■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
『ベラミ』の舞台
 今回の旅の狙いの一つは、モーパッサンの小説『ベラミ』の舞台を辿ってみることだった。この悪徳めいた小説の舞台はほとんどパリだからだ。
 そんな気持ちで大韓航空の、まずはインチョン行きの飛行機に乗り込み、手持ち無沙汰を前の座席の背中についているビデオでごまかしているうちに大発見をした。なんと、なんと、上映予定の映画の中に『ベラミ』があるではないか。さっそく観てみる。幸いなことに、ハリウッド映画にもかかわらず、フランス語バージョンがあった。
 インチョンからパリまでの約10時間の飛行中、なんどもこの映画を観たのは言うまでもない。
 原作と比べると、映画は常にケチを付けられるものだが、この『ベラミ』、思ったよりもわるくはなかった。映像の中にモンマルトルの「サクレクール」が出てきたのにはビックリしたが、これはたぶん、観光的気分も盛り込みたいアメリカ映画だからだろう。モーパッサンの時代(1880年代)にはまだサクレクールは完成していなかったのだ。
 もう一つ不思議だったのは、モーパッサンという原作者の名前が最後の文字タイトルをいくら見ても出て来なかったことだ。
 たぶん、来年あたり日本公開となるだろう。


 『ベラミ』の主な舞台は、モンソー公園のある8区からトリニテ教会のある9区に至る。とりわけベラミことジョルジュ・デュロワの行動範囲は、これに2区のポワソニエール大通りを加えればほぼ完結する。
 これは、モーパッサン自身のパリの住所とほぼ一致するから、土地勘があったから小説の舞台をこのサン・ラザールあたりとしたと考えられるが、そんな単純な理由だけではないだろう。というのは、このサン・ラザールからマドレーヌ教会、現在のデパート「プランタン」あたりは、まさに19世紀特有の新興成金の住まいが多かったからだ(ゾラの小説『獲物の分け前』はズバリ舞台がここだ)。小説『ベラミ』はその新興成金の生態を描いた小説と言える。

モーパッサン像
モンソー公園のモーパッサン像・・・文豪のパリ最初の住居はここから歩いて10分ほどのところだ。


 植民地のアルジェリアから引き上げてきたジョルジュ・デュロワは、何の取り柄もないのでろくな職にも就けず、安給料で北部鉄道で事務員として働いている(年収1500フラン)。なにしろ、ちょっと女遊びをし、大好きなビールを飲めば、たちまち月末には干上がってしまうという境遇だ。そんなデュロワの住居は、8区の外側、17区のバティニョル地区のブールソー通りにある。朝から晩まで、列車の轟音の鳴り響く、線路沿いの陰気な通りだ。

ブールソー通り     ブールソー通り2
彼のアパートは、この通りの左側にあったはずだ。現在はそれほど陰気な地区ではない。



«彼の家は七階建ての高い建物で、労働者や小商人などの小さな所帯が二十も寄り合っていた。・・・(略)・・・
 青年のへやは六階にあって、まるで深いふちをのぞむように、西部鉄道の大きながけを見おろしていた。ちょうどバティニョルの駅に近く、トンネルの出口の上にあたっていた。デュロワは窓をあけて、さびた鉄の手すりにもたれた»(田辺貞之助訳・・・春陽堂 p.186)
  腹を空かしたデュロワは、ビール一杯を飲もうかどうか悩みながら繁華街を歩いている時、偶然かつての戦友フォレスティエと邂逅する。見れば立派な紳士然としている。旧友は新聞社で働いていて、羽振りがよいらしい。親切にも、彼を会社に紹介すると言って、家の晩餐会にデュロワを招待してくれた。そこには新聞社の社長も居合わせて、彼がアルジェリアの話をすると、アルジェリアの体験記をひとつ書くようにと頼まれる。入社試験ではないが、それをうまくこなせば信用は高まる。さあ、ひとつ文章をひねろう。と、家に帰った時の描写の一部が上記の引用だ。この汚い家ともおさらばしたい。
 勇躍、ペンをインクに浸し、題名を書いてみたが、いっこう先に進まない。晩餐会のときに話したように、思い出がすらすら出て来ないのだ。絶望的になって、翌日に伸ばすことにする(「なあに、あしたになれば気分が立ち直るだろう。今夜は自由な気持ちになれない・・・」)。だが、翌日になっても、頭は空っぽのままだ。そこで、友人に手伝ってもらおうと、家を出て、途中立ち寄るのがモンソー公園だ。ちなみに、フォレスティエの家は公園とは逆方向の9区にあるのだが、デュロワは朝早すぎるので時間つぶしをしている。
 結局彼はこの窮地をフォレスティエの妻マドレーヌに原稿を書いてもらって脱することになる。ここにこの小説の、というよりも作者の深い皮肉が込められているのだ。当時、政治や社会に圧倒的な影響を与え、殷賑を極めた新聞・報道の世界の欺瞞と瞞着をモーパッサンは、新聞小説である『ベラミ』で描いてみせたのである。
 ここでも、デュロワからアルジェリアについての知識を少し仕入れただけなのにフォレスティエ夫人の口述は、なめらかに、微に入り細に入り、アフリカやそこの住民を描写する。とりわけ、«「読者をつるには、これが一番です」»と、女の話をたっぷりと盛り込む。
 この新聞社「ラ・ヴィー・フランセーズ」は世論を取り上げるのではなく、世論を作り上げようとしているのだ。『ベラミ』という小説は、そのことをみごとに暴いている。
 ともあれ、危機を脱したデュロワは、持ち前の美貌と外面の良さ(能無しを隠す巧みさ)から、とりわけ社長夫人に取り入って、トントン拍子で出世をする。
スポンサーサイト
2012年フランス旅行 | 04:48:19 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad