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石田明生

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ゾラの『獣人』・・・殺意の神経症
 自分たちの犯罪を完全犯罪にしおおせると思い込んだ若妻セヴリーヌが、旺盛な食欲を見せたことはお伝えした。彼女は、目撃者かもしれないジャック・ランチエと親しみを増すに連れ、それはいつしか恋心へと変っていくのを感じた。若い男前のジャックは、亭主のように荒っぽくなく、女にがつがつ飢えている様子もなく、非常に好感が持てたのだ。
 一方ジャックは人知れぬ悩み、というよりどうしようもない苦悩を思春期の頃から抱え込んでいた。それは、女への欲望が突如殺意に変じてしまうのだ。女の白い肌を見ると、そこにナイフを突き刺したい、流れる真っ赤な血を見たいと狂おしい神経症のような発作にとらわれてしまうのだ。セヴリーヌにかぎらず、彼が女性に淡白に見えたのは、彼が女性との肉体関係を恐れていたにすぎなかったからだ。


 ジャックは恐怖のためにセヴリーヌに口づけだけの関係を続けていたが、女のほうも少女時代の大人(殺した恩人の老人)からの強制的な肉体関係や、亭主の乱暴なセックスしか経験がなかったので、肉体関係に嫌悪を感じて避けていたのだった。があるとき、暗闇の中で、恋の激情にかられて一線を越える。すると驚いたことに、ジャックは以前のような神経症の発作に襲われることがなかった。好きな女との結びつきが病気を治したに違いない。セヴリーヌも、愛する男との結びつきは、嫌悪どころか、えも言われぬ快楽を与えてくれることを知る。こうしてふたりの恋は、静かに、密かに燃え上がるのだった。

獣人
密会して愛し合うジャックとセヴリーヌ(小説の挿絵より p.241)

 助役の亭主ルボーは、憂さ晴らしにトランプばくちをしたら、たまたま勝ったこともありひどく楽しくて、あの忌まわしい犯罪を忘れさせてくれることを知る。こうして、仕事以外の時間はばくちにうつつを抜かすようになる。しかし、ばくちは負けることがある、というより必ず負けがこむもので、いつかは底なしの借金地獄へと転落するはめになるだろう。
 妻のセヴリーヌは、そんな亭主に愛想をつかし、憎み、いつしか殺意を抱くようになる。亭主さえいなければ、愛するジャックとこそこそ会うこともなくなり、おおっぴらに愛し合うことができるのに、それどころかふたりで一緒になりアメリカに行って楽しく生きられるのに・・・
 彼女はジャックに身も心も捧げていたから、殺人という犯罪をひとり胸にしまっておくことができない(亭主とうまくいっていれば大丈夫なのだろうが)。大雪が降ったある晩偶然に一夜をともにすることになり、、彼女は寝物語に亭主とどうやって人殺しをしたか細部にわたって男に語る。ジャックは特に死の瞬間の描写に鋭く反応し、しつこくなんども聞く。そのうちに奥底に押し殺していた欲望が頭をもたげる。殺意の神経症は完治していなかった。女の細部にわたる人殺しの描写が病気を再発させたのだ。恐ろしいことに、このままだと目の前の恋人を殺してしまう。そこで彼は夜があけると、ナイフをかくしもって外に飛び出し、誰か最初に出会った女を殺そうとパリの街を徘徊する。作者ゾラはこの場面を描くことによって、現代人が時々経験する無差別殺人の殺人者の心理を浮き彫りにする。最初の少女はパン屋に入っために、次の女は知り合いと話をしたために、なかなか襲えないのだが、次々に現れる女たちを付けねらう。

《・・・ナイフを手にして部屋を出てからというもの、行動しているのは彼ではなかった。それは彼とは別人であり、存在の奥底でしばしば動き回るのが感じられた他人、太古の時代からやってきて、祖先伝来の殺害の渇きで燃えているあの見知らぬ存在だった。かつて人殺しをしてきたのはその男であり、そいつが今また人殺しをしようと欲しているのだ。自分の周囲のすべては夢にすぎないとジャックには思えた。それは彼が固定観念をとおしてまわりを眺めているからだった。いつもの生活はどこかにすっかり追いやられたかのようで、彼は夢遊病者のように歩き続けた。過去の記憶ももたず、未来の見通しも抱かず、すっかり欲望の虜になっていた》(pp.326-327)

