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『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』
 今朝、ゾラの『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』を読み終えた(小田光雄訳 論創社)。
 この小説は『ルーゴン=マッカール叢書』の第六巻にあたるもので、第一作『ルーゴン家の誕生』で、最初のルーゴン家の長男として登場したウージェーヌ・ルーゴンが主要登場人物となっている(主人公と言ってもよいが・・・)。第一巻では、まさにナポレオン・ボナパルト(後の三世)がクーデターを仕掛けたとき、一か八かクーデター(ナポレオン派=帝政派)に賭けたルーゴン家が勝利する。その力になったのが、パリに出て出世を夢見る長男ウージェーヌの情報だった。彼は、ナポレオンのクーデターに一役買い、その功が認められて、数年後、この第六巻では皇帝の側近となり、内務大臣にまで登り詰める。ルーゴン=マッカール両家中の出世頭と言えるだろう。


 小説は、「参事院長官」だったルーゴンが政治的良心を貫こうと、辞表を提出したところから始まる。外国の小説、つまり翻訳小説を読む時の難しさはこういう役職の用語だ(日本のものでも歴史小説も同様だ)。この「参事院長官」は、言語では le président du Conseil d'Etat となっている。«Conseil d'Etat»を仏和辞典で調べると、「国務院」と訳されていて、「政府の行政、立法の諮問機関と最上級行政裁判所の役割を兼ねる」と説明書きがある。小説では、あるスペイン船の拿捕問題が絡んでいるから、多分矛盾していないのだろう。とにかくその長官ということだから、ルーゴンはかなりの権力者ということになる。
 皇帝のお気に入りと見られていたルーゴンだったが、結局辞表を受理され、失脚する。小説は、利権を得ようとして彼のまわりに集まるいわゆるルーゴン派の連中とルーゴンの権力奪還の物語だ。そこに作者は帝政時代の政治家たちの汚職まみれの姿を浮き彫りにする。また、この権力の抗争にひときわ鮮やかに描かれているのが、不思議な魅力を放つ、野心家の女クロランドだ。彼女は小説に初めて登場したその時、「麗しのクロランド La belle Clorinde」と登場人物に呼ばれているが、まさに美女の誉れが高い。
 彼女は、イタリアのバルビ伯爵夫人のひとり娘で、中年のルーゴンを色香と知性とセンス、彼女のすべてでもって操る。ただし、ルーゴンが若い美女に、まるで谷崎の痴人の愛のようにメロメロになるというのではないし、クロランドのほうも、娼婦のように男を誘惑し続けるわけでもない。第一に、ルーゴンは女性に対し深い不信の念を持っている。片腕の部下である若いドルスタンに「女を信用するな」と常に注意もしている。だから、彼は女性に対し、情欲を感じることがない・・・はずなのだが、クロランドには別だ。だが、彼女は彼に体を絶対に許さない。噂では御者、従僕など相手かまわず相手にしているというのにだ。ルーゴンはそういう彼女の尻軽女という評判を聞いているだけに、拒否されることの屈辱と自己嫌悪で憤怒にとらわれるのだ。
 結局、彼は地味な女と結婚し、クロランドは、ルーゴンのすすめで部下のドルスタンと結婚する。ルーゴンとクロランドというふたつの個性は、結婚したら最後、地獄を見ることになる、ふたりにはわかるのだ。

«「・・・私たちが結婚し、三ヶ月前から一緒に暮らしているのだと想像してみた。それで私たちふたりがどんな生活をしているか、それについての私の想像はわからないだろうね?
 私は暖炉のそばにいるところを思い浮かべた。あなたはシャベルを握り、私は火箸を握り締め、そして私たちは殴り合っていた。
 (略)お互いを殴り殺すために生活を一緒にする必要などない。確実にそうしたことが起きるだろう。平手打ち、そして別居・・・(略)二つの意志を決して結びつけようとすべきではないのだ」(p.148 小田光雄訳)»

 ルーゴンは、クロランドとは正反対の家庭的な女性を妻に迎え、クロランドは、ルーゴンほど精力的ではないので御しやすいドルスタンを夫にする。そして、ふたりは巧みに政界を泳ぎ、権力を再び手に入れる。ルーゴンは内務大臣に、ドルスタンは農商大臣につく。
 だが、数ヶ月後、ルーゴンの宗教弾圧をきっかけに、皇帝と何よりも皇后の寵を失い、ルーゴンは辞職に追い込まれる。この時にこそ、麗しのクロランドの才能が開花するのだ。彼女は皇帝をもその魅力で籠絡し、夫のドルスタンをルーゴンの後がま、内務大臣にしてしまう。こうして、クロランドとルーゴンの権力構造が逆転する。かつての「御大は」は単なる「太った男」になりさがるというわけだ。ドルスタンには、ルーゴンのような強烈な個性も、精力もない。彼を動かすのは、妻のクロランドだ。
 このページの冒頭、この小説は「ウージェーヌ・ルーゴンが主要登場人物となっている」と書いたが、理由はもうすでに明らかだ。小説のタイトルにもかかわらず、「麗しのクロランド」もルーゴンに負けず劣らず、主人公の名に値する。
 ゾラは『ルーゴン=マッカール叢書』の中で、帝政時代の様々な社会の階層を描こうとしたが、この小説では政治世界と上流社会を世に問うた。そこで、当時の上流社会の食事を覗いてみよう。皇帝は、パリの北にあるコンピエーニュの城で、晩餐会を催した。

