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石田明生

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エゴイストの国
 大震災という、東北地方はもちろん日本全体の未曾有の不幸に際して、人々の取る態度の豹変ぶりにはうんざりしてしまう。震災直後は、テレビには金子みすゞの詩句が朗読され、「助け合おう」「日本は一つ」などなどの連帯や絆(そういえば去年のなんだかにこの言葉が選ばれたな)を呼びかけるかけ声が日夜流されていた。そのあまりの激しさに、少々うんざりし、うさんくさささえ感じてはいたが、今にして思うとやっぱりと思う。
 がれき処理のことだ。静岡の島田市の市長ががれきの受け入れを表明したら、猛烈な抗議が巻き起こっていると聞く。市長も言っていたが、こんなときこそ助け合わなければいけない、そんな最中にだ。「助け合おう」「頑張れ」「絆だ」と言わば美辞麗句を百万遍並べても、そんなものは言葉のがれきに過ぎない。また、我々のような一般人が、なにがしかの金子(きんす)を差し出してもたかが知れている。我々一般市民ができるのは、まさにこのような時、自治体の首長ががれき受け入れ表明をした時に賛成・同意を示して協力すべきだろうに。また、首長がなかなか動かないならば自分の町のがれきやゴミの処理受け入れを働きかけるべきではないだろうか(僕自身は今どうしたら、腰のひどく重い「さいたま市」ががれきの受け入れを表明するのか、あるいは表明させられるのかと、考えている)。


 がれき処理に反対する主な理由は、おそらく汚染物質があるのではないかという不安からだろう。でも、よく考えてみよう。その近くで暮らしている人たちは、我々よりもはるかに不安な筈だ。本当に日本人の連帯や絆を、助け合い精神を金科玉条とするならば、その不安までをも分け合うべきではないか。第一に、それほど汚染されていない地域のがれきのこともある。県議会や市議会でがたがた言ってもめる前に、そういうがれきからでも廃棄受け入れをするべきではないか。
 ずっと以前から、「し尿処理所」「ゴミ焼却場」「火葬場」など、事後処理的な施設に対して、人はいつも建設反対をしてきた。もちろん、煙や臭気といった具体的に五感に差し障りのあるものがまきちらされることへの反発はある。しかし、どうもそれだけではない。というのも、我が家の近くで「墓地建設反対」運動というものがあったからだ(以前書いたことがある)。ご存知の通り、今の墓地霊園から不快感をもよおわせるようなものはいっさい発生しないと見て差し支えない。それにもかかわらず、人は反対する。
 ゴミ、し尿、亡がら、この中には確かに遠ざけたいものとしての共通項はある。しかし、これらは人がいる限り、絶対に出てくるものでもある。だからこそ、人が最も知恵を出して、遠ざけなくても生活できるような工夫をしなければ行けないのだ。さいわい、三番目の「亡がら」については、今ではほぼ不快感を惹起するものではなくなってきたような気がする。が残念ながら、あとの二つについてはまだまだだ。そこに、核の汚染物質という、今までとはまったく異なる「ゴミ」が出現した。それとどう付き合うか。人類の英知と精神が今こそ試されている。

 今ニュースで、がれき処理をした県などに国が費用を出すと言っていた。結局、人の絆や連帯、早く言えば善意からできなかったことになる。残念だ。
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雑感 | 11:18:02 | Trackback(0) | Comments(0)
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