 僕たちは時々通り魔殺人や無差別殺人のニュースで、犯人が「声がした」「命令された」等々の動機説明を聞くが、この文章を読むとあながちでたらめではないかもしれない、本当に声が聞こえていたのかもしれないという思いがする。レアリスト作家ゾラは、心理のレアリストでもあるのだ。幸いジャックは、同僚に見つけられ、話しかけられて現実に戻り、だれにも何の危害も加えることなく、女の部屋に戻ってくる。ひとり残されていたセヴリーヌは不安に苛まされて待っていたが、一夜の逢瀬から別れる段になると次のようにつぶやく。

《「自由になれたら、夫がいなくなったらいいのに! ・・・そうよ! そうすれば私たちすぐにも嫌なことなんか忘れてしまえるのに!」
 彼は荒々しい動きをして、思いをはっきりと口に出していった。
「でも彼を殺すことはできない」
 彼女はじっと彼を見つめた。彼は体を震わせた。それを言って、一度も思ってみなかったことを言って、自分で驚いてしまった》(p.334)

 ジャックが女の亭主に対して殺意を抱くこの瞬間は、白眉中の白眉だ。映画のない時代に書かれたこのシーンはまるで映像を見ているようだ。
 だが、ジャックは何度か亭主のルボーを殺そうとするができない。人を殺したいという欲望を抱いてはいるが、不思議なことに欲得づくでしたくないのだ。彼が、心の内奥のそのまた奥で抱く殺意は、利害関係があってはならない。だが、直接口に出してこそ言わないが、セヴリーヌは会うたびに執拗に教唆する。臆病者と思われるのを恐れて、彼は決心する。お膳立ては女が整える。そして運命の夜、ついに・・・
 ここで、小説の結末を言わないほうがいいだろう。でもこれだけは言える、この引用場面のあとは、手に汗握る、すさまじくも恐ろしい、男と女の恋と欲望、殺意と暴力の連続となる。小説をここでやめるなんて、そんな勇気のある人なんていないだろう(昔風に言うなら、「そんな奴は悪魔に食われてしまえ!」)。
 題名『獣人 La bête humaine』は、お察しの通り、ジャック・ランチエを始め、助役のルボー、その妻セヴリーヌのことであるのはもちろんだが、この小説のすごさは、ここに登場するすべての人物が獣人であることだ。善玉悪玉の世界とはほど遠い、人間の下劣さ、卑しさ、残酷さのすべて、あるいはいずれかを人物たちはもっている。ひとりその獣人性から免れているものがいるとしたら、愚かで貧しくまるで獣のように生活していた哀れな石切工のカビューシュだけだろう。彼は、セヴリーヌ奥様を陰ながら慕い、奥様が落としたピンやハンカチを宝物のように大切に保管していた。そんなカジモドのように純朴な男だったのに、というかそういう男だったために、殺人犯の濡れ衣を着せられることになる。そこにゾラのまなざしがある。

 ちなみに、YouTubeで、映画『獣人 La bête humaine』を見つけたので、さっそく見た。約14分ほどの映像が7本になっていた。この映画は、1938年にJean Renoir監督が撮ったもので、主役のランチエはJean Gabinが演じている。これはゾラの小説の映画化というよりは、ヒントにして作り直している感が強い。二つの殺人とその犯人は同じなのだが、ごくおおざっぱになぞっているにすぎない。限られた時間と技術と費用から仕方ないのかもしれない。ただし、SLファンにはたまらない映像だろう。下をクリックすれば、最初の部分が見られます。


http://www.youtube.com/watch?v=7QoNL_yf62A
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文学雑感 | 15:42:57 | Trackback(0) | Comments(0)
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