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石田明生

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新装なったオルセー美術館
 今回の旅の最終日は、9月1日の日曜日になった。シャルル・ド・ゴール空港の飛行機は21時発、ほとんどまるまる一日ある時間をどう過ごすか。デパートやスーパーでの買い物は日曜休みのため論外だ。
 もちろんこの時間の過ごし方は、出発前から検討されていた。午前中は、ビオ度が高いという噂のラスパイユの市場で買い物をし、そのあと、日曜日なので無料の美術館を見学する。ではどの美術館にするか。そこまでは決めていなかったけれども、ずっと工事中だったオルセー美術館が一番興味深い。どんなふうに様変わりしたのか見てみたい。ラスパイユ市場とオルセーが比較的近いのも便利だ。

ラスパイユ市場
ラスパイユ市場と言っても、6区にある。長さ100メートルほどの小さな市場だ。



 行ってみると、日本人らしきお客が何人かいる。パリ在住の日本人には、やはりビオ bio 度の高さが魅力なのか。ぶらぶらひやかしていると、八百屋になんとシイタケが売られていた。おいしそうだったので、思わず写真に納めた。

シイタケ     シイタケ値段
どうやらオランダ産のシイタケらしい。それにしてもキロ22ユーロは高いのか、安いのか。

 まさか、シイタケを買って日本に帰るわけに行かない。われわれは、かねてのねらい通り、チーズ屋さんで、Saint Nectaireがあったので、Saint Nectaireチーズとbrebis(雌羊)のチーズTome basque、cantalを買った。

チーズ Tome basque
Tome Basqueチーズ、試食させてもらった。

 帰国したら、誰かを呼んでワインとチーズの会でもしようと思っているので、もちのいいものを選んだ。

 さて、いよいよオルセー美術館だ。3年前に来たときには、修復中で、作品数も少なく、屋上にのぼることもできず、さんざんだったことを覚えている。また、写真撮影禁止だったが、それは今でも続いていて、とても残念だ。美術館は写真撮影ができないと魅力は半減する。写真が撮れれば、作品と作者などチェックが楽だからだ。美術館が販売しているカタログは重くて、値段も高い。
 幸い、オルセーの美術品は以前ほとんど写真を撮ったので、よく覚えているし、馴染んでいる。
 入館して、まず最初に目に飛び込んで来たのが、バルトルディー作『自由の女神像』だ。たまたま、バルトルディーの生まれた町コルマールに行って来たばかりだったので、親しみが倍加してうれしくなった。この自由の女神像はほぼ等身大なので、リュクサンブール公園にあったものだろうか。それともべつのところにあったのか。19世紀の美術というオルセーのコンセプトからすると、この『自由の女神』は、美的というよりも19世紀思想を表象する作品だが、非常に重要なので、美術館の入り口近くにあるのはよいと思う。これは、フランス共和国の揺るぎない共和主義精神を見せつけているのだ。撮影禁止なので、たまたまコルマールにあった『自由の女神』の写真・・・バスから撮ったので写りはよくないが・・・で代替しよう。

自由の女神コルマール
コルマールの町のはずれに立っている。

 パリ・コミューン(1871年)という悲惨な内戦は、真の共和国を建設するための産みの苦しみだったのか。その後の1870年代は、フランスにとって、いやフランスの共和主義者にとって、王党派や帝政派との絶え間ない戦いの連続だった。そんな中で、共和主義という価値観を共有するアメリカに革命の象徴であるマリアンヌ像(ドラクロワの『民衆を率いる自由の女神』)を送ろうという執念に燃えた男が、歴史家で政治家のエドゥアール・ド・ラブライエだった。彼はバルトルディーに作成を依頼した。共和主義者であったアルザスの彫刻家はその依頼にみごとに応えて、1878年の万博には頭部を完成させ、展示している。

1778年の万博に展示された頭部
1778年の万博に展示された頭部(wikiから転載)

 台座部分はアメリカ側が資金を集めて完成させ、1886年10月28日に除幕式が行われた。像の内部の鉄骨構造はエッフェル塔を作ったエッフェルが担当したが、彼は、その3年後、これまた共和制の象徴である「エッフェル塔」を完成させている。『自由の女神』の正式名称は『世界を照らす自由』という灯台であり、エッフェル塔も光を発する灯台だからだ。当時、大国の中で共和制の国はアメリカとフランスだけだったということも関係しているかもしれない。
 それから100年以上が過ぎて、フランスは共和制以外のフランスを想像することができないほどに共和主義思想が浸透したと言えるだろう。誰が、フランスで王政復古を考えるだろうか。
 今回、新装なったオルセー美術館を見学して、そのフランスの共和主義の自負を痛いほど感じたのだ。それは、新たに展示された19世紀の王党派の画家たちの絵画を見た時だ。19世紀のフランス絵画史の中で、アングル、ドラクロワ、ジェリコー、クールベ、マネ、モネと慣れ親しんで来たが、一方常に無視されて来た画家たちがいた。それが王党派側の画家たちだ。新たなオルセーは、彼ら神と王を讃える画家たちの作品を堂々と展示している。共和主義者のクールベたちが徹底的に敵愾視した画家たちだ。そこに、美を感じるか否かは鑑賞者の心の問題だ。撮影禁止なので、写真で紹介できないのは残念だ。
 これらの作品は新たに加わったものだが、なくなったのもあった。カミーユ・クローデルの『成熟時代』が見当たらなかったのにはがっかりした。ロダン美術館にあるのだろう(フランスのwikiを見たら、オルセーの収蔵作品のリストにあった。見落としたか、他の美術館に貸し出しているのか)。
 途中、お腹がすいたので、美術館の外にいったん出て、隣のレストランで昼食をとった。僕は「サラド・ニソワーズ(ニース風サラダ)」妻は「エスカルゴ(12個)」だけの軽い食事(といっても腹一杯になる)にして、急いで美術館に戻った。
 なじみの作品を順々に見学して、最上階にのぼった。工事中のときのぼれなかったので、これが楽しみだったのだ。屋上には・・・快晴のパリがいた。

時計カフェ
このカフェの隣から屋上に出られる。

オルセー女神像           オルセー、サクレクール
モンマルトルの丘に立つサクレクール寺院が美しい。
これは、パリの風景においてもエッフェル塔のライバルだが、
共和主義思想に対する王権・教権を象徴するものとして、思想的にもライバルだ。
実際はあまり気にしてはいないだろうが・・・

時計サクレクール          時計サクレクール2
時計の中に何とかサクレクールをおさめようと思って、シャッターを押したが・・・

 後に書くつもりだが、この度クールベの生まれた村、オルナンに行って来たので、ことさら彼の傑作『オルナンの埋葬』には思いが強かった。また、シスレーやモネなどが画題にしたパリ郊外の田舎を散歩したり、ドーヴィル・トゥルーヴィルにパリから日帰り旅行をしたので、印象派の絵画は身近なものとして鑑賞できたこともつけ加えたい。それについては、そのときどきの旅行記でまた・・・
 美術館を後にして、パリを名残惜しく感じつつ、帰路についた。
 今回の旅行記は、最後の日から書き出すという不思議な旅行記になってしまった。
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2013年フランス旅行 | 05:12:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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