«ローストが出され、ブルゴーニュ・ワインの銘酒が注がれると、どよめきがもれた。今やテーブルの端の紳士たちの一角ではラ・ルケット氏が蘊蓄を語り、取り分けられたばかりの、串焼きにしたのろ鹿の枝肉の焼け具合について文句をつけていた。人参のポタージュ、生サーモン、エシャロット・ソースをかけた牛ヒレ肉、フィナンシエール・ソース煮の若鶏、ヤマウズラのキャベツ包み、カキのパテがすでに出されていた。
「賭けてもいいが、アーティチョークのソース添えとキュウリのクリーム和えが出る!」と若い代議士が言った。
「私はザリガニを目にしました」とドルスタンが丁寧に断言した。»(pp.199-200)

 そのあとデザート、チーズなのだが、「プチ・フール」と「カマンベール・チーズ」とだけ言及されているに過ぎない。また、デザートとの頃になると、「平皿は下げられ」「セーブル焼きの磁器に取って代わられていた」とある。
 この皇帝の晩餐会料理、いかがだろうか。料理の内容が、ルイ十四世時代のもの(映画『料理人バルテール』)やマリーアントワネットの頃とだいぶ違うような気がする。ここでの料理は多分洗練されたものではあるのだろうが、要するに今のものとあまり違わない、きわめてブルジョワ的な料理と言うことができる。この箇所を読みながら思い出したのは、映画『バベットの晩餐会』だ。あのデンマーク映画をご覧になったことがあるだろうか。バベットはパリコミューンの動乱から逃れて来た料理人という設定だったような気がする。つまり、時代的にほとんど同じ頃というわけだ。映画に出てくる「ウミガメのスープ」はこの皇帝の晩餐会の料理をはるかに凌駕している。高価、稀少、珍味を意図とした料理(『モンテクリスト伯』での晩餐のような料理・・・時代は1820から30年代か)が、ナポレオン三世の晩餐会にはない。この第二帝政時代には、かつての貴族的な贅を尽くした料理は敬遠されていたに違いない。逆に言えば、映画のバベットは皇帝の晩餐会でも出さないような珍味、貴族的な料理をデンマークの片田舎の人たちに出して悦に入ったということだろうか。

 訳のことだが、残念なことにこの訳書には何度か首を傾げるようなところがある。
 まず指摘したいのは、何度も出てくるので気になって仕方がないのが、ルーゴンの住んでいる通り名のカタカナ表記だ。これは誤訳というよりも綴り字の発音の問題だ。Rue Marbeuf を「マルビュフ通り」と書いている。確かに、beuf をどう表記するかという問題はありそうだ。「オ」の口をして「エ」と言わなければならない、いわゆるあいまい母音だから。「ブェッフ」が一番近そうだが、一般的に、たとえば有名なブルゴーニュ料理 beuf bourguignon は「ブッフ・ブルギニョン」と発音され、表記されているように「ブッフ」と記されている。それよりも何よりも、この通り名となっている Marbeuf とは、1764年から68年までコルシカ島の司令官だった人物の名前で、ボナパルト家とは親友関係にあった著名人だ。コルシカ独立戦争時においても Marbeuf への島民からの人望は厚く、歴史かのミシュレは次のように書いている。

«熱心なボナパルティストであるコルシカの多くの人々は、彼(ナポレオン)をフランス人にすることを望み、彼をド・マルブフ氏の子供であるとする»(『フランス史 VI』ミシュレ 立川孝一訳)

 要するに、訳者は歴史書を繙いていれば、問題なかっただろうに。

 しかし、読んでいて仰天したのは、moteurs hydrauliques を「水力発電」と訳していたことだ。えっ、この頃水力発電がなされていたのだろうか?
 さっそく調べてみたら、水力発電は1878年頃からで、この帝政時代の1862年頃にはまだなかったと考えるべきだ。次のような原文だった。

Il demanda des détails sur la puissance motrice de la rivière. Selon lui, les moteurs hydrauliques, dans de bonnes conditions, avaient d'énormes avantages.
<訳>
彼は河から得られる動力についての詳細を尋ねた。好条件にある水力発電は巨大な利点を備えているというのが彼の持論であった。

 たぶん、moteur を電動以外考えられなかったのだろう。しかし、この moteur という語は古い言葉で、つまり電気以前から使われていた言葉で、動力として電気とは限らないのだ。ではどう訳すべきか、と言われたら困るが、「水力機」とでもしたらどうだろう。また、細かいことだが、ここで「河」と訳しているが、それだと大河のイメージがつきまとう。原語の rivière はどちらかと言えば、河に注ぐ「川」というのが一般的な定義だ(昔はこの限りではないが)。
 今度は誤訳の話ではないが、さきほど時代は1862年と具体的な数字を挙げたが、これは、この田舎訪問のあと大臣たちがサン・クルーの城でおしゃべりをしている時にちょっと話題になった「極東の使節団」というキーワードから考えたのだ。

«その時パリは、奇妙な服装をして、異常な挨拶の仕方をする極東の果てからの使節団の到着にかかりきりになっていた»(p.354)

 この使節団は、福沢諭吉が通訳として参加した「渡欧使節団」のことではないかと思われる。この使節団は4月7日にパリに到着し、ルーヴル・ホテルに投宿したそうだ。
 何気ない一文に日本の夜明けが見えた。やはりゾラは・・・小説はおもしろい。
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文学雑感 | 17:37:48 | Trackback(0) | Comments(0)
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