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久々の『ハムレット』
 昨日、シェイクスピアの『ハムレット』を、翻訳であるが、何十年かぶりに読み返してみた。学生の頃は、ただただストーリーだけを追って読んだだけだったことがよくわかった。やはり、この年になると少しは賢くなっているのだろう、以前よりはいろいろな発見があった。
 手にとった本は、筑摩書房の「シェイクスピア全集」6だ。学生の頃買った本なのでだいぶ古く,最近の訳ではまた違うと思うが,訳の荒さがまず眼についた。三神勳氏の訳だが,おそらく、筑摩全集のシェイクスピア、それも『ハムレット』訳を担当したのだから,相当の権威のある方なのだろうが・・・
 驚いたのは,ハムレットが父親や母親を「お父さん」「お母さん」と呼んでいることだ。Lord という同じ語なのに、国王を「陛下」(本当は Majesty だと思うが,クローディウスにも Lord が使われている。あるいは,王弟だと示唆しているのか)、ハムレットを「殿下」と訳し分けている割には、王太子に当たる人間が、巷の子供のように「お母さん」と話しかけている。ちなみに、作者のシェイクスピアは、ちゃんと madam と書いているにもかかわらずである。翻訳で読んだのだが、訳語の不適切さに驚いて,本当に作者もこのような「タメ語」で書いているのかと疑問を感じ,原文に当たってみたのだ。そのせいだろうか、ハムレットの年齢がとても若く感じられた。いったい何歳だったのか。実は,墓場のシーンで、墓堀りが何年その仕事をしているか訊かれて、30年と答える箇所がある。「王太子様が生まれた時からです」墓掘りが間違っていなければ、つまりハムレットは30歳ということになる。だが、芝居の中の主人公の、やることなすことはすべて、もっと若い,というよりも幼い。


 また疑問に感じたのは「牧師」という訳だ。
 デンマーク王子であるハムレットという人物はいつ頃の設定なのだろう。少なくとも,未来小説ではないのだから,作品が書かれた1600年頃よりも以前のはずだ。ただし、11時を知らせる鐘が鳴るところを見ると時計はあったことになる。つまり,13世紀以降ということだ。また、祝砲の話が出てくるということは大砲もあった。デンマークがルーテル派になったのは、16世紀半ば以降,つまり,作者の時代とそれほど違わない。日本語の「牧師」と言う呼称は、プロテスタントの用語だ。ではシェイクスピアはなんという語を用いているのか。調べてみると,priest だった。少なくとも、 pastor ではなかった。もっとも、よくわからないが, pastor はもしかすると新しい語かもしれない。priest は、英和辞典によると、カトリックの「司祭」、監督教会の「牧師」だそうだ。しかしこの教会の「牧師」は問題にならないだろう。15世紀まで遡るとは思えないからだ。訳者はこのハムレットの王国がプロテスタントだった、つまり時代は16世紀後半と解釈したのか。
 久々英語の原典からの翻訳を読んだからだろうか。固有名詞のカタカナ化という問題をあらためて考えることになった。
 まず眼を引いたのは,オフェーリアの兄の名前だ。「レアーチーズ」となっているが、現代のように,まさに日常的に「レアーチーズ」という語が使われる時代になると、何とも変な感じだ。原語は Laertes で、もちろんチーズケーキとは何の関係もない。この名前はギリシャ神話に登場する。オデュッセイアの父親の名前で、「ラエルテス」と表記されるのが普通だ。そういう意味では,ハムレットの親友「ホレーショ」も変な名前だ。Horatio と綴られる。デンマーク独特の名前だろうか。それとも、Horace (ホラティウス)をもじったのだろうか。(追記: アメリカの独立戦争時に Horatio Lloyd Gates という人物がいた。英語では珍しくないのかも)
 しかし、これらのカタカナ表記は、登場人物の名前だから、英語の戯曲である以上,英語の発音通りに表記されるのは当然だろう。問題は,一般的に流布しているギリシャ神話やローマ時代の人物名のカタカナ表記だ。たとえば、ギリシャ神話の例では,ハムレットの台詞に、父と叔父を「ハイペリオン Hyperion」と「サチール Satyr」にたとえて比較している箇所がある。前者はギリシャ神話では「ヒューペリオン」後者は「サチュロス」と表記されるのが普通で,後者の「サチール」はフランス語の発音に近い,というよりフランス語の発音のつもりかもしれない。ここには注もないから,おそらく「サチール」が好色な「サチュロス」のことだとピンと来る人はきわめて少ないと思われる。Satyr を英語の辞書で発音を調べたら,カタカナ表記は「セイター」に近いようだ。のちに、「ヘラクレス」というギリシャ神話の英雄名がそのまま「ヘラクレス」と出てくる。やはり、これを「ハーキュリーズ」と英語風に表記するのは何とも不自然だと思ったのだろう。それならば、みな一般的に流布しているギリシャ神話の名前にすればいいと思うのに,この訳者は、ある場面で「イーニアス」「ダイドー(注)」「プライアム」「マース」「サイクロップ」「へキューバ」と続けざまに、たぶん英語の発音表記で並べているが、いかがなものだろうか。「ヘラクレス」のように表記しているのだから、同様に「アイネアス」「ディドー」「プリアモス」「マルス」「キュクロプス」「ヘカベ」とするべきではないか。ちなみに、「イーニアス」には訳者の脚注があり,《ヴァージルの叙事詩『イーニッド』の主人公名》とある。英語に堪能な方はこれでよいであろうが,「ヴァージル」のあとにかっこつきで「ウェリギリウス」と書いて欲しい。「ヴァージル」と「ウェリギリウス」が同名としてつながる人はそれほど多くないだろう。ちなみに、教養文庫の『ダンテ神曲物語』では、「ウェリギリウス」は「ヴィルジリオ」と表記されている。以前これを読んだ時,ひどい違和感を覚えたことを思い出した。もっとも,注には「ウェリギリウス」とあったが。慣れている人には簡単なことでも,初めて読む高校生や大学生にとって,こういうことは煩瑣で難解きわまりないと思う。

(注) この表記を見て,あることに気づいた。「もしかしたら、『ダイドードリンコ』という飲料会社の社名は,カルタゴの町を建設した、この伝説の女王からとったのではないか」突然うれしくなった。自動販売機で、みんなが何気なく飲んでいる飲み物の社名が,トロイの英雄アイネアスに愛された末に捨てられ、傷心の果てに自らの胸を剣で突いて自害した誇り高き女王の名前から来ているなんて。

ディドー
Augustin Cayot (1667-1772)作(ルーヴル美術館)wikiより

そう思って,さっそくwikiで調べてみたら,がっかり・・・
《「ダイナミック(Dynamic)」と「ドゥ(Do)」にちなんで「DyDo」としている。「ドリンコ」は英語の「ドリンク(Drink)」に“仲間・会社”を意味する「カンパニー(Company)」を合わせた造語》とあった。残念無念,そんな文学的な名前、しかも自害した悲劇の女の名前など付けるわけないか。また,「ドリンコ」については、drink の語尾に、男性名詞を示す o を付けて、ラテン風にしているのかと思っていたので、二重にがっかり・・・
ちなみに、女王「ダイドー」は英語では Dido と綴られる。

 さて、ハムレットは、父親を殺した叔父の妻となった母親を責める気持ちが高まるが,母殺しの「ネロ」と同じことをしてはいけない、と自らを戒めて、母親には面罵するだけで危害を加えないようにする。ここで訳者は「ニエロー」とは英語の発音通り表記せず一般的に「ネロ」としている。しかし,問題はここに付けてある注だ。「ローマの暴君ネロ。その母アグリッパを殺す・・・」とあるが、これは明らかに「アグリッピナ」の間違いだろう。「アグリッパ」は男性名だ。
 このカタカナ表記の問題で、日本人はずいぶんと不便を強いられていると思う。英語,フランス語、ドイツ語,イタリア語などなどが、同名、同作品、同人物を表記するのに,それぞれの発音で書いている場合が多々あるからだ。もう少し何とかならないものだろうか。なにしろ、「イエス・キリスト」という表記からして、いろいろあった。「ジーザス・クライスト」「イエズス」など、フランス語では「ジェズュ・クリ」となる。
 最後に,久々再読した『ハムレット』についてだが、『ハムレット』ファンには申し訳ないが、思ったよりも作りが荒っぽいという印象をうけた。とりわけ、最初の幽霊出現にはひどい戸惑いを感じてしまう。なにしろ,その幽霊が自ら謀殺されたことを息子に説明し,復讐を願い、それを息子が実行するというのが、この物語の本筋なのだ。そのために、どうしても安直さと粗雑感は免れない。また、ハムレットの狂気も、観客を笑わせるにはよいだろうが、不自然きわまりない。第一に、なぜ狂気を装わなければならなかったのか。オデュッセイアはトロイ戦争に巻き込まれるのを免れようと使者の前で狂気を装うが,それは理解しやすい。しかし、ハムレットの狂気は、父親の仇を討つのに最適だとは全然思えない。良い子を装ってチャンスをうかがったほうがよほどましだったのではないか。そうすれば、オフェーリアの父を殺すこともなかっただろうし、彼女を不幸にすることもなかっただろう。そういえばこのオフェーリア、あまりに魅力がなさ過ぎるように思われた。僕の頭が悪いせいか、彼女が死に至る必然性もよくわからなかった。まるで、二流映画の大団円に起こる交通事故死のようだ。とはいえ、舞台で演じられればまた違うのかもしれない。オフェーリアの魅力は、舞台上に表れないミレイの絵によって、増幅され,不滅化されたのではないか。

ミレイ
John Everett Millais(1829-96)作(Tate Britain 美術館, London)wikiより

 そういえば、シェイクスピアが描く女性に魅力的な女はいないような気がする。『ハムレット』には、意地悪な女も出て来ない。ハムレットの母親は、悪女でもなし,妖女でもなし、もちろん聖女でもなく、あらゆる意味で何の魅力もない女だ。彼女は,最後に、突然喉の渇きを訴え、王(=夫)が用意した毒入りのぶどう酒をそうと知らずに飲んで死ぬが、この突然の喉の渇きが、いかにもとって付けたようで,あまり感心できない。
 やはり,シェイクスピアの悲劇は、『リア王』『オセロ』『マクベス』のほうが断然おもしろい。『ハムレット』だけ今まで再読せず、遠ざけていたのもなんとなくわかったような気がする。ただし、『ハムレット』は荒削りな戯曲だからこそ、演出家や役者の付け入る隙があり,演じられるとおもしろい劇になるのかもしれない。残念ながら,劇を見たことはない。
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文学雑感 | 14:55:34 | Trackback(0) | Comments(0)
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