■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
モーパッサンの傑作
最近、モーパッサンについて講義をしたので、その抜粋をここに紹介します。

○ ギー・ド・モーパッサンGuy de Maupassant(1850 ~ 1893)
 ノルマンディー生まれのモーパッサンは、めぐまれた文学的環境のなかで育つ。すなわち、精神的な父親として大作家のギュスターブ・フロベールを、兄貴分としてゾラを持つ。文学修行は厳しい師フロベールに、文壇に出るきっかけはゾラに負うところ大である。
 中編小説『脂肪の塊Boule de suif』(1880年)で人気作家となった彼は、それから10年ほどの間に、『女の一生 Une vie』『ベラミ Bel-Ami』などの長編を5つ、300以上にのぼる中・短編小説を次々に発表する。
 晩年、といっても40歳前のことだが、彼は1889年のエッフェル塔を嫌ったことでも有名である。それから数年後、狂死する。

○『メダンの夕べ』
『居酒屋』の成功により作家としての地位を固めたゾラは、パリ郊外のメダンに家を買い、若い作家たちを集めて文学サークル的なものを作った。フロベールの紹介によりゾラの知己を得たモーパッサンもその中にいた。あるとき、ゾラが普仏戦争をテーマにひとつずつ作品を持ち寄り、『メダンの夕べ』という短編集を作ろうと提案する。ゾラ以下5人の若手作家がいた。その中で最も無名だったモーパッサンが、プロシャ軍の占領により翻弄されたある娼婦の物語を読み上げた時、聞いていた全員が感動して敬礼したという逸話が残っている。その作品こそ彼のデビュー作となった『脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)』である。



○小説『ブール・ド・スュイフ(脂肪の塊)』の構造

<第1シークェンス> 撤退する敗残兵と自警団の解散・・・フランス軍側の脆弱さと敗北の様子を戯画化して表している。

<第2シークェンス> プロシャ軍のルーアン占領と町民との交流・・・占領軍に対して強い恐怖感を抱いていただけに、実際あってみたあと、町民は安堵感を抱き、秩序が戻る。何人かはプロシャ将校と「つて」ができ、移動の許可を得られるようになる。

<第3シークェンス> 町を脱出する10人の紹介・・・馬車の奥の席から順に、
  ロワゾー夫妻・・・ワインの卸売商
  カレ=ラマドン夫妻・・・紡績工場経営者・県会議員(帝政派)
  ブレヴィル伯爵夫妻・・・県会議員(オルレアン派)
  (横並びで)二人の尼僧
  コルニュデ・・・共和主義者
  ブール・ド・スュイフ(脂肪の塊)・・・娼婦

<第4シークェンス> 馬車内の様子、空腹の限界に至るまで・・・いわゆる上層階級の人たちは、革命派と娼婦がいることで、連帯感を抱く。

<第5シークェンス> 昼食風景・・・昼食を準備して来たのがブール・ド・スュイフだけだったので、仕方なく食べ物を分けてもらい、口をきくことになる。娼婦の愛国心の強さに驚く。

<第6シークェンス> 到着した町の旅館での夕食・・・食事前、ブール・ド・スュイフだけ将校に呼び出され、憤慨して戻ってくるが、概して和気あいあいの食事となる。旅館の女将が戦争反対論、軍人不要論を滔々と述べる。

<第7シークェンス> 翌日の足止め・・・出発しようとすると、プロシャ将校から出発の許可がおりていないことが判明する。夕食時に足止めの理由がわかる。将校が娼婦に仕事をするよう望んでいたのだが、愛国心の強い彼女は断固拒否する。馬車の同乗者たちも全員憤慨する。

<第8シークェンス> 二日目・・・尼僧とコルニュデの気持ちはわからないが、三組の夫婦たちは娼婦に対して徐々に冷ややかになる。

<第9シークェンス> 三日目・・・昼食時、三組の夫婦は犠牲になるよう、ブール・ド・スュイフを遠回しに説得する。夕食時には、尼僧まで説得に加わる(コルニュデは加わらず)。

<第10シークェンス> 四日目・・・ブール・ド・スュイフが夕食を欠席する。コルニュデを除いて他の8人は、翌日出発できそうなので祝杯をあげる。彼らに対し,コルニュデは「卑劣」だと非難する。

<第11シークェンス> 五日目の朝、馬車は出発する。三組の夫婦たちは、娼婦をばい菌のように扱う。昼時、昼食の用意ができなかったエリザベットを除いて、みなそれぞれ食事をする。

