アンヌ・ド・ブルターニュは、フランス王と二度結婚します。最初ルイXI世の息子シャルルVIII世と結婚しましたが、王は彼女との間に世継ぎを残さず、28歳の若さで他界しました。


 フランス王に世継ぎがないときは、王位継承権に基づき、近い親戚の者が王位につきます。そこで玉座にあがったのがオルレアン家のルイXII世でした。彼は、家柄もさることながら、妻としてシャルルVIII世の姉君(つまりルイXI世の娘)ジャンヌ・ド・フランスを迎えていましたので、問題のない王位継承だったということができます。
 ところが彼にはひとつの野心がありました。どうしても広大かつ肥沃なブルターニュを王国に組み入れたいというものです。かの地も一度はアンヌ・ド・ブルターニュがシャルルVIII世との結婚したことでフランス王国に入りかけたのですが、王が早世したことで、彼女は未亡人となり王太后の称号だけを持ってふたたびブルターニュに戻っています。
 そこで、ルイXII世は彼女との結婚を画策するのですが、その前の大きな障壁は先々代の王の娘との離婚を完遂しなければならないことです。ご存知の通り、カトリックにおいて離婚は特別の理由がありローマ教皇に認められなければできません。このときローマ教皇はあの悪名高いアレクサンドルVI世でした。教皇の野心をうまく利用したのです。つまり、教皇の息子(だいたい教皇に息子がいること自体、ひどい話なのだが)チェーザレ・ボルジアに、ヴァレンチノワ公爵領を与えるかわりに、離婚とアンヌとの結婚を認めさせるという離れ業をしたのです。
 それにしても、王妃の離婚が単なる教皇の強権だけで成し遂げられるはずはありません。それには、王妃ジャンヌにとって辛い離婚裁判があったのです。それを興味深い小説にしたのは佐藤賢一です。彼の小説『王妃の離婚』は、フランス人以上に、あるいはフランス人でないからかもしれないが、当時のフランスと裁判の模様を描き出しています。そして、なによりも王妃という特別な存在にある人格と性格が、その危うさも含めて、詩情をともない、浮き彫りにされています。小説の中で王妃は、性行為不能者として告発されています。本当にそうであったか、僕にはわかりませんが、佐藤賢一氏の想像力と創造力は読むものを完全に魅了します。どうかご一読あれ。

 というわけで、ブルターニュはフランスの一地方となります。そうはいっても、独特の文化を持ち続けてきたことは、ポン・タヴェン派の画家たちを引きつけたことでも、ケルト音楽を聴いても、納得のするところです。
 フランス革命のころ、このカンペールから、偉大な医学者が誕生しました。今ノーベル医学賞が話題になっていますが、その頃(19世紀初頭)ノーベル賞があったなら、彼は必ずや受賞したことでしょう。その名は、ラエンネックと言い、聴診器を発明しました。

ラエンネック
大聖堂のとなりにあるラエンネック像・・・手に聴診器を持っています。

 たかが聴診器、と言うなかれ。医者はそれまで直接胸に耳を当てて心臓や肺の音を聞いていました。その場合、いろいろと不都合がありました。たとえば患者が妙齢の女性の場合、いくら医者とはいえ、胸に男性の耳が推し当てられるのは嫌だったでしょう。また、逆に患者がホームレスのように不潔きわまりない場合、医者がそこに耳を当てることを拒んだでしょう。ラエンネックが筒状の聴診器を考えついたのは、子供のいわゆる「電話ごっこ(当時電話はまだありませんでしたが)」を見たことによるとのことです。おもしろいことに、胸に直接耳を推し当てるよりも、聴診器を使った方がはるかに良く聞こえるそうです。こうして、彼は音による診断方法を確立しました(1819年)。それは当時の医学会では活気的なことでした。
 そういえば最近、医者に行ってもあまり聴診器を当てられなくなりました。もう必要がなくなったのでしょうか。

 もう一人、カンペール生まれの偉人がいます。それは、前々回に紹介したことのある詩人、マックス・ジャコブです。彼は、ユダヤ人として生まれたために、後、晩年になってナチスに連行され収容所で病死しました。カンペールの街を流れる「オデ川」にはたくさんの橋が架かっています。その中に、たあいない橋ですが、橋桁にマックス・ジャコブらしいイラストのついた橋を見つけました。この何気なさにジャコブに対する町の愛情が感じられます。

イラスト            イラスト2
マックス・ジャコブの肖像でしょうか?
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2011年フランス旅行 | 11:17:36 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
カンペール、二十数年前、大学生のときに一人旅で行ったことがあります。
春休み中、二月で寒かった。またブルターニュに行ってみたいけれど、いつ行けるのか。
後期は先生が水曜日に来られないので寂しいですよ。フランス旅行の話を聞けると思っていたら、おられなくて、ああ水曜は前期だけだったのかということを思い出しました。
2011-10-06 木 12:36:55 | URL | カタヤマ [編集]
Re: ご無沙汰しております。
 しばらく、お目にかかれなくなり残念です。とはいえ来年度はどうなるか、見当がつきません。
 今回の旅は、幸いなことに天気にめぐまれ、愉快かつ快適でした。日程上、以前薦めてくださった「ベル・イル」に行けなかったことが心残りです。
 ZazのCDが10ユーロ以下で売り出されたので、買ってきました。学生たちに紹介しまくっています。
 いずれお会いしたとき、いろいろな話で花を咲かせたいですね。
2011-10-07 金 08:41:12 | URL | 石田明生 [編集]
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