<第12シークェンス> 馬車の中で、コルニュデが『ラ・マルセイエーズ』のメロディーを口笛で吹き続ける。ブール・ド・スュイフはすすり泣く。

*          *          *


<第1シークェンス>から<第3シークェンス>までは、ルーアンのみならずフランス全体が陥っている敗戦という状況、及びルーアンを脱出する馬車内の様子を表す。小説の背景を示す。

<第4シークェンス>は<第12シークェンス>と相似関係にあり、<第5シークェンス>は<第11シークェンス>と対比関係にある。
<第4シークェンス> ∽ <第12シークェンス>
<第5シークェンス> ⇔ <第11シークェンス>
この四つのシークェンスがこの小説の核であり、妙であり,鮮烈さである。そのとき作者はなにも言わない。ただ提示するだけである。

<第6シークェンス>から<第10シークェンス>に至る筋道は,いわゆる上層階級の人たちのエゴイスム、卑劣さ、巧妙さが右肩上がりになっていくのを示している。
「卑劣」だとコルニュデに非難されたとき、この上層階級の人たちに目覚めたかもしれない「気まずさ」や「自省の念」は、その非難がブール・ド・スュイフに袖にされたコルニュデの悔しさなのだとすり替えられることによって消滅する。こうして、翌日彼らがあらわにする凶暴な残忍性が周到に準備される。


○考察
 学生のレポートを読むと,いわゆる「上層階級の人たちのような卑劣さ」を自分も持ち合わせているのではないかという不安を抱いたと書いている。これは、この小説が、善良で幸福でたいした不自由もなく生きている読者の心に瞬間的にメスを入れたことを意味している。
 作者モーパッサンは読者に対してなにも語らない。ただひたすら、物語を目の前に提示しているだけだ。その物語を「見た」読者は、さまざまなことを考えるだろうが、「ブルジョワや貴族たちは、その恵まれた地位にもかかわらず,卑しいものだ」とか「貧しい娼婦のような人が逆に親切で,信念があるものだ」とかいうように、型通りのメッセージを受け取っただけで満足しない。モーパッサンは小説に仕掛けを作っていたのだ。
 読者自身もあの卑劣な三組の夫婦、とりわけ一番卑しいロワゾー夫妻とともに小説世界を歩いていることに気がつくだろうか。物語の視点がほとんど彼らにあり,読者は娼婦ブール・ド・スュイフと視点を一度も共有していない。だから、宿屋での最初の晩,彼女がドイツ将校のもとから激高して戻って来た時,読者も他の9人と一緒になって、なにがあったのか知ろうとしたのだ。
 作者は巧みに読者の視点をロワゾー夫妻たちと同じにして、読者を共犯者にしようとする。読者はブール・ド・スュイフと二人だけになって、彼女の心のうちを聞くことはできない。彼女は常に周りから見られる存在なのだ。しかし、いくらロワゾーたちと視点を共有しているとはいえ,彼らと違って高潔な心の持ち主である読者は目の前で展開する彼らのやり方に激しく反発し、いきどおる。とくに第11シークェンスでは、娼婦に対する同情と他の8人への怒りは頂点に達する。「私だったら、彼女にやさしい態度で接し,食べ物を分けてあげるのに・・・私だったら」そう思う。
 だが、本当にできるだろうか。上品な多数者たちに非難の眼差しを向けて(場合によっては罵倒して)、ひとり娼婦の肩を持てるだろうか。いや、その前に、娼婦をドイツ将校のもとに行かせようと,鳩首して陰謀をめぐらしたりせず,彼女とともにずっと宿に居続ける覚悟ができるだろうか。
 作者モーパッサンは、読者を単なる通行人、良識ある目撃者というだけにとどめようとはしないで、読者をも弱いものいじめに巻き込むことで,人の内部に巣くって、時と場合によっては増殖するかもしれない「卑しさ」「酷さ」「エゴイスム」などなど、がん細胞のようなものを人は内に秘めていると言いたいのだ。小説『ブール・ド・スュイフ(脂肪の塊)』の読者は、哀れな娼婦に同情するだけでなく、また卑しいブルジョワに腹を立てるだけでなく、自分もひょっとすると加害者になりうるということに思いを馳せる。
スポンサーサイト
文学雑感 | 11:07:38 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad